安斎利洋の日記全体に公開

2006年02月25日
15:17
 方法=作品 はもう古い
CGが面白くなりはじめた頃、それまで絵とか動画というパッケージが表現の最終形態だと思っていたのに、むしろ「レイトレーシング」とか「物理シミュレーション」といった「方法」が立ち上がってきたのを感じた。もう、絵を一枚描いてもしかたない。これからはアルゴリズムそのものが作品で、展示されているのはたまたまひとつのリプリゼンテーションだ、という考え方に至り、rec*repの有馬さんの仕掛けた展覧会でAlgorithm-Representation作品を展示したり、
『ALife World』展(1993東京国際美術館)
http://www.renga.com/anzai/images/ALW18.jpg
アーティクルを書いたりした。
『CGというアートの方法について』(日経CG1994/12)
http://www.renga.com/anzai/nikkeicg/nikkeicg.pdf

時は流れて、いろんなことがあって、連画はカンブリアンになり、rec*repも試演というフリーハンドの模索をはじめたりして、最近思うのは「方法」というパッケージがあらゆる局面でプラグイン化してきたいま、ひとつの方法を作ってもしかたない、という15年前と相似形の思い。

この方程式を解くと、必然的に見えてくるのは「方法」を作り出す「○○」だ。

○○を埋めよう。
 

コメント    

2006年02月25日
15:30
安斎利洋
写真は、『Ramblers/迂回好きな人々』1993(アルゴリズム-リプリゼンテーション作品)より、ひとつの表象。
プリントアウトして組み立てると立体になります。オリジナルサイズはここ
http://www.renga.com/anzai/images/ramblersdm.jpg
作品本体は、以下のテキスト。

They sprout on the land of pixel space.

They wish to grow without bending,
but inhibit themselves from cutting each other.

They repeat trial and error;
they grow and branch only when they achieve adaptation.

They slowly become less willing to grow straight,
and begin to coil.

When they are exhausted to a certain degree,
they stop to grow and die.

彼らは画素空間の土地に発芽する

彼らは曲がらずに伸びたいと願うが
他の枝と交差することを嫌う

彼らは試行を繰り返し
適応する形をみつけると成長し、分岐する

彼らは疲労すると、しだいに曲がることを許容し
蔓巻き始める

彼らは疲れ果てると成長を断念し、死ぬ

2006年02月25日
16:36
H.耕馬
メタ
2006年02月25日
17:12
なさ 飛鳥井
無限後退ですね。
2006年02月25日
17:36
安斎利洋
僕はむしろ無限後退したいですね。

でも、芸術はただ人間の脳に追いつこうとしているだけで、どこかにゲームオーバーがあるのかもしれない。
2006年02月25日
17:47
なさ 飛鳥井
なんでメタがいいのだろう。
人間の意識もメタなシステムですね。
2006年02月25日
18:04
びすけっと
メタを記述するためにメタメタというのが必要で,
メタメタを記述するために,メタメタメタが必要.
その無限を止めるために,メタ^n とメタ^(n+1)を同じ
言語で記述して,必要に応じてそのメタを生成する.

あと,デザインパターンというのもありますね.
2006年02月25日
18:12
安斎利洋
>メタ^n とメタ^(n+1)を同じ言語で記述して

言い換えると無限後退を対象化するというか、メタ化するプラグインを作るというか。でもそれもメタに後退しないと見えない。
2006年02月25日
18:17
安斎利洋
>あと,デザインパターンというのもありますね.

新しいデザインパターンを生み出すデザインパターンデザインが必要になりデザインパターンデザインパターンが抽出され、、、以下同様。

なんでメタはいいのだろう。
2006年02月25日
21:57
びすけっと
> 言い換えると無限後退を対象化するというか、メタ化する
> プラグインを作るというか。でもそれもメタに後退しない
> と見えない。

こういう構造がメタ階層のデザインパターンですね.

