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タイトルのみ
twitter
2009年07月27日19:17
「twitterには、議論を深める力はない」
なんてことをtwitterでつぶやきたがるやつになってしまった。
http://
twitter
.com/To
shihiro
ANZAI
コメント
さかい@8/30そら庵
2009年07月27日 19:47
最近何やら身近な方々が一斉に移住されて来ています。
安斎利洋
2009年07月27日 19:52
あきらかに一気に相転移してますね。これは移住なんでしょうか。
さかい@8/30そら庵
2009年07月27日 20:07
主題は同じなのかもしれませんが、新たな変奏曲のはじまり、という感じでもあります。
安斎利洋
2009年07月27日 20:08
てことは、次の変奏もありますね。
すぎもとたつお
2009年07月27日 20:21
いまが旬、という感じがします。
このまま続くのか、次の焼畑へ移住するのか。
SOYA
2009年07月27日 21:53
ここを見て、思わず私もはじめてしまいました。
https:/
/twitte
r.com/s
oyanaok
i
安斎利洋
2009年07月27日 22:26
>次の焼畑へ移住するのか。
全員の声が聞こえるパーティですよね。距離とか近傍の概念がほしいなー。それがないからいいのかな。
フォローしました>SOYA
大和田龍夫
2009年07月27日 22:27
あ、ここで告知すればいいんだ。
http://
twitter
.com/ow
ada2cv
じゃい
2009年07月27日 22:56
http://
twitter
.com/co
m4jai
ここのところはランチの記録日記になってる。
あまり活用しているようにも思えないが、iPhoneになってからすこしテンポがあがってきたのかも。
』чй
2009年07月27日 22:57
Ramblers格好良すぎます
安斎利洋
2009年07月27日 23:34
>Ramblers格好良すぎます
超うれしい>』чй
中村理恵子
2009年07月28日 05:13
とーとー。
この数日、ばたばたと、つぶやきふえたよねぇ。
Hanna
2009年07月28日 09:10
携帯mixiとtwitterの使い勝手って、そんなに違いますか?
あっちこっちでつぶやき始めたら、収集つかなくなりません?
うさだ♬うさこ
2009年07月28日 09:27
ほったらかしにしていたTwitterのIDも、久しぶりに手入れしました。
それにしても、Twitter (Tweet) を「つぶやき」って翻訳したひとはセンスが
いいと思います。
「さえずってね」っていわれるより、「つぶやいてね」っていわれたほうが、
日本人の演歌的な心を刺激してくれる、みたいな。
安斎利洋
2009年07月28日 11:01
ランダムハウスの例文だと、
The room was filled with happy ladies twittering over their teas.
その部屋は紅茶を飲みながらおしゃべりをしている楽しそうな婦人たちでいっぱいだった.
His nerves were twittering within him.
彼の神経は震えてびくびくしていた.
どこにも「つぶやき」の語感はないですよね。もしかすると、つぶやき、という翻訳によって、日本のtwitterは別のものになっていたりして。イラン騒乱を伝えるメディア、って感じしないもんね。
安斎利洋
2009年07月28日 11:07
>携帯mixiとtwitterの使い勝手
twitterは、レスポンスをつけなければ失礼、という脅迫観念がないから、みんなほっとしてるんでしょう。小学生が、ケータイメールの返信をしなくては、という強迫観念で眠れない、みたいな構造がない。そして、twitterは原理的に「すべらない」。
Hanna
2009年07月28日 14:14
>どこにも「つぶやき」の語感はないですよね。もしかすると、つぶやき、という翻訳によって、日本のtwitterは別のものになっていたりして。
「さえずり」の英語でのニュアンスは、噂するとか、告げ口するとか、広める、っていう感じだったと思います
「もー、あそこでさえずってるからみんなに広まっちゃって・・・」とかって会話、記憶にあります。隠語かもしれないけど。
だから「つぶやき」じゃないかもしれないですね。でも、日本人だったら、やっぱり公には「さえずり」は躊躇するかも。妙訳です。
・・・ここでは、「すべる」んでしょうか。私、結構すべってますか?
安斎利洋
2009年07月28日 23:01
>私、結構すべってますか?
いやいやすべってません。って、浅田真央との会話だったら面白い。
mixiは、どんなコンテキストでも自分が滑って見えるメディアですね。twitterはその逆で、何言ってもすべれない。すると2ちゃnは、すべりが楽しいメディアか。
考えてみると、mixiもコメントスレッドのダイアログが出来上がる前の孤立した日記は、モノローグですね。
twitterのメディアとしての新しさは、たぶん再さえずり、RTだと思うんだけれど、このあたりはtumblrのほうが先にいってます。やはり、次の変奏がありそうですね。
大和田龍夫
2009年07月29日 09:22
RTってのが理解できなかったんですが、
internet黎明期には偶像崇拝禁止というか、原典主義といいますか。それが解禁されて、チェーンメール大流行の兆しがあることがなかなか興味深いです。
(結局、仏教なんて偶像崇拝することで普及したみたいなものもあるわけで、何か禁を破ると堰が決壊するんですね)
サーバが異常に重くなったみていで私はログインできなくなってきていることも興味深いです。orkutのようになるのか、mixiなみに流行するのか見守りたいと思います。
こんなツブヤキ流行の中で下北の6畳のお店がわんさかあるあの魔力にとりつかれはじめています。
安斎利洋
2009年07月29日 11:08
インターネットが口承文化に近いというのは前から言われてたけれど、twitterはまさにオーラルな感覚がありますね。さえずりですから。
口承文化は、伝わりながら内容が変化する、モディファイされる、異本が生まれる、という創発性があるわけだけれど、RTはどうなんだろう。カンブリアンになるのかどうか。
大和田龍夫
2009年07月29日 11:13
RTは微妙にコピーミスをするアルゴリズムを埋め込まないと進化の可能性が薄いですね。
安斎利洋
2009年07月29日 11:19
RTは、引用記号>と同じで、システムと関係ないルールですよね。創発的引用のルールができればいいんですね。「@誰々の内容を、改変しながら引用した」を明示する記号ができればいいわけだ。
Hanna
2009年07月29日 12:04
>mixiは、どんなコンテキストでも自分が滑って見えるメディアですね。
どういうことですか???
私には、さっぱり・・・そもそも、滑るっていうのは・・・?
>mixiもコメントスレッドのダイアログが出来上がる前の孤立した日記は、モノローグですね。
私、どこで何を書いててもしゃべってても、ひとりで勝手に頭の中で色んな人としゃべっているので、すべる、っていうことが体感できてないかもしれません・・・日記も、反応がなくっても、私の頭の中では色んな人が返事してくれてるからいいんです。
・・・っていうこの状態が、そもそも滑ってるのでしょうか?
