安斎利洋の日記
2006年03月02日
00:03
I Lost A Sock
最近流行っているテープを逆再生する音響効果は、考えてみると不思議だ。
逆再生したピアノの音は、オルガンのように響いて、音が立ち上がるような特別な瞬間がない。突然消失する音は、どうして突然出現する音のように心を刻まないのか? それが不思議だ。
なにかを失うことは、なにかを得るときのきらめきはなく、オルガンのような余韻だけを残す。Bang on a Can の "I Lost A Sock" は、ひとつひとつ無くしたものを羅列するだけなのに、なぜか深くさびしい。
バッハの「フーガの技法」は、バッハが死んだところで突然終わる。演奏家はみなその突然の終わりを、敬意をもって終わりのまま放置する。あの終わりの後の時間を、何度も繰り返し味わいながら、死ぬというのはこういうことなんだろうといつも思う。
断ち下がる音のように、死ぬ瞬間にはなんの必然もドラマもない。無数のドラマの繋留音を聴きながら過ごす、無音の時間。
10年前、連画の展示を観に来てくれたとき、一度だけ会って食事をした中村さんの従妹が亡くなった。2歳になる子どもを残して、苦しい最期だったそうだ。
なんだか、心が詰まる。
I Lost A Sock
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an.org
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bjects
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Lost Objects - Bang on a Can
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コメント
2006年03月02日
00:40
godzi2
>死ぬ瞬間にはなんの必然もドラマもない。
私の大好きな「オール・ザット・ジャズ」をNHKでやってました。
死ぬ瞬間を30分以上、強烈な音楽とダンスで見せてくれてました。
やっぱり凄い!
2006年03月02日
00:56
バッハが突然楽譜から消えたような死に方は、他人からみるとそう見えるのかもしれないけど、本人的にはそうはいかないのかもしれないですね。
誰が、いくつになっても、そんなに悟りはひらけないですよね、きっと。
中村さんのいとこさんのご冥福をお祈りします。
2006年03月02日
00:59
びすけっと
子音があるけれど,その逆(音が消えるときのバリエーション)がない.
舌や口の構造が,音のとめ方のバリエーションを豊富に
できなかった.
> 2歳になる子どもを残して、苦しい最期だったそうだ。
こういう話を聞くと,いたたまれません.
生まれ方のバリエーションよりも,亡くなり方のバリエーションの方がずっと多いですね.
2006年03月02日
01:17
たまたま最近あるマイミクさんの9つの娘さんが
『生きている意味ってどうやるとわかると思う?』と聞いてきたそうです。その人は答えあぐねていると
『私はね多分死ぬ瞬間にきっとわかるんじゃないかと思うの』とすごく大人びたことを言ったそうです。
2歳になる子供のことや、苦しい最後を思うと、
胸苦しい気持ちになりますが、
ずっと続くはずであった時間が途切れたことは他から見ると
悲しいけど、二才までの子供に出会えたことやそれまでの彼女の人生はきっと幸せであるとせめてそう思いたいです。
中村さんのいとこさんの魂よやすらかに。
2006年03月02日
01:25
安斎利洋
>子音があるけれど,その逆(音が消えるときのバリエーション)がない.
周波数成分はいっしょなのに、周波数成分の現れる順番のほうが認知的には大事なんですね。
物が何かに衝突して起きるような音は、はじめはカオス的だけれど、だんだん単純な倍音構造になっていくから、それを聞き分けるように聴覚が出来上がっているのかもしれません。だんだん複雑になる振動は、聞こえなくても問題なかったのでしょうね。
>生まれ方のバリエーションよりも,亡くなり方のバリエーションの方がずっと多いですね.
人生の方は、むしろ単純なのは生まれたときだけ。
2006年03月02日
02:20
ikeg
人生の味わいが、記憶のしまわれたコンテントではなくて、ちりばめられたパターンそのものにあるとしたら、TMSでもあてて変化させたら面白いか。なのだから、終わるべき「人生」という流れはない。宗教はむしろそちらをとりあげるべきですね。ちょっと話がみえないかもしれませんが。
2006年03月02日
02:32
安斎利洋
オウムのヘッドギアって、未来の宗教のスタイルとしては、ありかもしれませんね。
2006年03月02日
06:49
MERC
>最近流行っているテープを逆再生する音響効果は、考えてみると不思議だ。
オカルト映画、エクソシストを思い出しました。
悪魔に魂を乗っ取られた主人公リーガンは、テープを逆回転させたようにしゃべります。
現在から未来に向けてしゃべるのではなく、逆に現在から過去に向けて逆回しに(未来から現在に向けて逆回しでしょうか?)
