昨日、ohhnoooさんが夢に出てきて、根津にある安アパートで僕のソースコードを書き換えている。奇妙な夢なので、昨日の豪雨の中、冬景色の根津を散歩してみた。
おそらく冬の快晴のある日、google map・ストリートビューに写像された根津には、見知らぬ人が姿をとどめていて、なぜかその人影が懐かしい。
日記のスレッドなどで知らない言葉が出てくると、とりあえず検索をかけて知識を得て、知っていたふりをすることが多くなった。だんだん知っていることと、検索したことが、区別できなくなりはじめている。
探索することと、思い出すことも、やはり近付いている。出くわした新規のことが、思い出に似ている。
「思い出す」というのは、私が私であるための基本的な機能だ。昨日見たスイカといま食べているスイカが同じ質感をもつから、私が生じる。
ネット検索がデジャブーをともないはじめると、私が私である理由が変化してくるはずだ。