> なんでメタはいいのだろう。

何にもわからなくても,わかった気になれるから.
1つ上のメタと一言で片付けちゃってるけど,
DNAの解釈とか脳の結線図とか,わからないことだらけ
なのに.
2006年02月25日
22:56
なさ 飛鳥井
意識で言うと、最下層がセンシティビティとしての覚醒(arousal)、次に知覚意識(awareness)、最上層が自己意識(self consciousness)。
自己意識は自己を対象化して無限後退する。

メタとしての意識はある種の自分を変える仕組みですね。
2006年02月25日
23:02
安斎利洋
>こういう構造がメタ階層のデザインパターンですね.

もしかすると僕はよくわかってないかも。デザインパターンを生成する階層のデザインパターン、というのがすでにあるんですか?
2006年02月25日
23:07
びすけっと
メタは,すべての層についているんですよ.

たとえば,脳の右側に温シップを貼って,部分的に温度を
上げると,そこだけ化学反応速度が変わるので,下の層の
現象をコントロールできるかもしれない.左脳は冷静だけど,
右脳だけ熱にうなされている状態.

磁力線のビートを飛ばすヘルメットをかぶったミュージシャン.
2006年02月25日
23:22
安斎利洋
>メタは,すべての層についているんですよ.

すべての層にメタな層があるのはわかるんですが、デザインパターンのように定式化できているんですか?

温シップは面白いですね。でも、会議に行き詰ったら飲みに行くっていうのも、一種のメタデザインかな。
2006年02月25日
23:23
ikeg
UTMを超えるのは、形か物差し、ではないかな。
クオリアか。
2006年02月25日
23:52
安斎利洋
>UTMを超えるのは、形か物差し

びすけっとさんの作った「ヴィスケット」は、オブジェクトとオブジェクトの相互作用をデータベースがもっていて、位置関係によって発火するルールによってオブジェクトが動くわけですが、書き換えの範疇ですね。

もしオブジェクトが形と形の相互作用として動作して、物理シミュレーションがサブセットになるような万能形計算機械が作れたら、きっとすごいことになる、という夢想はヴィスケットを見たときからずっと抱いているんだけれど、なかなか実装のイメージが降りてこない。
2006年02月26日
01:33
びすけっと
> すべての層にメタな層があるのはわかるんですが、デザイン
> パターンのように定式化できているんですか?

プログラム言語に限定したらありますけど,汎用性は
少ない気がしますね.どんな言語でも分散化するとか.
それが他の記述にも適用できるかというと難しい.

> 物理シミュレーションがサブセットになるような
> 万能形計算機械が作れたら

それ,やりたいですよね.

動き方の例を複数与えて,そこから動きを生成するわけ
ですが,いまは「それらしく動く」ようにパラメータを
手でチューニングしてやってますが,自動チューニング
というのが一つの鍵かなと思っています.
2006年02月26日
01:36
natureだけがそれを成している。
2006年02月26日
01:55
安斎利洋
地球は地球シミュレーター。

形計算機実装のカナメは、簡約性ですね。同じ分子の数と同じ時間が必要な問題は、解くまでもなく生きみるしかないわけだから。
2006年02月26日
02:00
安斎利洋
>メタとしての意識はある種の自分を変える仕組みですね。

