検索フォーム

水の入ったコップ全体に公開
2008年08月16日03:13
コップに水が入っている、というのは、どういうことだろう。

写真
3歳

写真
4歳

写真
5歳

写真
6歳

写真
7歳

写真
8歳

写真
9歳

写真
10歳

写真
11歳

コップに水が入っている現象を目のあたりにしたとき、ガラスに囲まれてこぼれないまま口に運べる水の状態に、強烈な驚きがある、はずだ。

ものごとの理解が深まると、その仕方でしか理解できなくなり、ほかの理解の仕方を考えることすらできなくなる、ということはよくある。発達という概念もその二面性で考えると、進むと同時に後退する過程である。コップの絵にも、その二つの流れがある。

コップを斜めから見た図は、網膜への投射を写している。

それは、ほかの人の網膜にも投射されるべき映像だ。絵の上達とは、伝達しうる絵が描けるようになることを言う。絵は、よりよく見ることではなく、よりよく伝わることを目指しはじめる。3歳児のコップは、コップでないものにも見えてしまうが、11歳のコップは、誰にとってもコップでしかありえない。

子どもは、絵を描く技術が未発達で、描くメソッドも、道具を操るノウハウも蓄積していない。それはきっとその通りなのだが、実は3歳児も経験を描く技術に長けていて、年齢を重ねるごとに、その技術は薄れていく。

子供の描く絵を考えた本は、何冊か持っていたのだけれど『子どもの絵は何を語るか』(東山明・東山直美著 NHKブックス)を見逃していて、今日ブックオフで偶然手に入れた。この本に紹介されている調査がすばらしい。「皿とリンゴ」「コップと水」「サイコロ」「食卓と食べる人」といった共通したテーマで、3歳から11歳までの子どもを対象に、14000点もの絵を描かせたのだそうだ。本には、あまりに小さい図版がわずかに載っているだけなのが残念。スキャナで一部を拡大してみた。

発達心理学などの立場でこの資料を語ること自体、抜け出しづらい深みなのだと思う。なんの学問的立場にもよらず、子どもの描く形だけ見ていると、絵のきらめきを阻害しているのは、ほかならぬ「目」であることがわかる。

コメント

中村理恵子2008年08月16日 06:50

>『子どもの絵は何を語るか』(東山明・東山直美著

このご両親に育てられた子、まいける(東山 高志さん)と知合いじゃん。
ほら、本郷3丁目至近呑み屋で、たまたまご結婚される報告を受けたりして。
彼らも、パパ、ママで現在奮闘中?
imochang2008年08月16日 10:16
>子どもは、絵を描く技術が未発達で、描くメソッドも、道具を操るノウハウも蓄積していない。

うちの娘は3才前後からデジカメを使ってます。
さすがに、一眼レフの望遠レンズつき・・・なんてものは使わせてませんが、IXYは使ってたし、機種変した古いケータイは娘のオモチャ、写メで遊んでた。
液晶画面を覗きながら、ぐるぐると辺りを見回し、面白いと思ったところで、シャッターを押すだけだから、プロのカメラマンならともかく、オートで写真を撮るひとであれば、3才だからといってハンディはなかったんじゃないかな。
実際、美大生の中に混ぜても、バレないような写真を撮ってましたし。
偶然の産物もありましたが、あまりにもアングルが凄まじかったので、訊いてみたら、ほとんどが「面白いから」「きれいだったから」で、意図的に撮ってました。
3才の子が、舌ったらずに、空の色と葉の色の対比と画面のバランスについて語るんですが(もちろん「コンストラクション」などという言葉は使いませんけど、内容はそうです)、

>実は3歳児も経験を描く技術に長けて

ると同時に、面白いものを発見する「目」、素直にそれを表現する力が、ある意味、最も長けていた年齢であったように思います。

今、7才になった娘は、「対象物」を決めて撮ることが増えたので(たとえば、家の飼い猫や、きれいに咲いた花など)、撮りたいものがほぼ中央に入り、何を意図してシャッターを押したのかが、すぐに解る・・・という、面白くもなんともないものを撮ってます。
(たまには「ほへえええーーーー!」な写真もありますが、娘自身は、何故、親がそんなに驚くのが解らない様子)
メソッドに走ってるので、絵も工作もつまらない。
ま、こういう時期なのでしょう。
家の環境が特殊なので、美術面に関しては早熟です。
母が仕事用に「意図的」にトリミングした写真を見抜いて、「ここに説明文が入るんだね、おかーさん」だし、画集をめくりながら「クレーとクリムトは面白いけど、ミュシャの絵はきれいなだけで、つまんない」だし。
でも、クレーやクリムトと、ミュシャの違いが解る「目」があるんなら、いずれ、どっかで化けるでしょう・・・と。
この「目」を、学校の図工教育で壊されたくないですね。
余計な一言ですけど。
smi2008年08月16日 10:40
その後、さらに「見る目」あるいは「認識」を育成していくにあたり。
たとえば、コップの水がその形でいつづけるには、大気圧と重力と常温という条件が必要だったり、分子間結合力とか表面張力だとか。が必要とか。
光の屈折率だとかもわかってくるとおもしおいかもしれない。
ある日、両目で見ていることにきがついたりだとか。

