どきどきしたり、わくわくしたり、らじばんだり。
雨が降ったり、やんだり、らじばんだり。
らじばんだりは貴重だ。意味を見つけようと、脳がさまよう体験が貴重だ。「ラジウム」とか「あせばんだり」とか、近傍の言葉に手を伸ばすのだが、肝心の真ん中にあるらじばんだりは依然としてノーヒットのまま、心が宙吊りになる。
この感覚が貴重だ。鳥やライオンは鳴くが、ヒトはしゃべる。しゃべり始める前の人間は、鳴いていたに違いない。ある日突然しゃべり始めたのでなければ、「鳴く」から「しゃべる」へ移行する時期があるはずだ。過渡期のヒトたちは、日々らじばんでいたのではないか。
『小鳥の歌からヒトの言葉へ』(岡ノ谷一夫)は、意味がまず進化し、そのあと文法が進化したとする従来の言語起源観を否定する。岡ノ谷説を踏まえるなら、言葉の発生は「らじばんだり」がまず意味もなく歌われたあと、宙吊りになった心が、探索的に意味を創作する過程なんじゃないか。
http://jp.youtube.com/watch?v=7QnMwCnczcg