>インターネットが口承文化に近いというのは前から言われてたけれど、twitterはまさにオーラルな感覚がありますね。さえずりですから。
でも、オーラルカルチャーの基本は「記録が外形として残らない」ですよね。どうなんでしょう。
これはまさに、Ongだったけな、second oralityのカテゴリーではありませんか?
Roonie tuneの Tweetyって、和訳すると「ピーチクパー子(夫?)」だったんでしょうか。
Hanna
2009年07月29日 12:31
訂正、
Secondary oralityです。
大学院の時のレポートから適当に訳してみるので、間違いだらけかもしれませんが・・・
口承文化と記述文化の心理的・知的・文化的対比を調査した研究のほとんどは、口承文化とアルファベットの比較でしかない。他の文字システムの影響についてはようやく模索がはじまったばかりだ。......記述は......すべての人類の技術発明の中でももっとも重要なものだ。......なぜなら、記述はスピーチというものを、oral-aural/voice-and-ear world(口承−聴覚/声と耳の世界)なものから、新しい感覚世界、つまりvision(視覚)の世界へと大幅に変容させる、記述はスピーチと同様に思考も変化させる。......そして、アルファベットほど、人類のlifeworldを大幅に−民主的に、といってもいいかもしれない−再構築する文字システムはない、なぜならアルファベットは比較的簡単に覚えられるからだ。
と書いてます。
それで、Ongは、
一旦読み書き(literacy)が根付くと、口述(orality)というものは永遠に変貌してしまうことを認識しつつ、
記述と印刷の使用を前提とした二次口述文化(Secondary orality)
という概念を提唱しています。
ふぅーーー
だから安齋さんの日記は要注意なんです。
早くお昼ごはんを作らないと子供が帰ってきちゃうのに、もうへとへとです。
しばらく、PCはオフにします。おじゃましました。
安斎利洋
2009年07月29日 13:48
>オーラルカルチャーの基本は「記録が外形として残らない」ですよね。どうなんでしょう。
まさにtwitterの特徴は、記録がどんどん揮発している点なのかもしれませんね。掘っていけばつぶやきがログとして残っているけれど、誰も過去をふりかえったり、議論を蒸し返したりしない。RT(ReTweet=再つぶやき)が、過去をつないでいくだけ。
平家物語の異本が残っているのは、口承をログとして残すひとがたまたまいただけで、基本は口承ですよね。こういう形については、オングは言及しているんでしたっけ?
安斎利洋
2009年07月29日 14:00
>日記も、反応がなくっても、私の頭の中では色んな人が返事してくれてるからいいんです。
これは、面白いですね。あらゆるダイアログは、実は自分の内部で進んでいて、外部の会話はそれと少しずれるから、ずれを観測することで相手の発話を理解している、という話題を先日認知科学の人と話しました。ときどき、言語が通じない人と会話が成立してしまうのはそのためだ、と。
モノを見る行為も、見る前に自分内部で「そこにあるべきもの」を見ていて、たいていそのとおりだから、予想とずれるまで注意深く見ていない。ずれたときに、はじめて注視がはじまる。
人間は基本的に妄想の中にいて、妄想の修正能力が人によって違うだけ。そもそも、体の動きも、意識の0.何秒か前に始まっていて、意識はそれを禁止することしかできない、という研究があります。
mixiがすべることができる、というのは、mixiの中で走っている「私」の像が、自分の中で走っている妄想の自分とずれやすい、ということじゃないかな。ネットの中の自分は自分でないようだ、という感覚をいだいてmixiからはなれていく人が何人もいました。この「ネット」のところに、会社とか学校を入れてもいいわけで、それは、そういうった「私」を産み出す装置が、「記録を残す」からかもしれません。私の残像が私でないような気がしてしまう。
だから、メッセージが揮発していくtwitterは、私と私の乖離がないので、ほっとする、と。
話がつながった。
Hanna
2009年07月29日 17:11
>こういう形については、オングは言及しているんでしたっけ?
あぁ、読んでしまった。
いっそ、「滑り」たい
オングを読み直す気力は当分でないので、自分のエッセイの範囲で調べてみますー。チャンドラーとかマクルーハンあたりの話ででてきていたような。
>mixiがすべることができる、というのは、mixiの中で走っている「私」の像が、自分の中で走っている妄想の自分とずれやすい、ということじゃないかな
写真の自分や、録音された自分の声を聞いたときの違和感と似てますね。oralcultureでは、そういう乖離はないんですよ。だって、音は発した瞬間だけに存在するから。・・・って、ONgかチャンドラーがいってます。
続きはまた。
twitterも、ちょっとのぞいてみます。記録されてんのにメッセージが揮発するってどんなシステムかな。
Hanna
2009年07月29日 17:16
追加
他者や自分との乖離を生み出す
これは、まさしく「記述文化」の特性です。
っと、読み返してから、もう一度続けます。
エッセイのファイル、そのままコピペしたい。
安斎利洋
2009年07月29日 17:41
オーラルカルチャーでも、社会的な型を演じる以上、乖離は起こるだろうけれど、記述してそれが残っていくと乖離が強調されるんじゃないかな。
社会にジョイントした自分の整合性と、自分ひとりのタイムラインの整合性と、方程式を解きながら「私」をやっていかなくてはならない。
人間であることは、疲れます。
うさだ♬うさこ
2009年07月29日 18:10
つい最近twitterに関する論評を読んでて知ったサイトなんですが、、、
http://
twitter
.zappos
.com/em
ployees
↑
この会社は、従業員に好きなようにつぶやいてもらって楽しませている
わけですが、最終的な目的は、顧客が従業員のつぶやきに関心をもって
くれることなのだそうです。つまり、お客さんが個人的にその従業員、
あるいは会社とのコミュニケーションを深めてくれることを期待して
いるのだそうです。
Mixiあたりにも企業が下心をもって発信している情報はたくさんあると
思うのですが、Twitterではあまりその下心が露骨に出ない(出せない?)
