安斎利洋の日記全体に公開

2006年03月07日
01:29
 cambrian幼年期の終わり(mell報告)
成長するシステムには、幼年期、成年期を経て老年期へといたる道があって、「自分は○○である」と言明するのが成年期の特徴だ。でもそれは「自分は○○以外はやらない」という枠を作ることでもある。

だからまだ幼年期の cambrian のシステムに○○はなく、もしかするとこれはパワポを駆逐する知識ツールかも、なんていうアンビシャスももっている。しかし実際それをやってみると、未成年特有の喜びと痛みを同時に味わったりすることもあるんだよな、という2日間のMellProjectシンポジウムが終わった。

1日目第1セッション

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4人の登壇者のプレゼン資料を、すべてひとつのカンブリアン空間に収める試み。吉見俊哉(敬称略、以下同様)が、自分の仕事の構造を空間を追って見せたところなどはなかなか秀逸で、これは成功だったと思う。

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が、4者の樹をその場で有機的にリンクしてみせるという試みは、しだいに絡みあうスパゲティが出来上がるばかり。

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吉見さんから「3Dにしないとわからない」という指摘も出てきたところでコメントを求められ、「これは新規な情報の生成をサポートするツールで可視化ツールではないのだ」と反論。しまった、可視化ツールに見せているのはこっちだった。

1日目第2セッション

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ワークショップはうまくいった。scan snapを使った手書きカードの入力は、紙を入れると画面から沸いてくる感覚で、思いのほかたくさんの人のアイデアをかきたてたみたいだ。

2日目

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Mellシンポ中のすべてのリーフを、象徴的にひとつのシェールにまとめてみる。「それって何か意味あるの?」という指摘をみやばらさんから受けて、しまった、確かにこれはなにか間違ったと気づく。

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(撮影 中村理恵子)

そんなこんなの最後に、舞台裏でソウル大学の姜明求からの熱烈な要望を聞きながら、だんだん頑なに「cambrianは○○だからそれは出来ない」という言葉が自分から出てきはじめた。僕はアナキストだから、強い制御でリーフを整列されるのは趣味に合わないというと、韓国民主化運動の活動家であった姜さんがプっと吹く。

思えば、ほとんどアーティストの水越伸といっしょにはじめたMellのカンブリアン。しかしこの湖のやや深層には社会科学の水が強く流れていて、いつの間にか、作ることではなく見ることに足をすくわれまいとしてふんばっている自分を発見する。

さてcambrian幼年期は、かくして終わろうとしているのだろうか。
いやいや、誰もが納得するモラトリアムの方法がぼんやり見えたような気もする。
 

コメント    

2006年03月07日
01:46
ヒマナイヌの川井
ギクシャクした文章がとてもおもしろいです!
2006年03月07日
02:09
安斎利洋
ギクシャク感を読み取っていただけて本望です。
そういえば川井さんに初めて会ったのはmell@安田講堂でしたっけ。
2006年03月07日
02:14
あ っ こ
安斎さんのこの日記の文章はそのままですごく面白いし、なんだか新しい生卵買って来た日の楽しみがいっぱいな感じが出ているようなきがしました。ゆでようか、スクランブルかオムレツか???ひよこか????
ご本人はとってもシンドイかもしれないのにね。(ごめんちゃい)

とにかく無事のご帰還なによりです、まずはユックリしてくださいね。よれよれな安斎さんが見えるようです。
2006年03月07日
02:21
安斎利洋
生卵を買ってきた日にそれほどわくわくできる人も、珍しいかもしれません。いや、卵っていうくらいだから、比喩的にも卵なんでしょうね。

>よれよれ
あと数回爆睡しないと、ギクシャク感がなめらかになりません。
2006年03月07日
07:23
MERC
安斎さんのじれったさや、それに呼応するコメンテーターの暖かくも鋭い眼差しに敬意を表したい思います。
思想や、思考の流れ、話題の展開にカンブリアン樹を用い視覚化する。独特で美しくもあり、直感に訴える優れた方法だと思います。
きっと映画や小説を作るとき、一番最初はこういったツリー構造で全体の流れを捉えたりするのでしょう。
脳内の樹状突起もこのような構造で記憶を蓄えたり、連携させたりしてるのではないかと思います。
しかしそれだと、世の中森羅万象をこの樹状構造で表現するなら、少なくとも、ヒトの脳ミソくらいの処理能力が無いと難しいかもしれませんね。
2006年03月07日
08:52
中村理恵子
>誰もが納得するモラトリアムの方法
むほほほ。こりゃーずいぶんな矛盾ともどかしいくも芳醇な香りの言葉だこと(笑)。
昨日から、今日、とりあえず保留してある雑事の処理の順番をふとんの中でもぞもぞ考えなら(やれやれ)、
「なんか窮屈な流れだなー。飛躍ないなー。」とうつうつ感じてて。
しかし、これってとてもチャンスなんだよねとにまり。
この圧がもっと高まると、どうしようもなくて、ついぴょっと足があらぬ方向にはみ出すと思うのね。
それ大事にしたいよね。そこには、きっと平板でないアートや、自分が活きる地面の端っこが足先に触れつはずだよ。
もっと、圧よ高まれ〜(笑)。
むほほほほー。こいこい、圧よ。違和感よ!。
2006年03月07日
11:49
あ っ こ
オケツでも乗っけてみようかな〜〜〜圧高まるように!!★プニュ〜〜〜ッて だはは
2006年03月09日
09:57
ユミ
カンブリアン幼年期どころか「卵」の状態を楽しんでます。
こどもたちとねカンブリアンとかマチスとかやってみるとね、[自分のオリジナル]を飛び越えて他人の感性のビーグルに、するりと飛び乗って[もっとワクワクなオリジナルが出来てしまう偶然]ってやはり新しい「楽しい」です。
まだまだ頭の固まっていない彼らが「個」を超えたところの「表現」を体感するのって自分ではやってこなかっただけに、どんな「種」がそのやはらかい灰色の脳細胞に植え付けられたのか興味津々。
そのはじめの一歩と成長点のその最先端、際ででくろーする安斎さんや、にまりとするセンパイを見ていると、これはすっごく刺激的。なにせ生成途中のなまものなアートの一端に触れるチャンスを彼らは握っている訳ではないですか!

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