だんだん歳とってくると、美術家や音楽家の履歴をつい見てしまいます。一生自分を書き換える仕組をもっている人の歴史を見ると、元気出ます。
2006年02月26日
11:00
N_apostrophe
>一生自分を書き換える仕組をもっている
しばらくスキーの教習を受けに行っていたらみなさんずいぶん形式論議を深めておられたのですね。
教習と言いましたがコーチの投じた一言と、たまたま同宿した体育の授業に講義に来た教授の講義(盗み聞きしました)とが、それを研究に代えてしまいました。
いままでこうした教習は、運動(骨格の時間的変化)をパターンとして教えるものなのです。これを固定してその運動と骨を動かすために必要な筋肉を鍛えたり、筋肉の弛緩・固化とその順序を自動化するよう鍛えます。安斎さんが言う「方法」はこのパターンに対応するとすると、先の二つの投石がパターンに疑いをもたらしました。
簡単に言うとそれまでのパターンが股関節を曲げることから発していた連鎖を無効にしてしまった。またこれがないと大腿骨の前後の関節を曲げませんから、そのための筋肉運動が必要最小限になってしまった。
これはスポーツをする人間を変えてしまいます。キン肉マンから「弱者タイプ」(青白インテリ風)へ。
このとき変化をもたらしたのはいわば哲学です。
自然(主に重力)に抗して人間が筋肉で制圧しようとしていたことを、それに助けられてこの外力を取り込むものにするという考えです。
この哲学に立つといままでの運動方法は、筋肉を増殖する男性ホルモンおうせいな白色成人男性が勝つためにしかけた罠だったとさえ考えさせます。
丁度今年度の大学の卒業式にスピーチをするチャンスが与えられ(これはもう二度と来ない「栄誉」?なのです!)卒業生に、大学で得たもの(体験や技術や理論)を棄てる勇気を、つまり学士免許を捨て去る用意を求めるつもりだったので、このスキーキャンプは良い機会でした。
「方法」は危ういものです。それを批評するのは「問題の発見」だと考えます。この後者は、とつぜんやってくるようにみえます。
「方法」の上位は「メタ(理論)」ですが、「理論」の上位はわかりません。3次元を時間にひっぱるという4次元さえインスピレーションできないものですから。こんな体験話をしてしまいました。ご容赦。
2006年02月26日
15:53
安斎利洋
今年の卒業生は、儲けましたね。
でも、20代のころはひとつでも多くの制御シーケンスを獲得することに夢中だから、なかなか中川さんの話を体感として理解するのは難しいか、あるいは理解するには早すぎるでしょう。僕はこの話に、楽器の習得と上達を重ねました。ある手癖から自由になったときに、あたらしい連鎖の体験が待っている。
多くの絵描きは手癖で商売をしているし、その手癖に浸りたい買い手がつく。絵描きに限らず文筆家でも教師でも歌手でも、自分が確立したスタイルはなかなか捨てる気になれません。しかしスタイルは自分が確立したわけではなく、いろんな偶然の履歴のなかで付着した汚れみたいなものにすぎない。
手癖の捨て方だって手癖だったりするから、手癖から後退するのは簡単じゃありません。でも、青白インテリ風に滑降したいですね、なにごとにつけ。
2006年02月27日
00:34
ikeg
やっぱり、元気じゃないですかね。メタの上にあるのは。それがないと理論は回せない。元気=理論=方法っていうマーに代わる3階層。
2006年02月27日
03:46
安斎利洋
元気がなくなるのは、だから死ぬほど恐ろしい。世界が消えてしまいますからね。
2006年02月27日
14:27
H.耕馬
元気は癒しとは別のベクトルの上にある。
どちらかと言えば、元気は欲望と近しいかも知れません。。。
2006年02月27日
14:56
安斎利洋
欲望というより、元気は eros です。
2006年02月27日
20:44
H.耕馬
>元気は eros です。

じゃあTanatosは何かな?とググッタラ
http://www.tanatos.jp/ (@_@)

欲望が、desireだったら違うかも知れないケド、passionなら同じっしょ?

2006年02月28日
08:37
ikeg
元気な細胞と元気じゃない細胞の違いはなにか?って昔からよく話してるんだけど、エロスにすると接近できる気がするな。
2006年02月28日
19:17
安斎利洋
形を生み出す力のある形、というのは、たとえば植物の戦略的な形も含めて、エロスで語れるのかもしれません。
2006年02月28日
19:20
安斎利洋
>Tanatos

女王様に出勤日程があるのが、笑った。
2006年02月28日
22:21
>出勤日程
あ、表紙しか見てなかった。
300分のtanatos。。。
2006年02月28日
22:29
あ、それより
>丁度今年度の大学の卒業式にスピーチをするチャンス
聞きにゆきたいなぁ。

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