ところが、「使いよう」みたいですね。
安斎利洋
2009年07月29日 18:49
こういうサイトを作るのは簡単で、うまいこと考えたと思うけれど、ここでつぶやく社員ってどういう気持なんでしょうね。あくまで社員としてtweetしなくちゃいけないんですよね。
うさだ♬うさこ
2009年07月29日 21:09
たぶん、Twitterのフォロワーの数が目標管理の評価指数になっていたり
するんでしょうね(;_;)
Hanna
2009年07月29日 22:16
やっと、色々済ませて読み終わりました。自分の書いたものを読み返すだけだったんで、ジャージのひざあて補修もついでにできて、いやーよかったよかった。
>そういうった「私」を産み出す装置が、「記録を残す」からかもしれません。
これは、マクルーハンの言うところの、メディアは拡張だ、っていう部分でしょうか。メディア=装置。
oralとliterateの決定的な違いは、もちろんこの「技術・道具」の介在にもあります。記述文化は、視覚文化visual cultureの前段なのです。
記述文化についてのマクルーハンの主張は、(表音文字アルファベット、という前提ですが)
リテラシー技術は、西洋人に「reactせずにactする力」を与えた。口語は語られる際に全感覚を巻き込み、私たちは言葉が発せられる毎にその状況に反応reactする傾向にあるが、筆記は一種の「分離されたり専門化された行動で、そこには反応reactを呼び起こす機会がわずかしかない」
このことが、感情的な関与からの分離を作り出す、しいては、個人主義とプライバシーの創出は、筆記(writing)、特に表音筆記(phonetic writing)の影響なしには達成されなかった。
というものです。
この分離への比較対象として、口承文化は、Ongの説明にあるのですが、
口承文化では、継続的な思考sustained ideaにはコミュニケーションが必要とされ、社会にハーモニーを形成する、
という点があります。
・・・で、やっとtwitterやmixiに戻れるのですが、両システムとも、口承&記述の両文化の特性を持ち合わせていますよね。
reactせずにactすることもできる → twitterの揮発ですか?
継続的な思考にコミュニケーションを必要とする・・・というよりは、利用しているんでしょうか → mixi?こちらは集合知とかいうものに、つながっていくんでしょうか。未知の分野です。
そこが、新しい側面ですか?
マクルーハンは、電子メディア時代のリテラシーについて、
表音アルファベットの上に築かれた記述literacyという古い技術をおびやかす新しい電子技術が存在する。われわれの中枢神経系を拡張するというこの技術の作用のため、電子技術は、専門的な書き言葉written wordよりも包括的で参加型の口語spoken wordを好むようだ。
といってます。
ポストマンは、ビジュアルメディアがあふれる現代を、テレビの見すぎでバカになる、じゃないですけど「dumbing down」、論理的思考力が鈍っている、と批判的ですが、
Ongやマクルーハンはあくまでも「新しいタイプのリテラシーだ」と主張していて、その根底は、「口承文化を記述文化よりも劣るとする発想自体が危険である」というわけです。
******
・・・・・・どこを抜粋するとわかりやすいのかわからなかったので、かなり長くなりました。つながったかな?
この課題エッセイ、
「口述文化から記述文化への変化が社会の精神力学を根本的に変えた、という議論を説明し検証しろ」
っていうものだったんですけど、意外と色んなことの糸口になりますねー。修士レベルの勉強でも、役に立つんですね。ここは、大学院で学んだことをちゃんと憶えてるのか??って試されてるみたいで、汗でます
なんだか、うちの子が「あ、その漢字、学校で習ったよ」と、自慢げに書いている姿と今の自分が重なります
Hanna
2009年07月29日 22:19
口述と口承が、筆記と記述が、用語として乱れ飛んでいますが、許してください。
安斎利洋
2009年07月30日 01:17
>Twitterのフォロワーの数が目標管理の評価指数になっていたり
日常感覚の会話で、会社や上司や顧客の悪口やうわさ話をしなくなるでしょうね。ある意味究極の管理。
安斎利洋
2009年07月30日 02:13
twitterに至る流れをメタ神経系とすると、マクルーハンやオングの議論が、メタ神経系を説明しきれるかどうか、これは考えると面白いテーマですね。
単純に、twitterは生のリアクトを巻き込むだろうし、記述文化とは違った独特のサステインをもっている。でもなにかが説明しきれていない感覚を残します。
記述文化が新しい「個」を発明したように、メタ神経系が発明したあたらしい「?」があって、それはまだ名づけられていないんだと思う。
そういえば以前、マクルーハンの息子と遠隔パネルをしたことがあります。
http://
www.ntt
icc.or.
jp/Arch
ive/199
8/McLuh
an/Even
ts/inde
x_j.htm
l
ロバート・ローガンが、アルファベチカルな文化の優位性を言い続けて、僕は漢字の絵文字的なシニフィアンがいかに創発的かを言い続け、かみあわないのがまた面白かった。
Hanna
2009年07月30日 20:17
>そういえば以前、マクルーハンの息子と遠隔パネルをしたことがあります。
ICCサイト拝見しました。安齋さんは、本当にhyperrealな世界で色々なことをされている方なのですね・・・。もしかして私は、ベートーベンにクラシックの基礎を説明しようともがいてるんでしょうか???
・・・・・・だとしても、私の知識が減りも増えもしないでしょうから、覚悟の上続けるとして
私が引用した文献はすべて、2005年以前のものですから、SNSも大普及前夜??twitterは存在してましたか??というタイミングですよね。現在のマクルーハンやOngの論を知りたいです。
>ロバート・ローガンが、アルファベチカルな文化の優位性を言い続けて、僕は漢字の絵文字的なシニフィアンがいかに創発的かを言い続け、かみあわないのがまた面白かった。
Ongは、こうした研究がアルファベット文化偏重の傾向にあることを批判しているし、中国でのマンダリン(北京語ですか)教育の義務化やPCの普及でアルファベットがさらに浸透しつつあることの影響に興味を示していたようです。
確かに、表音文字と表意文字のリテラシーって、ものすごく違いそうです。残念ながら、私が読んだ文献は全部英語なので・・・。
おりしも、昨日の朝日新聞で、台湾が中国に「繁字体」の使用をもっと復活させよ、と主張していると記事がありました。やったー!そのほうがいいと私も思います。これなら書いて意思疎通ができる。台湾の学生とはできましたから。
簡字体もハングル文字も、日本のひらがな・カタカナのように漢字と共存すればいいだけだと思います。ここまで日本人が漢字を使い続けたことがようやく実を結ぶ???
すっかり話がずれてきました。すみません。
Hanna
2009年07月30日 20:26
mixiとtwitterで、全く同じ「つぶやき」を発したら、どれだけ違う結果がつながってくるんでしょうか?
私はtwitterはのぞいてみたんですけど登録するほど興味がもてなかったので、どなたか試してみていただけないでしょうか?
