検索フォーム

エミリー全体に公開
2008年08月29日00:42
エミリーを見ていたら、「見せ下着」を思い出した。

http://www.youtube.com/watch?v=UYgLFt5wfP4

なんでそう連想したのか、あえて説明するなら、ぎりぎりの虚実皮膜なのに、あやういエロスが、消えていくように感じるから。言い換えるなら、「もっとワクワクするはずなのに‥‥」。

耕馬さんの日記で紹介されているこの映像は、注意深く最後まで見ないとからくりに気づかない人がいるかもしれない。耕馬さんによると、最前線はもっと緻密でリアルなので、この程度は驚くに値しないらしい。そんなに遠くない日、専門家が見てもわからないCGが、リアルタイムでインタビューに答えたり、ニュースを読み上げたりするだろう。

ここまで来たんだな、と同時に、こういうことだったっけ? という思いがある。

近松門左衛門の「虚実皮膜論」は、あちこちで再利用されてきた概念だけれど、驚くべきことに、近松はそんなこと一言も書いてないんだそうだ。ドラエモン最終回の都市伝説みたいなものだ。

虚実皮膜は、エロスの立ち上がり方を言い当てているので、人の心をとらえる。たとえば、下着は虚実皮膜だ。虚実皮膜を芸術論用語じゃなくて、「虚実皮膜を着る」と使えば、強力なファッションコンセプトにもなる。

バーチャル・リアリティには、フェチシズムと似たパラドックスがある。フェチは、本体より代理に萌えるわけだけれど、リアリティがバーチャルから立ち上がる矛盾が、萌えを喚起する。技術がリアリティを高めると、実はフェチの臨界を越えてしまって、萌えが消えてしまう。

上着下着の関係性は昔から、下着が上着に昇格する運動を繰り返していて、ワイシャツやTシャツもかつて下着だった。つまり、下着は常に運動のさなかにある。しかし、上着に昇格してしまった見せ下着には、もう虚実皮膜のエロスがない。

皮膜を作る方法より、破らない方法が知りたい。

写真
1610年ごろの男性像↑

コメント

メンタルスタッフ2008年08月31日 02:38
ちょっと話が違いますが、技術がどこまで行ったのかという点で、エミリーのビデオ、「不気味の谷(Uncanny Valley)」を越すどころか、まだ落っこちかけていて、"long way to go"である状況のように思います。
特に、視線のつながりが不自然に感じます。
以下のビデオの中でも、製作者たちは、「進んでいる」とは言っても、「越えた」とは言っていないようですが。。。
http://jp.youtube.com/watch?v=JF_NFmtw89g
このビデオにも俳優本人がちょっと出ていますが、このCGが実物と思われては、俳優業の本人には気の毒でしょう。(だれも当分はそうは思わないでしょうし、それを許容する俳優もたぶんいないでしょうが。)
音声の方にしてみても、ビデオの中の音声は本人の録音そのもののようですし。本物と区別できない音声合成(文字列から作り出すいわゆる規則合成)を実現する技術の目途はまだ立っていないんじゃないでしょうか。つながりの自然さは、状況全体の中からでてくるので、それを実現する困難さは、対話システムでチューリングテストに通るのと同じような難しさなのだと思います。
エミリーにも"long way to go"と言わせているのは、弁解のための布石かなんかでしょうかね。

ただ、実物の演技と区別できないことを目指すのでなければ、技術の使い道はいろいろありそうですね。
youtubeを見ていたら出てきた以下のものは、最近の事情を知らなかったので、面白かったです。
http://jp.youtube.com/watch?v=nice6NYb_WA&feature=related

それにしても、上の男性像のレースや刺繍などの質感は凄いですね。
写真では容易に出せないものなのかもしれませんね。
安斎利洋2008年08月31日 14:15
いい資料を見つけていただきました。たしかにImage Metricsの紹介ビデオを見ると、彼ら自身がまだまだと言っているものを過大評価しておいて、そのうえでがっかりするのは、不当ですね。

