エミリーを見ていたら、「見せ下着」を思い出した。
http://www.youtube.com/watch?v=UYgLFt5wfP4
なんでそう連想したのか、あえて説明するなら、ぎりぎりの虚実皮膜なのに、あやういエロスが、消えていくように感じるから。言い換えるなら、「もっとワクワクするはずなのに‥‥」。
耕馬さんの日記で紹介されているこの映像は、注意深く最後まで見ないとからくりに気づかない人がいるかもしれない。耕馬さんによると、最前線はもっと緻密でリアルなので、この程度は驚くに値しないらしい。そんなに遠くない日、専門家が見てもわからないCGが、リアルタイムでインタビューに答えたり、ニュースを読み上げたりするだろう。
ここまで来たんだな、と同時に、こういうことだったっけ? という思いがある。
近松門左衛門の「虚実皮膜論」は、あちこちで再利用されてきた概念だけれど、驚くべきことに、近松はそんなこと一言も書いてないんだそうだ。ドラエモン最終回の都市伝説みたいなものだ。
虚実皮膜は、エロスの立ち上がり方を言い当てているので、人の心をとらえる。たとえば、下着は虚実皮膜だ。虚実皮膜を芸術論用語じゃなくて、「虚実皮膜を着る」と使えば、強力なファッションコンセプトにもなる。
バーチャル・リアリティには、フェチシズムと似たパラドックスがある。フェチは、本体より代理に萌えるわけだけれど、リアリティがバーチャルから立ち上がる矛盾が、萌えを喚起する。技術がリアリティを高めると、実はフェチの臨界を越えてしまって、萌えが消えてしまう。
上着下着の関係性は昔から、下着が上着に昇格する運動を繰り返していて、ワイシャツやTシャツもかつて下着だった。つまり、下着は常に運動のさなかにある。しかし、上着に昇格してしまった見せ下着には、もう虚実皮膜のエロスがない。
皮膜を作る方法より、破らない方法が知りたい。
1610年ごろの男性像↑