安斎利洋
2009年07月31日 03:26
音楽の基礎を知らないベートーベンがいたら、魅力的ですね。
ロバート・ローガンは、「結合知」が成功したのはアルファベットのなせるわざであるということを主張していて、僕はまったくそのとおりだと思うんだけど、オングが言うように、それによって失ったものを僕は問題にしたかった。
パネルでは、「日本人は「鮮やかな色」という言葉を発するときに、「鮮」という漢字に含まれる魚と羊を不可避的に連れてきてしまう。その冗長さが、言語の豊かさなのだ」ということを、僕らが以前やった「北京連画」を見せながら話しました。ローガンは、いやアルファベットも昔は象形文字だった、と無意味な反論をしていました。優秀な同時通訳のもとでの議論だったんだけれど、時間もなくて、そこが限界でした。Hannaさんにサポートしてもらっていたら、もっと深い議論ができたかもしれないですね。
>mixiとtwitterで、全く同じ「つぶやき」を発したら、
これは実験してみると面白いね。
Hanna
2009年07月31日 05:56
ベートーベンや安斎さんは、基礎を実行する人で、アーティスト
基礎(理論)に惹かれて基礎そのものを楽しみ分解組み立てし始めるのが、研究者
どうでしょうか?
あとのコメントは、とてもじゃないけど携帯からは無理なんで、帰宅後に…
Hanna
2009年07月31日 06:07
追加
だから研究者は、理論アーティスト
ですかね(*^-^)b
ふースッキリ。
朝の家事、始めなきゃ。
さかい@8/30そら庵
2009年07月31日 11:31
私は今までもしばしばTwitterとmixiに同じ「つぶやき」を配信してきましたが、昨晩からTwitter、mixi、mixiエコー、Facebookに拡大して実験中です。
当たり前のようですが、より開かれた参加者に向かって発信されているため、Twitterが一番予想外の対象から予想外の反応が返ってくる傾向が強いようです。
http://
twitter
.com/fo
malhaut
http://
mixi.jp
/show_f
riend.p
l?id=25
8978
http://
www.fac
ebook.c
om/foma
lhaut
安斎利洋
2009年07月31日 13:14
さかいさんは、人生が実験だから。
twitterは、つぶやきに連なるつぶやきを一覧するラインがありませんね。自分をキーワードにして検索をかけることはできるけれど。そこが揮発性のゆえんかもしれません。
安斎利洋
2009年07月31日 13:20
>ベートーベンや安斎さんは、基礎を実行する人で、アーティスト
>基礎(理論)に惹かれて基礎そのものを楽しみ分解組み立てし始めるのが、研究者
僕は、基礎を組み替えるのがアーティストだと思います。だから、基礎を知らないアーティストは、ときどきそれが強みになってとんでもない新領域を作り出す。基礎を知っていても、アーティストはいつも基礎からジャンルを移築することを狙う。
数学基礎論とか、科学基礎論は、だからアートと近いものがある。
でも、研究者の多くは、基礎論論、だったり、哲学学だったりして、基礎を分解再構築することができない。
Hanna
2009年07月31日 20:11
>ローガンは、いやアルファベットも昔は象形文字だった、と無意味な反論をしていました。
今まで考えたことなかったんですけども、これ、そうかもしれません。
もしかして「象形文字」hieroglyphicじゃないけど「表意文字」ideographicとしての可能性は秘めていると思います。いや、ちがうな、そうじゃなく・・・
アルファベットの形って、発音するときの「口」の形に似てないですか?顔を横から見たときって言うかー。
だから、「表音文字」っていうけど、ほんとに「音」を象徴的な「形」であらわしているっていう意味?なんで発音記号ってアルファベットで書くんだろう、って不思議だったんだけど、あれにはもっと記号が追加されてますよね、まさしく口の形みたいな、thの音とか、ここには変換できないから出せないけど。
それに、英語を話すときって、ある程度、接頭詞や接尾語や語幹で意味をイメージしますよね?これって、偏とかつくりで意味をイメージするのとおんなじようなとこないですか?
ただし漢字のように、音を表すための「部首」は必要ない。文字そのものが表現してくれるから。それに、それぞれの部分は、漢字みたく上下左右に構成されなくて、横につながっていくだけ。
そう考えると、例えば「sheepish」(怖がり)っていうとき、やっぱりその人の頭の中には羊がひきずられているわけですよね?
・・・とすると、アルファベットの一文字一文字が、漢字の点やはらいや横棒とかの、あの、書き順のひとつひとつに相当する?(あれ、なんていうんでしょう???)
うーーーーん。わかんなくなってきちゃった。
言語学者がほしい。あるいは、本。
Hanna
2009年07月31日 20:16
ここでの議論の話をTaylor先生に質問していたら、関連すると思うよ、と、先生の書いた本の原稿をメールしてくれたんですけれど、メールアドレスを教えていただければ添付します。
それとも、ここにアップすることとかできるんでしょうか?
後は、参考になりそうだからって、Baudrillard Studiesのリンクです。
まだ読んでないです、私は。・・・追いつかないですから、ここの話題転換の速さに・・・
http://
www.ubi
shops.c
a/baudr
illards
tudies/
vol-5_2
/v5-2-t
aylor.h
tml
http://
www.ubi
shops.c
a/Baudr
illardS
tudies/
vol4_3/
v4-3-ar
ticle30
-taylor
.html
安斎利洋
2009年08月01日 02:40
ロバート・ローガンがそのとき何か例を見せてくれたんですが(衛星中継だった)、忘れてしまった。ともかく、アルファベットが象形文字であったことは確かです。
ただ、彼の主旨は、シニフィアンの極度の抽象性によって、ヨーロッパでコネクテッド・インテリジェンスが高度化したということだったので、話が自己矛盾してしまうのが面白かった。
アルファベットは、等価で交換可能なサインだけれど、漢字は交換不能な「言霊」だ、と、簡単にいうとそういう議論ですね。だから科学はアルファベット的な文化の中で成功を収めた。中国の科学は歴史が長いけれど、ヨーロッパのような成果をあげることができなかった、と。
これは音楽における音律にもいえます。平均律になったとたんに、まるで科学のような何かが始まったかわり、アクの強い何かが失われた。
いま、あのシンポをやったら、もうちょっと上手く話ができたかもしれない。
>先生の書いた本の原稿
ありがとうございます。
でもそれを受け取ったら、一週間くらいほかのことができなくなる(笑)。
HANNAさんの時間のあるときに、読んで解説してください。
Hanna
2009年08月01日 07:46
> さかい@8/2平原演劇祭さん
失礼します、はじめまして。
それで、どの展開がオモシロいですか?どうも私は、いろんな所のスレッドをうまく追いかけ慣れなくて、わからないです
twitterも…人のつぶやきだからかな???
