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らじばんだり全体に公開
2008年08月25日13:31
どきどきしたり、わくわくしたり、らじばんだり。
雨が降ったり、やんだり、らじばんだり。

らじばんだりは貴重だ。意味を見つけようと、脳がさまよう体験が貴重だ。「ラジウム」とか「あせばんだり」とか、近傍の言葉に手を伸ばすのだが、肝心の真ん中にあるらじばんだりは依然としてノーヒットのまま、心が宙吊りになる。

この感覚が貴重だ。鳥やライオンは鳴くが、ヒトはしゃべる。しゃべり始める前の人間は、鳴いていたに違いない。ある日突然しゃべり始めたのでなければ、「鳴く」から「しゃべる」へ移行する時期があるはずだ。過渡期のヒトたちは、日々らじばんでいたのではないか。

『小鳥の歌からヒトの言葉へ』(岡ノ谷一夫)は、意味がまず進化し、そのあと文法が進化したとする従来の言語起源観を否定する。岡ノ谷説を踏まえるなら、言葉の発生は「らじばんだり」がまず意味もなく歌われたあと、宙吊りになった心が、探索的に意味を創作する過程なんじゃないか。

http://jp.youtube.com/watch?v=7QnMwCnczcg

コメント

寝太郎2008年08月25日 15:02
>らじばんだりは貴重だ。意味を見つけようと、脳がさまよう体験が貴重だ。

将にアスペクト・ドーニング直前のもどかしさですね。ここに留まるのは難しいが、テクスト以前の、意味がイメージと一体になった流体が漂っている、それをただ聞き眺めている主体がある。音素がグラマトロジーから抜け出し音声としての言葉の呪縛が始まるのかも。意味としての音声が意味になりきれないもどかしさは、リダンダンシーを縦に積み重ねるのではなく横にうっちゃって、音声がイメージ化する瞬間といえるのかもしれない。

浮遊するイメージは実体が伴っていないのと同様、意味からはみごになった音声はレファランスを失って抽象的イメージとなる。

反対に幼児の「アー、ワー」言語は、既に単語を超えフレーズであり、最短の意味素でもある。煩わしい差異の世界に分け入る前の、音声のアクトそのものだ。

しかしどこかでこのイメージとアクトは繋がっている。ルソーの北方言語起源説を思い出すが、言語は指示語から始まったと考えるのは正しいかもしれない。しかし、指示語でさえ(ヴィトゲンシュタインを例に引くまでもなく)指示されたものをそれと伝えるには技術が必要である。技術を持ったものが道具を持て余す、ここに「らじばんだり」のもどかしさがあるのかもしれない。
安斎利洋2008年08月25日 17:28
岡ノ谷説によれば、言語の起源は「メス(オス)にもてたい」という気持だそうで、ルソー的には、南方言語ですね。

>技術を持ったものが道具を持て余す、

これは、巧みな比喩です。実際、使い道がないのに道具を買ってしまう、というのは、いくつも心あたりがあって、そのたびに何に使おうか、心が宙吊りになります。
反省。
安斎利洋2008年08月25日 17:29
カルシウム味の話も面白い。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=912805284&owner_id=4377998

料理しているときに、「もうちょっと胡散臭いほが旨いかな」なんて言われると、けっこうらじばんだり。
smi2008年08月25日 19:54
うは!なんか突っ込みいれてぇ!
けど、うまいネタがおもいうかばなあい!
安斎利洋2008年08月25日 20:50
そんなナイーブにらじばまれても‥‥
にしの2008年08月26日 00:03
そいうばあいは、トチメンボーを食べらり、らじばんだり。
安斎利洋2008年08月26日 17:45
>トチメンボー

らじばみ問題の先駆者、漱石恐るべし。
メンタルスタッフ2008年08月27日 03:15
「私、俳句読んだり、小説書いたり、らじばんだり。」
の方はさまになっても、、
「私、研究したり、分析したり、らじばんだり。」
の方は、いまいち、おさまりが悪い。
言語の「研究」をしようとする態度そのものが、言語が作り出されている生活現場との乖離を進め、存在もしない言葉の「意味」を見つけ出そうとする虚しい試みに向わせるのかもしれません。

らじばんだり。らじばんだり。。。
にしの2008年08月27日 18:11
このタームがどういうシチュエーションで使えるか使えないかのらじばんだり。
パンダコパンダらじばんだり。
安斎利洋2008年08月27日 20:16
たしかに、おさまりが悪いですね。読んだり、書いたり、〜、にはある運動があるのに、研究は運動を止めるようです。不思議です。

あるシチュエーションで、使える|使えない、のラジバンダリーを越えるんでしょう。

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