それは確かに人のしゃべる言葉には聞こえず、悪魔のささやきに聞こえて鳥肌が立ちました。
この映画のテーマソングであるマイク・オールドフィールドのチューブラ・ベルズっていう延々と続く終わりのない曲もショッキングでした。
始めと終わりが繋がっているような。
人生には突然の終わりはなく、人が死んだ後も連綿とドラマは繋がっていることを暗示するような。
I Lost Sock もの悲しい歌ですね。喪失の悲哀を淡々と紡ぎ出す。幸せの王子のように失いつつも、最後は炎でも溶けない心が残ればと思います。
中村さんの従妹さん。ご冥福をお祈りします。
2006年03月02日
08:07
中村理恵子
>中村さんの従妹さん。ご冥福をお祈りします。
みなさま、ありがとう。
朗らかに、葬式の朝を迎えています。
郷里の北海道から父方の兄弟たちもやってきて年若い従妹を見送ります。
順番でいけば、自分たちが先なのに、、、、という思いと、もし自分の子供だったらという思いと。
しかし、正直な気持ちとして、こんなことでもないとなかなか集まれないってのもあるかな。
2歳の子は、ぜんぜん状況がわからず、つい一昨日までおっぱいにすがってたそうです。
最後まで、母乳を与えようとしてて手に力が入らなくなって亡くなったらしい。
最後まで、死ぬ気はなくて、がんと共生しようと研究中だったそうだよ。
親族全員、だれひとりとして、まだ実感をもてないので、ひたすら朗らかです。
これから、出棺して焼き場にいって、骨拾っても、脳裏には、従妹がまだまだいきいきしてます。
生と死って整合しないね。
2006年03月02日
11:51
Yuko Nexus6
従姉妹さん、やすらかに。。。
そう、私の従兄弟も若くして亡くなりました(過労の末の突然死)。「信じられないけど、そんなこともあるのだな人生」というのが私の感想でした。従兄弟の弟が喪があけてから結婚したのですが、その披露宴は亡き兄に捧げられていて、なんというか珍しくも素敵な披露宴でした(亡き父や母に捧げる、というのはけっこうよくあるでしょうが、若かった兄に。。というのは。。)。
リバースサウンドについてのコメント
リンチの「ツインピークス」ドラマの最終回には、逆回転した世界が出てきますね。
2006年03月02日
16:34
安斎利洋
>>子音があるけれど,その逆(音が消えるときのバリエーション)がない.
で思ったんだけれど、英語のように母音子音のある言語のネイティブは、終わりについての感覚が違うんじゃないだろうか。リバースサウンドのピアノも、子音母音しか知らない日本人とは違う聞こえ方をしているのかもしれない。さらに言うと、母音子音の文化は、生死感が違うかもしれない。
2006年03月02日
16:44
安斎利洋
>悪魔に魂を乗っ取られた主人公リーガンは、テープを逆回転させたようにしゃべります。
>「ツインピークス」ドラマの最終回には、逆回転した世界が出てきますね。
逆再生するとちゃんと聞こえる言葉をしゃべる芸や、逆再生すると正常になるパントマイムとか、ありますよね。混ぜているとみんな白面になるオセロのコマ、というビデオがありました。単に逆転しているだけだったけれどちょっとビックリする。逆からも読める小説があっても面白い。
>生と死って整合しないね。
本当に。
2006年03月02日
18:04
中村さま
>親族全員、だれひとりとして、まだ実感をもてないので、ひたすら朗らかです。
よかったです。もしその人の人生やそのまわりの人達が不幸や苦しみに満ちているとしたら、朗らかさはどこを返してもでないとおもうし、きっとしあわせだったのですね。
2006年03月02日
20:18
nao
安斎さんの日記をお借りして...
(しつれいします。)
中村さんの従妹さんのご冥福、心よりお祈り申しあげます。
従妹さんの最期のとき。
お子さんをおもうその気持ちに胸がつまりました。
中村さん、ご家族のみなさんに、すこしずつやわらかい時間が流れますように...。
2006年03月02日
20:51
安斎利洋
>ひたすら朗らかです。
僕の親父が死んだときに、僕は葬式でニコニコしていたような気がします。葬式ハイっていうのがあるそうですが、旧友に会えたり、葬儀屋という商売を観察するのも面白く、銀行口座から人格が消えるとか、怪しげなあったことのない親戚が来たり、面白くてぼーっと自分と向き合ってなんかいられません。
葬式で朗らかなのは、まさに生と死が整合していないからで、だんだんそのつじつまが合ってくるころに、とてつもない悲しさに襲われます。
2006年03月02日
21:14
nao
中村さんの言葉
>生と死って整合しないね。
安斎さんの言葉
>本当に。
を考えていました...。
今よりも、少しずつ少しずつ時間がたってきたときに、
今からは想像もできないような悲しみがやってくるのかも
しれないな...。
そんなことを思って。
そのときに、その悲しみが少し少しでもやわらいだらいいな
と思ってお祈りの気持ちをこめました。
それが、生と死が整合してくるということなのですね。
とてもとても胸が苦しいです...。
2006年03月02日
23:49
中村理恵子
みなさま、ありがとう2
最後のお別れ;出棺のとき、遺児は、「ばいばーい。」と母親の額に手をおいて言い(大人一同どきっとして)、わたしは思わずデジカメをとりだして撮影してしまいました。
一瞬のことだったけど、今日のベストショットとして残りました。従姉妹の両親には、不快だったろうか?
そのときのわたしの正直な気持ち、散々に整合性なし。
そっと頬に触ってみたら、とても冷たい。
でも、意外にも雪見大福のように柔らかい。
自分の頬を触ってみて、もう一度従姉妹の頬に触ってみて。
柔らかくて、冷たい。
そして次の瞬間、一歩退いて撮影してました。
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