さかい@8/30そら庵
2009年08月01日 09:02
>Hannaさん
はじめまして。
やってみて分かったことですが、Twitterは140文字しか扱えない分、つぶやきの中にものがたりを凝縮しきれないため、結論だけを記述することになるようです。
そして読み手もやはり結論から想起した自分のものがたりを、ストーリーの大半を省略して、結論のみ記述してつないでいく。
起点
http://
twitter
.com/fo
malhaut
/status
/294369
7033
反応
http://
twitter
.com/zo
nbi/sta
tuses/2
9439300
05
反応
http://
twitter
.com/co
m4jai/s
tatuses
/294470
7702
そこから独特のスピード感が生まれているようですが、mixi日記としては、あまりにも省略が多過ぎて、多くを書き込んだ場合より明らかにレスポンスが落ちるようです。
http://
mixi.jp
/view_d
iary.pl
?id=124
1339505
&owner_
id=2589
78
次はmixi日記をベースに記述して、Twitterの方に分割してアップした場合を試してみます。
安斎利洋
2009年08月01日 13:37
さかいさんの放送委員話は、目の前で展開していたんで僕は覚えているわけだけれど、このつぶやきが会話になった時間軸は、どこにも再現されないわけですね。
twitterの揮発性って、情報というより、その場に立ち上がる何かが、作られては消えていくということなのかもしれない。mixiもブログも、永遠に消えないコメント列に本質がある。
ところで、さかいさん、twitterの1つぶやきのURLって、どうやって取得するんですか?
さかい@8/30そら庵
2009年08月01日 14:17
つぶやきは1つぶやきごとに個別のURLを取得したウェブページが生成されるのですが、それは発言の下の小さな「○分前」といった日付・時刻の数字にリンクされていますよ。
安斎利洋
2009年08月01日 14:46
なるほどー!
ゲームの攻略みたいだ。
安斎利洋
2009年08月01日 14:47
こうしてつぶやき要素は固定されるのであった。
http://
twitter
.com/To
shihiro
ANZAI/s
tatus/3
0658529
74
Hanna
2009年08月01日 16:05
ひとつ、すごく単純だけど、意味のありそうな違いを発見しました。
mixiは、古いメッセージが上、新しいものが下、になるから、どうしても前の会話が見えてくる。最新コメントを読もうとすると下に下がっていかないといけないから。
twitterは逆ですよね。
まさに、揮発するかのごとく、下から上に新しくなっていく。
だから、前のコメントは見るのがめんどくさいから見ない。
私は、何回も何回もやり取りを見直しては新しく進むほうなので、こっちのほうがいいなぁ。
でも、さすがにこうして長くなってくると、最新のものが先に見たい!!って思うときもある(笑)
Hanna
2009年08月01日 16:25
>アルファベットが象形文字であったことは確かです。
「口の形」を象徴する、象形文字ではありませんか?間違ってるかもしれないけど。
>アルファベットは、等価で交換可能なサインだけれど、漢字は交換不能な「言霊」だ、と、簡単にいうとそういう議論ですね。だから科学はアルファベット的な文化の中で成功を収めた。中国の科学は歴史が長いけれど、ヨーロッパのような成果をあげることができなかった、と。
「科学=サイエンス」という概念自体が、なんだろう・・・「アルファベット的に物事を見る方法」ですよね?確かOngも何かいっていたような。ちょっと堂々巡りしてます、私。
アルファベットはアルファベット的だから、アルファベットなんだ!
漢字はアルファベット的じゃないから、アルファベットじゃないんだ!
っていう議論?・・・なってないな。
>これは音楽における音律にもいえます。平均律になったとたんに、まるで科学のような何かが始まったかわり、アクの強い何かが失われた。
平均律というのは、いわゆるドレミのことですか?確かに、それでみんなが演奏できるようになったりした感じです。初めて音階はドレミだけじゃない、って知ったときはびっくりしました。レの音(でしたっけ?)抜いただけで沖縄メロディーになってびっくり!とか。
>でもそれを受け取ったら、一週間くらいほかのことができなくなる(笑)。 HANNAさんの時間のあるときに、読んで解説してください。
しくしく・・・
そうですよね、やっぱり。
テイラー先生も、とりあえずは簡単な「Y/N」でリアクションしてほしいなーっていう私の幻想を、「Happy further reading
」と、何の躊躇もなくリンクと添付で返事してくれますから。
しばらくここにおじゃますることはできなくなるかもしれません(笑)どっちを選択しようかなぁ。
さかい@8/30そら庵
2009年08月01日 19:38
川上から川下へと流れていってしまうTwitterの特性はやはり引っ掛かるものがあったので、ある時その特性を逆用し、あとで見返した時に上から読めるよう、詩を結末の行からつぶやいていって、最後にタイトルをつぶやく、というのをやったことがあります。
(その時のアップした順序 上から下へ)
竹、竹、竹が生え。
青空のもとに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
まっしぐらに竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
かたき地面に竹が生え、
(空白)
かすかにふるえ。
かすかにけぶる繊毛が生え、
根の先より繊毛が生え、
根がしだいにほそらみ、
地下には竹の根が生え、
青竹が生え、
光る地面に竹が生え、
萩原朔太郎
竹
リアルタイムで見ていた参加者から絶賛されました(笑)
安斎利洋
2009年08月02日 02:00
このサイトの信憑性はわかりませんが、
http://
www005.
upp.so-
net.ne.