あるテレビ番組でマサイ族の人が水槽にいれたガラスを(それは光の屈折率がほぼおなじで、一般的な日本人には水と見分けることができない)を見分けていましたね。

水のはいったコップに超音波をあてて、可視化するとか。
赤外線でみるとか。はもう見ちゃったけど。

まだまだ、みたことののない「コップの水」がいっぱいあるはずだから。
それを考えるとわくわく…しないか。
安斎利洋2008年08月16日 11:27
>このご両親に育てられた子、まいける(東山 高志さん)と知合いじゃん。

ぎゃー!
まいけるさんちの父と母か!
メールしよう。
安斎利洋2008年08月16日 12:04
>3才の子が、舌ったらずに、空の色と葉の色の対比と画面のバランスについて語るんですが

「マチスましーん」に3歳の子が参加したことがあって、切り絵の形は単純なんだけれど、つなぎかたから思考が読み取れて、その深さに驚いたことがあります。
3歳児の造形思考は、宝石かもしれない。
安斎利洋2008年08月16日 12:11
>まだまだ、みたことののない「コップの水」がいっぱいあるはずだから。

言語的記号的な表現ができないような、まだ見てない「コップの水」を描いてみるのが、3歳に戻るひとつの方法ですね。

「コップの水の中にガラスが入っている」絵、というのも、課題としてかなり面白いです。

「明るく輝く黒い物体」
「受話器から聞こえる悲鳴」
「芯のある米」

などなど。課題募集。
セン2008年08月16日 12:56
11歳の子が成人して、やがて抽象表現に向かったら、3歳の頃に描いたような、内触覚的表象に戻るのではないかと思いました。
安斎利洋2008年08月16日 14:09
東山さんの本では、子どもの絵と、古代人の絵や現代美術との類似について言及されいます。
古代の絵画は、「個体発生は系統発生をくりかえす」を、発達にあてはめて論じられています。
しかし、なぜ現代美術が発生・発達を遡行しようとするのかについては、語りつくされていません。
ここがポイントですね。
朝倉民枝(tamie)2008年08月16日 16:25
東山明先生!
小学校6年生のとき、1年間だけ図工を習いました。
のびのび描かせてくれる、とても優しい先生でした。
この本は、大人になって図書館で題名だけで借りて、あとで、
東山? あっ 東山先生だ! って。
神戸大学を退官されたあと、去年かおととしまで甲南女子大で
教えていらっしゃいました。
安斎利洋2008年08月16日 16:37
教え子っすか!
なんだなんだ、この偶然の玉突きは。
まいける2008年08月16日 22:11
つーことで、呼ばれて息子が出てきました。

ちなみに、いまは、近大の姫路にいますよ。

わたしも、かなり実験台にされました。

いまは、孫が実験台。
朝倉民枝(tamie)2008年08月16日 23:20
ぅわっ 息子さん。
>ちなみに、いまは、近大の姫路にいますよ。
そうでしたか。今も教壇に立たれているのですね。
それは嬉しいことです。
甲南女子大初年度のとき「子どもの絵の成長」をテーマに一般向けセミナーがあって、参加しました。
たった1年だけの教え子で、先生の方は、もちろん覚えてはいらっしゃいませんでしたが。
安斎利洋2008年08月17日 00:24
まいけるさん、ご登場ありがとうございます。
本の最後、作品をかいたひと、の中に、まいけるさんの本名がありました。

>いまは、孫が実験台。

やっぱりね!

「コップはこのように描く」というような文化的な影響が、まったく異なる環境で育ったら、子どもはどんな絵を描くだろう。などなど、もし身近に子どもがいたら、いろんな実験をしてみたくなりますが、いや、そんふうに子どもをいじっちゃいけませんね。

まいけるさんちの子は、いじりまくられてるんでしょうね。

立体や空間認識の発達過程の研究は、認知科学や哲学のひとたちにも、訴えかけるなにかがあるはずです。より深い情報があったら、おしえてください。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