安斎利洋の日記
2006年02月17日
15:39
潜在する物語(フォーレのレクイエム)
フォーレのレクイエムは、コルボが指揮した1972年の録音がいい。女声のかわりに児童合唱とボーイソプラノを配した演奏は、崇高だ。
そのコルボが昨年オペラシティでライブ録音したフォーレレクイエムのCDを聴きながら、ライナーノートにいままで知らなかった物語をみつけた。
コルボはグリュエールの町の聖歌隊を指揮していた叔父に憧れ、教会音楽家になったのだが、叔父はフォーレのレクイエムを自分の聖歌隊で演奏したいと願っていた。しかし、子どもの多いアマチュア合唱団ではなかなかうまくいかない。ある年、いい聖歌隊員が揃ったので念願がかないそうだと話していた矢先、叔父は亡くなってしまう。叔父の追悼を兼ね、その演奏の指揮を受け継いのが72年録音のきっかけになる。
子どもたちにとって大事な人を失った想いが、そのまま無垢なレクイエムを歌い上げた。
このすばらしく美しい物語は、もし今時の音楽産業やメディアの餌食になっていたら、もみくちゃに消費されたに違いない。物語は形を外に顕さず、潜在したまま音だけに結晶し、音だけが一人歩きしたのが良かった。
コメント
2006年02月17日
16:44
klon
へー知らなかったです。美しい話だなあ。
レクイエムってたくさんあるけど古典派以降で本当のレクイエムはフォーレのだけですよね。この場合の本当の、というのは葬式で流せるかどうかということです。実際僕は自分の父親の葬式で使いました。他のはレクイエムの形式を借りた自己表現だったり何か、というのがほとんどだから。
2006年02月17日
19:49
安斎利洋
たしかに武満のレクイエムを葬式で流したら、つらくなるな。
武満徹の葬式で、黛敏郎が武満自身が若いころ反故にした旋律の断片をくちずさんで追悼したのは、センチメンタルな美談ではあるけれど、klonさんが言う意味で本当のレクイエムかもしれない。
klonさんがフォーレを流すというのは、いいですね。いい話です。
2006年02月18日
01:42
QVID EST VERITAS
たしかにたとえばクリュイタンスのは合唱が下手すぎですよね〜。その観点では自分はヘレヴェヘのが好きだにぃ。
2006年02月18日
02:11
安斎利洋
ヘレヴェッヘのような針穴を通すハーモニーの巧さを言うなら、30年前のコルボの演奏もかなり下手です。この何十年かの間に、古楽のせいで合唱やオケの世界水準はものすごく巧くなったんじゃないでしょうか。
2006年02月19日
05:12
stella
レクイエムを演奏する機会は今まで数回あったのですが、合唱のレベルもまちまちで、これじゃとても天国に行けないと思うようなものでも、フォーレは後から録音を聴くと何か降りてきたような感じを受けます。
そんなこともあって、自分の葬式に掛けて欲しいのはヴェルディでもモーツァルトでもなく、やはりフォーレ。
コルボの演奏、今度聴いてみたいです。
2006年02月20日
21:31
Archaic
私も自分の葬儀にはフォーレと決めています。
ちゃんと音楽にのって連れて行ってもらえるような最期でありたい、とおもい願いつつ・・・。
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