jp/kenj
i99/b01
0.htm
ロバート・ローガンが、手書きで説明してくれたのは、こんな感じでした。
アルファベット的、というのは、簡単にいうと要素の斉一さだと思います。象形文字までたどると、それぞれの文字に斉一でない由来があるわけだけれど、それが忘れられたとき、アルファベットは平均律のように平準化されて、組み合わせによって世界の写像が構成できる原子のようになる。
そういうと抽象論に聞こえるけれど、アルファベチカルな思考が平均律を作ったと考えると、イメージしやすい。
ドレミファソラシドは、基準になるドの音をたとえばシの音に移して全体を平行移動しても、ちゃんとドレミファソラシドになります。つまり移調が可能です。(さかいさんの前でこういう説明をするのは、気がひけますね。まいいか。)
あたりまえのようだけれど、平均律が出来る前は、このあたりまえができなかったんです。ちゃんとバランスのとれたドレミファソラシドは、ドとレの音程と、レとミの音程が、微妙に違う。
平均律は、この微妙なドレミファソラシドを、ずべて半音か、半音二つ分かの、等間隔にあわせちゃった。すると、1オクターブの中にある12の音が、すべて「ド」になることができるようになった。
こうして、西洋音楽は、複雑な変換と、変換されたもの同士の複雑な出会いが生まれて、非常に複雑な音楽体験を生み出していったわけです。
アルファベット的な思考というのは、原子という要素を発見することで、複雑な分子の構成が始まるのにも似ている。これが西洋的思考の正体。
平均律によって、現代に至る西洋音楽の歴史がはじまる。しかし、移調できないアクの強いドレミファソラシドは、始まりの時点で死んでしまった。西洋的なロゴスは、可能性と不可能性をいっしょに選択してきたわけです。
なんか講義ノートみたいになってきたけど、、、
>どっちを選択しようかなぁ。
好きなときに、好きなことをする。僕の流儀ですが。
安斎利洋
2009年08月02日 02:19
>あとで見返した時に上から読めるよう、詩を結末の行からつぶやいていって、最後にタイトルをつぶやく
twitterの時間に張り付いていたフォロワーだけが、この錯乱を体験できたわけですね。
いい実験だ!
僕は、雑誌はかならず裏から逆にめくります。
Hanna
2009年08月02日 10:29
>さかいさん
うわー、おもしろい!
揮発させるはずのtwitterの構造を、まさしく逆手に取ったわけですね。
そういう行動も、テイラー先生の定義では、立派なHackingです。
「意図された技術の誘導を逆手にとって、別の使い方をする」
例えば、コーヒーメーカーでお湯わかす、とか、炊飯器でゆで卵を作るとか、今なら、古い携帯電話をラジオがわりにするとか(私の得意分野)
雑誌を後ろから読むのもそうですね、私もやります。新聞も。
Hanna
2009年08月02日 11:37
>アルファベット的な思考というのは、原子という要素を発見することで、複雑な分子の構成が始まるのにも似ている。これが西洋的思考の正体。
細かく分断して、切り離してから再構成、ですね。
visualカルチャーの特性に一歩ずつ近づきますね。
こうして考えていくと、「デジタル化=際限のないコピペの可能化」というのは、アルファベットが発明されたときにもう決定付けられていた西洋文明の進化の方向だったんですね。
なんでしたっけ、Technological determinism(日本語はなんですか?技術決定論??)Watler Benjaminですね。
そういえば、デジタルコピー(再構成)の世界にうっとりできるにもそれなりの訓練がいるのかなーと思う出来事が、今朝我が家で起きました。
よかったら、私の日記をのぞいてみてください。
ここだけ、友人の友人まで公開にしてあります。
今日8月2日付けの「題名のない音楽会」です。
(すみません、リンクはろうと思ったんですけど、途中でやめるとこの文章がなくなっちゃうから、できません。別書きしてなかったので)
Hanna
2009年08月02日 11:54
>基礎を組み替えるのがアーティストだと思います。だから、基礎を知らないアーティストは、ときどきそれが強みになってとんでもない新領域を作り出す。基礎を知っていても、アーティストはいつも基礎からジャンルを移築することを狙う。
数学基礎論とか、科学基礎論は、だからアートと近いものがある。
ここが、いわゆるHigh cultureとMass cultureの分岐点ですね。
平均律で作った音楽を移調しても成り立つのも、実は「コピペ可能」のカテゴリーで。じゃぁ、ドレミがなかったらベートーベンはどんな音楽を作ったんだろう???
つまり、沖縄音楽は移調できないってことですか?あ、でもドレミで翻訳しちゃってるからできるか。
さかいさんは、プロフィールを拝見したら「テルミン」を演奏されるそうですが、テルミンの音階はなんですか?
>なんか講義ノートみたいになってきたけど、、、
多分、私が質問をし続けるからだと思います
>好きなときに、好きなことをする。僕の流儀ですが。
どっちも好きだから、迷っているわけです。
どんな決定にも、その決定によって消えていくものがあるんですよね。
アルファベットが消したものはなんだったんだろう?
安斎利洋
2009年08月02日 14:20
>デジタルコピー(再構成)の世界にうっとりできるにもそれなりの訓練が
いま、佐渡裕なんですね。知らなかった。昔、黛敏郎の時代に収録を見たことがあります。友人がスタッフで、召集がかかりました。
twitterで思うのは、自分の放つ言葉は、他人のそれぞれの時間軸の一部として再構成されるのだな、ということ。
テレビに出るということも、自分の要素が編集され切り刻まれることで、自分が自分らしく見えないし、自分(と思っているもの)より魅力がある場合も、逆の場合もある。自分の動画が、将来の編集の中で何かしらを演じる可能性、ということを、これから誰もが考えないといけないわけですね。
そもそもこれは言葉の特性で、デジタルだからってことじゃなく、過去の人物像はたいていマスの作り上げた虚像。デジタルだと、言葉だけじゃなくて、声や演奏や姿までその作用にさらされる。
コンテキストを保証できない海に言葉を投げかけることで、〈私〉をどう推敲していけばいいのだろう、という頼りない気持が、いまのどのメディアにも(twitterにも)ありますね。これが〈メディア〉と〈私〉の関係の出発点になるんだろう。
安斎利洋
2009年08月02日 15:24
>アルファベットが消したものはなんだったんだろう?
