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デジャブー・根津全体に公開
2008年08月06日13:36
写真

昨日、ohhnoooさんが夢に出てきて、根津にある安アパートで僕のソースコードを書き換えている。奇妙な夢なので、昨日の豪雨の中、冬景色の根津を散歩してみた。

おそらく冬の快晴のある日、google map・ストリートビューに写像された根津には、見知らぬ人が姿をとどめていて、なぜかその人影が懐かしい。

日記のスレッドなどで知らない言葉が出てくると、とりあえず検索をかけて知識を得て、知っていたふりをすることが多くなった。だんだん知っていることと、検索したことが、区別できなくなりはじめている。

探索することと、思い出すことも、やはり近付いている。出くわした新規のことが、思い出に似ている。

「思い出す」というのは、私が私であるための基本的な機能だ。昨日見たスイカといま食べているスイカが同じ質感をもつから、私が生じる。

ネット検索がデジャブーをともないはじめると、私が私である理由が変化してくるはずだ。

コメント

にしの2008年08月06日 19:10
草津で聞いた思い出工学に惹かれています
記憶の機械のコンピュータが
もっと思い出に関わってもいいかと
うさだ♬うさこ2008年08月06日 22:57
ウチの外観も映ってました!

あの植栽の様子からすると、今年の春より前でしょうか、、、
すると、あのウチの2階の窓の中では、私が「キーッ」とか
いいながら、仕事しているわけです。

なんか、ふしぎ。
安斎利洋2008年08月07日 01:27
>「思い出工学」

たしかそのひとたちと、以前ICCでかかわったような。
そもそも、思い出すという行為は、その場で対象が作られることだから、思い出工学は「支援」ではなく、作り変えることでしょうね。

>ウチの外観も映ってました!

やっぱり、まずは自分ちを見ますね。うちの前には、回収前のゴミがたまってました。
雪が残ってる場所もあったので、撮影は冬ですね。
メンタルスタッフ2008年08月07日 10:43
ストリートビューで、これまで暮らしたことのあるいろいろな街を散歩して、それなりに面白かったんですが、サン ディエゴ(Del Mar)の恩師が住んでいた家がそのままあることを「発見」したのが面白かったですね。これは、まあ、GoogleMapやEarthの衛星写真や航空写真で見つけようとして、うまく見つからなかったという経緯があるんですが。
一方で、昔、通っていた小学校や中学校の辺りも散策してみたのですが、当時と今とでは変り過ぎていてあんまり発見がないせいか、思ったほどでなかったですね。
楽しみ方は人によって違うかもしれませんし、別の機会にやってみると面白いということになるのかもしれませんが。

子供の頃の記憶で思いだすのは、何度も既に思い出したものが多くって、「初めて」思いだすものが少ないですね(ほとんんどない)。ストリートビューに昔の街並みがあれば、いろいろ思い出すことも多くなって「発見」があるかもしれません。
安斎利洋2008年08月07日 13:54
>子供の頃の記憶で思いだすのは、何度も既に思い出したものが多くって、
>「初めて」思いだすものが少ないですね(ほとんんどない)。

あたりまえのようで読み流しそうですが、考えてみると重要な指摘ですね。

買ったとき以来はじめて開く本、というのはありますが、記憶にはなぜかそういうことは起こりづらい。

またこの思い出を思い出している、というのはありますね。
この前、これを思い出したのはいつだ、というのもある。
この前、これを思い出したのときのことを思い出すと懐かしい、というのもあります。

なんで、このことをずっと思い出さずにいたのだろう、という体験は、めったにありません。
安斎利洋2008年08月07日 14:25
わかった。
長年思い出さない記憶というのは、無意識の中で浮沈している記憶で、それは覚えている理由と、思い出さない理由を、両方もっている記憶なんですね。だから希少なんだ。

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