ビデオを見てはっきりしたのは、この技術は原理的に「虚実皮膜」にいたることはないでしょうね。猿の惑星の猿顔のように、リアルな顔の上にお面をつけているわけで、違いは素材がゴムかデータかというだけ。実の上に、やや情報の落ちた虚が被っている。

顔の筋肉や皮膚などが、自律的な動きをするなりして、虚の中に実が創発するところまでいかないと、ぞっとするようなエロスも不気味も現れてこないのでしょう。外から形を制御するんじゃなくて、内側に自律的なモデルを作って、中の筋肉を動かすような。

すると、モーションキャプチャから、筋電流に逆変換するようなことが必要になる。声の合成にしても、フーリエ合成的じゃなく、柔らかい空洞を考えるべきじゃないかと。

リアル人間を使わないでチューリングテストと等価な評価が行える仮想人間モデル、というのはあるんでしょうか。
メンタルスタッフ2008年08月31日 18:18
合成音声の「自然さ」については、例えば、関西弁のアクセントを持つ外国人の日本語をおかしな日本語だと思っても、気味が悪い(creepyとかuncanny)とかは思わないでしょう。
変ではあっても、生身の人の現実として了解できるからだと思います。

名古屋地域では、普通の道路の「交通情報」を県警察が提供しています。これは役に立つこともありそうなのですが、これが、(規則合成の)合成音声で作られています。
で、この音声が、(私には)不気味の谷に見事に落ちていて、気持ちが悪いんですね。人の発話ではありえないイントネーションが出てきてしまうからです。

ただ、これも何度も聞いて聞きなれてくれば、その気持ち悪さを感じなくなる、のかもしれません。人間の発声として聞くのではなく、ロボットの声として、世界に定位できれば、それだけのことになるのかもしれません。
私は、今のところは、質のよくないジャンクで世界が汚染されているように感じてしまうのですが。

> リアル人間を使わないでチューリングテストと等価な評価が行える仮想人間モデル、というのはあるんでしょうか。

肯定的に解決されるにせよ、否定的に解決されるにせよ、知能の研究(認知科学)がどこまで進むのかということだと思いますが、音声合成の現状を一つ見ても、答えはすぐには得られそうにはありませんね。
安斎利洋2008年08月31日 18:38
>生身の人の現実として了解できるからだと思います。

こういう話をきくと、ナマミモデルを作ってみたくなりますね。深みにはまることになるんでしょうが。
IBM(日本)の音声合成を作っていたエンジニアは、かなりハイレベルのアマチュアミュージシャンだった、という話を聞いたことがあって、なーるほど、と納得したものです。きっとエンジニアの考えがちな、要素還元的な数理モデルじゃない、なんか裏ワザが混じってるんでしょう。

>質のよくないジャンクで世界が汚染されているように感じてしまう

これが演出だったら、非常に効果的な出来、ってことになりますね!

>答えはすぐには得られそうにはありませんね。

評価機械と発生機械は、同じゴールなんでしょうね。でも、チューリングテストに合格する機械を作るより、チューリングテストのシミュレーターを作るほうが、考え方の補助線としては簡単なような気がします。
安斎利洋2008年09月01日 23:20
ふと思ったんですが、チューリングテストは、判定する人間について、何をもって人間とするという基準は定義していたんでしたっけ。人間と等価な機械じゃ、堂々巡りになりますね。
メンタルスタッフ2008年09月02日 03:36
「チューリングテスト」もいろいろ都市伝説みたいなところがあって、面白いです。
Wikipediaのチューリングテストに載っているような一般に流布している、定義、説明とチューリングのオリジナルの論文の中の定義、説明とではちょっとニュアンスが違うんですよね。