違和感。
考えられないことを考えること。
などなど。
さかい@8/30そら庵
2009年08月02日 21:17
>Hannaさん
テルミンの場合、音程を決定する垂直アンテナと身体の水平距離で音程が決まります。
アンテナからの距離が遠くなればなるほど音は低く、近づけば近づくほど音は高くなり、アンテナに触れた時に最も高い音が出ます。
そして、距離による音程の変化率は一律ではなく、ギターやヴァイオリンなどの弦楽器の高音部と同じように、アンテナに近づけば近づくほど、短い距離で大きく音程が変化します。
ただ、ギターのフレットに当たるものがありませんので、音階そのものは耳さえ良ければ、自分でアンテナとの距離をコントロールして、どんな音階でも弾くことが出来ます。
ピアノが平均率といいながら、一般的に高音はより高く、低音はより低く調律されており、実際には移調しても同じ響きにはならず、調ごとにキャラクターの違いが存在するのと違い、完全な平均率や純正律の演奏も、鍛錬さえ積めば可能です。
実際にそこまで演奏出来るようなるには、相当鍛えられた音感と、身体能力が求められますが・・・。
なお余談ですが演奏上の裏技として、音程アンテナそのものを外してしまうと、通常最高音と考えられているよりも、さらに高い音を出すことが出来ます。
見た目のインパクトが大きいので、即興演奏の時などたまに披露します(笑)
安斎利洋
2009年08月03日 02:21
ピアノの調律の話で思い出したんですが、平均律と純正音律を混ぜた調律がありますね。『複合純正音律ピアノのすすめ』という本がある。検索すると
http://
s4.in12
.square
start.n
e.jp/mu
raron18
.htm
とか、
自分の日記もでてきた。これの最後のほう。
http://
cambria
n.jp/an
zai/mix
i/diary
/247449
6.html
さかいさんは調律もいじってたりして。
Hanna
2009年08月03日 20:18
うーーーん。
読みながら、twitterってある意味マスメディアに近いな、と思ったのですが、その理由が思い出せません。
少年団の親子レク明けで、脳が半死状態です。
また戻ります。
テルミンのお話も、単語を補充してからじゃないと理解できないので、また戻ります。
Hanna
2009年08月04日 06:14
>twitterで思うのは、自分の放つ言葉は、他人のそれぞれの時間軸の一部として再構成されるのだな、ということ。
mixiよりも、twitterのほうがそういう傾向ないですか?
音の「消えもの」的な側面がより強調される仕組みだと思いました。
Ongに戻りますが、口承文化では、
思考過程がmnemonic(記憶しやすい)スタイルに縛られる、
音の特性である、内面性interiorityに触れ、
「sight isolates, sound incorporates」と述べています。
twitterは、文字数の限定と下から上に、というスタイルでこのあたりを前面にだそうとしたのかな?
私にはまだわからないのは、そうだけれども、mixiのほうがincorporatesしませんか?という部分です。
多分、ここは不特定多数への発信になりずらいからなのでしょうね。安斎さんのように全体公開にしたとしても、少なくとも特定(の多数)と双方向コミュニケーションする結果がついてくる。
あー、だから、twitterのほうがマスメディアに近いな、と思ったのか。一方向で、つぶやきが勝手に増殖していっちゃうから。そこのところは、しっかりliterate&visualな特性ですね。
やっぱり新しい形なんだ。おもしろいー。と、一人合点(笑)
やっぱり私にはtwitterは無理です。不特定多数への発信には興味がもてないんです(なのに、なぜマスコミで働く??)
Hanna
2009年08月04日 06:22
平均率や純正律、ぐぐってみたものの完全には理解できないのですが、
さかいさんのコメントで、あーーーそうだったのか、と気づいたことは、
私の音楽教育は、知らないうちに調律されていたんだなーということです。「ドレミ」に合わせることしか習わなかったな〜?ヤマハ教室で始まりましたから。きゃーひどい
私の他の音を返してクレー。
テルミンは、一度だけ生で演奏を聴いたときのことを思い出しました。あの、ぽよわわわ〜〜ん(すみません、ひどい表現で)という「ゆらぎ」と、空に消えていってしまった高音の正体が、やっと今わかった気がしました。確かに、アンテナをはずすと・・・ってやってました。
Hanna
2009年08月04日 06:29
全く脱線ですが、さかいさんは札幌ご出身なのですね、私も生まれてこの方ほとんど札幌ですから、どこかですれ違っているかもしれませんね。
Hanna
2009年08月04日 06:37
>メッセージが揮発していくtwitterは、私と私の乖離がないので、ほっとする
今頃になってですが、これは、
「乖離」が自分の手を離れていって戻ることがないから、
じゃないでしょうか?
でも、この場合の乖離はdissociationであって、最初の安斎さんのいう乖離はdetachment?
うさだ♬うさこ
2009年08月04日 12:04
鎮痛剤(モトリン)のオンライン広告事件というのが去年話題になっていて、
YouTubeにこんな動画が載っけられています。
http://
www.you
tube.co
m/watch
?v=LhR-
y1N6R8Q
とにかくひたすら、広告に対するお怒り、ご批判の「つぶやき」が
次から次へと映し出されるだけなのですが。
結局、広告は取り下げになり、鎮痛剤メーカー(ジョンソン&ジョンソン
の子会社)の取締役が謝罪文を発表したらしいです。
使いようによっては、こわいメディアですね。
安斎利洋
2009年08月04日 15:01
クレーマーのクレームというのは、原理的に独り言ですね。相手はどうでもいい。
こういうのは、そのうち誰も相手にしなくなるから、話題になり続けることはないんじゃないかな。人間は瞬間的に愚かだけれど、時間をかけて正気を取り戻す力がある。
メディアの特性というのは、愚かさを誘発する力と、正気をとりもどさせる力と、どっちも必要だと思うんですが、twitterはむしろ「まつり」「炎上」は起こりにくいメディア特性なんじゃないかな。
twitterは双方向リンクではなく、すべて片方向の矢印つきのリンクで、親密な友人はたまたまA→BとA←Bが両方あるけれど、片方だけの場合も多い。つまり、聞きたくないtweetは聞かなくていいし、retweetして広めなくていい。
むしろmixiニュースのほうが、おろかさを誘発しっぱなしという感じがある。
安斎利洋
2009年08月04日 15:32
Hannaさんのテキストは、整理されないまま書き出されるから面白い。これって、twitterですよ。
twitterの特質は、まだ整合していない思考プロセスを、他者に流し続けるテキストの形式、ということだ思う。
オングが分析したオーラルvs非オーラルという二項対立だと、twitterは説明しきれないかもしれませんね。
twitterの中でも会話は起こるけれど、基本的に片方向の有向グラフの複雑なネットワークで、ブロードキャストのような単純な有向グラフでもないし、演説を聴くような特異的な中心もない。また、すべて人対人の双方向リンクであるオーラルコミュニケーションのネットワークとも違う。
電子メディアは、フォーラム型、ホームページ・ブログ型、SNS型と流行が移ってきて、いまはtwitter型。これって単純な進歩ではなく、いろんな過去にあるコミュニティの型の、再構成ですね。本を書くのとブログを書くのは似てるけれど、1行だけで出版できる本を誰もが四六時中出版できるシステムがtwetterだということもできる。つぶやきというとオーラルっぽいけど、実はマイクロ出版なのかもしれません。
だからtwitterの新鮮さは、つぶやきという点ではなく、整合していない思考プロセスを他者に流し続けるテキストの形式ということなんじゃないか。いま書いているこのテキストだって、ある程度、整合的で無矛盾である配慮が(いいかげんですが)なされつつ、放たれるわけだけれど、頭に浮かんだ思考がそのまま他者と共有される。
私と私の乖離は、本物の私が虚構の私と乖離するということじゃなくて、架空の私Aが、架空の私Bと乖離するということ。AとBの整合を求められるテキストの形式の中では、乖離がだんだんつらくなる。twitterの場合はAとBが優劣なく向かいあい、乖離し、剥離していく。自分の中で、ポリフォニー、それも過去にはじまった声部がどんどんフェードアウトするような、フーガのようなポリフォニーが生まれていく。
安斎利洋
2009年08月04日 15:51
>Ongに戻りますが、口承文化では、
>思考過程がmnemonic(記憶しやすい)スタイルに縛られる、
これって書かなきゃ覚えられない、とか、機械語のニモーニックから連想すると逆説的に聞こえるけれど、落語家の噺のうえにたちあがる独特の時空は強く印象付けられる、というようなことだろうか。あるいは、単純な繰り返しとか?
