[Eclipse2007]
2007/07/27 - 2008/03/19
太陽の明るさを月が隠すと、普段太陽本体の強い光のために見えないコロナやプロミネンスが、太陽周縁にはっきり姿をあらわします。たとえば目の前の机を机として見てしまうことを太陽の強い光にたとえるなら、それを月が遮蔽する日蝕は、日常のあたりまえの「見え」を、あえてそう「見ない」ことに相当します。カンブリアンゲームセッション「蝕eclipse」は、登崎榮一、中村理恵子、安斎利洋の3人が、机を机として見ないことによって姿をあらわす日常のプロミネンスにカメラを向け、切り取ってきた「反風景」の連鎖です。したがってここにある写真に人間や建物が写し込まれていても、それは人間や建物ではありません。登崎はウィトゲンシュタインの風景相盲、中村は神話的カオス、安斎は連鎖するクオリア、三者三様の思いを「蝕」に託したイメージのポリフォニーがここに成長しました。
(『創発するネットワーク~安斎利洋・中村理恵子と仲間たち展』2008より)