Wikipedia: Turing Test
http://en.wikipedia.org/wiki/Turing_test

チューリングの論文: Computing machinery and intelligence
http://www.abelard.org/turpap/turpap.php#contrary_views_to_the_main_question

アラン チューリングのもともとの論文の中のチューリングテストは、"Can machine think?"という問題を考察するという一定の目的、文脈のなかでは、なかなかリアルで説得力ある思考実験だと思います。そこで提案されている"imitation game"というのはずいぶん具体的なもので、人間の男(または機械)がどこまで自分が女であること(本当は男や機械なのに)を説得できるのか、判定者をだますことをゴールにしたゲームです。
その場面には女性もいて、判定者はターミナルを介した会話だけで、どちらがどちらかを正しく判定することを求められます。判定者は男性、女性どちらでもよいことになっています。

チューリングはこの論文の中で、40年後(論文は1950年に出版されていますから1990年)には、1ギガビットのメモリーを持つ機械は、判定者が5分の質問の持ち時間で、70%までしか正しく判定できない(つまり30%は誤らす)だけの、女性を真似する(女性としてだます)力を持っているはず、と予測しています。
安斎利洋2008年09月02日 14:06
なるほど。チューリングのオリジナルを読んでいる人は、言及している人よりずっとすくないでしょうね。判定者をだますことがゴール、というネガティブな論理がポイントだと思いました。

ベンヤミンの言う「アウラ」とはなにか、とポジで考えると、なんだかよくわからなくなり、ほころびが出てくる。しかし、アウラは複製によって消えるもの、というネガティブな像としては、有効な概念です。
アフォーダンスも、環境を外に出してしまうと消えてしまう概念。
クオリアも、要素還元的に考えると消えてしまうのも。

チューリングテストも、正面から切り出そうとすると中国語の部屋のような反証があらわれるけれど、「騙しきる」という、ネガティブな鋳型として考えると、依然として有効である、ということかもしれません。

この議論を進めていくと、知能とはたいへんよくできた人工無能である、ということになりそうですが、2008年になっても出来の悪い人工無能しかありませんね。
メンタルスタッフ2008年09月03日 03:10
確かに、ネガの表現の方がポジの表現よりも、大事なことを見えやすくする場合があるんでしょうね。
鋳型を問題にすることで周りと中身の関係や境界がはっきりするし、中身がどう作りだされるのかが見えやすくなるということがあるのかもしれません。
ネガの扱いが、知能の解明の一つの鍵かもしれませんね。

> ベンヤミンの言う「アウラ」とはなにか、とポジで考えると、なんだかよくわからなくなり、ほころびが出てくる。しかし、アウラは複製によって消えるもの、というネガティブな像としては、有効な概念です。

なるほど。

> アフォーダンスも、環境を外に出してしまうと消えてしまう概念。

これも、言い得て妙ですね。
理論を作ろうとすると、客観世界も一つのポジに過ぎない場合があるのに、なぜか、そこにすべてをグラウンドさせてしまいたくなる呪縛がありますね。

> この議論を進めていくと、知能とはたいへんよくできた人工無能である、ということになりそうですが、2008年になっても出来の悪い人工無能しかありませんね。

人工無能を作って「つなげる」段になって破綻が見えて来て、それを解決していくというアプローチでよいのでしょうが、解決の方向が主観世界の構造の解明に向わずに、当面できることを延長するという力任せで盲目的な方向に行過ぎているのかもしれません。主観世界の解明を妨たげているいろんな呪縛もありそうですしね。
安斎利洋2008年09月04日 01:13
>ネガの扱いが、知能の解明の一つの鍵かもしれませんね。

なるほど。面白いヒントです。
意識を作る、ではなく、意識が消失する、ということを逆にたどってみる。
というだけだと、まだ言葉遊びですが。

そういえば彫刻家のヘンリー・ムーアは、「自分は石を削ってるんじゃない。まわりの空気を削っているのだ」というような意味のことを、言っていました。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