twitterの時間軸にたちあがる、独特の時空間というのはあるけれど、あまり記憶や印象に残ることへの配慮はないですね。ここはひとつ、twitter論の糸口かも。
安斎利洋
2009年08月04日 15:58
>知らないうちに調律されていたんだなーということです。「ドレミ」に合わせることしか習わなかったな〜?
ドレミを強烈に調律されているから、僕らの脳は、ほかの音律に非常に鈍感になっています。
同じことが、視覚にも、ものの考え方にもあって、音律はいいメタファーになる。
沖縄の音楽に限らず、ほとんどのネイティブな音楽は移調できるできないの拘束が非常に大きい。移調できない、といったほうがいいくらい。もちろん、音の高さを移動することはできるけれど、そのときに、ハ長調のシと、ト長調のミが同じ音、のようなことはない。
それを同じと仮定したのが平均律で、豊かな響きを失ったかわり、逆に豊かな幾何学を得ることができた。
まさに西洋的です。
Hanna
2009年08月05日 06:01
>Hannaさんのテキストは、整理されないまま書き出されるから面白い。これって、twitterですよ。
(笑)独り言と妄想は得意分野ですから?私の口と脳は直結してるはずです。しゃべらないと考えられない、書くのもその延長で、書きながら考えるし、考えながら書く。だから、例えtwitterを使っても、一人mixiしてるはずです(笑)
しかしその心境は、棒切れを投げられくわえて戻ってきたらまた投げられ、ついついとってきてしまう犬。しかも「え?今度のって・・・枝?幹じゃねぇか??これも、とってこいってか??」と息切れ気味、でもやめられない
>オングが分析したオーラルvs非オーラルという二項対立だと、twitterは説明しきれないかもしれませんね。
Ongが今頃、「古い文献ばっかり引用するなっ」と怒っています。当時のエッセイ課題が「oralとliterateの比較」だったため、こうなりました。今ここでの議論はまさにsecondary oralityなんだと思いますが、それについてはまとめで触れるだけしかできず、ついては文献も読み込む時間はありませんでした。
>書かなきゃ覚えられない、とか、機械語のニモーニックから連想すると逆説的に聞こえるけれど、
そういうニュアンスがあるのですか?単に、「記憶しやすい」だと思います。「記憶」=頭の中、「記録」=書く、とかvisualというイメージです。だから、歌や韻を踏む、そういった形が口承文化に多い。もちろん、文字文化にもそれはありますが。
マクルーハンが、「メディアは拡張だ」と言うように、
Havelockは、文字文化の効用を
記憶、つまりリズムの必要性、心理エネルギーに使う「脳の力」をかなり食っていた、憶えるという必要性を抹消し、「人間の精神に膨大な知識の拡大を享受させた」
と言っています。これが、記憶の外形化と私が前に言った意味です。
Hanna
2009年08月05日 06:08
>電子メディアは、フォーラム型、ホームページ・ブログ型、SNS型と流行が移ってきて、いまはtwitter型。
現在のtwitterにつながる動きには、もともと「記憶媒体」として生まれた文字を、会話や思考プロセスそのものに取り込もうとするパワーが感じられます。「拡張の第○段階?」、マクルーハンを読みたいですね。そして、そこにoral文化の特性が復活してきているところをみると、やはり人間はコミュニケーションで思考する動物なのかな?
文字文化の浸透にも、技術革新の影響がまざまざと現れていて、
-紙の発明で「文字が軽さを獲得」し、移動が容易になった、
-西洋ではアルファベットが文字を民主化し、識字力をもつ聖職者=scriblerから教会権力(=識字権力)を剥奪した
*ここのところは、映画「The name of Rose」(ショーンコネリー)がばっちりです。私は課題疲れと英語の難しさで途中寝ちゃったけど。
-さらに、印刷技術で、さらに大衆文化化した
と段階を踏んでいきます。
電子メディアのコミュニケーションも、
-一部の人・権力者(比ゆ的です)だけが使えるフォーラム
-ある程度、技術をもった人が作れるHP、ブログ
-PCさえあれば誰でも使えるし、SNS自体の媒体力を借りて輪を広げられるSNS
-携帯でも全く困らないtwitter
みたいな?似たような広がり方してませんか?してみると、これも民主化だっ!と誰かが西洋で叫んでいるのでしょうか(笑)
そろそろ、Ongの最新物が読んでみたくなりますね。
(また山が増える・・・)
今日から
なので、しばし自分をmixiから解放します!
携帯mixiも見ないぞっ!(ほんとか?)
安斎さんのささやきには耳をふさぎますっ
Hanna
2009年08月05日 06:10
>twitterの時間軸にたちあがる、独特の時空間というのはあるけれど、あまり記憶や印象に残ることへの配慮はないですね。ここはひとつ、twitter論の糸口かも。
でも、これについては、考えちゃいそうです
安斎利洋
2009年08月06日 02:46
ニモーニックの話は、いろいろ書きたいことがあります。
>記憶、つまりリズムの必要性、心理エネルギーに使う「脳の力」をかなり食っていた
というのはまったくそのとおりだと思うけれど、たとえば「記憶としてとどめておきたいことは歌う」のような自然ななりわいのなかでは、決して負荷ではないんじゃないか、と。むしろ、外部記憶をもってからの人類のほうが「記録せねば」強迫観念にとらわれているのかもしれません。そういう呪縛から逃れて、いわば忘れる技術としての揮発系メディアがもてはやされるのかも。
いろいろ書きたいけれどまたあとで、のつもりが、書いてるな。
僕もこれからドザまわり(九州でイベントなど)があるので、旅先で時間のあるときに、ぼちぼち先を考えます。
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