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プログラム離れ全体に公開
2008年08月03日13:44
若者がますますプログラムを書かなくなった、というのはかなり前から聞く声なわけだけれど、僕がいま十代だったらと想像すると、やはりプログラムは書かないと思う。

中学生のときにFORTRANの本を読んで、FORMAT文の事務機臭さがなんかウザイと思った覚えがある。いま、新しい開発環境の分厚いマニュアルを開くと、XMLだのUIだのっていうのは、いわばFORMAT文なわけだ。

「計算機」という宝箱が「プログラム可能性」という黄金を詰め込んで、そこら中で蓋をぱかぱか開けているのに誰も手を出さないのは、99.99%が計算機の本質をとりまく「詰め物」のようなもので、黄金は砂金ほどしか見えないからだ。詰め物が好きな連中が、プログラムを書いてくれるから、それを使えばいいわけで。

なんだかんだ言って、僕らは詰め物も好きなので、プログラムを書かない人の気持がわからない。そしてここ十数年の計算機は、入出力の多様化と整理にだけ血道をあげてきたわけだ。

こういう流れは後戻りできないので、量子コンピュータかなにかが詰め物のない状態であらわれる次世代を待つしかないのかもしれないけれど、一方で過渡期の若者のためにも、詰め物を遮断したプログラム環境が欲しいな。マニュアルが数ページですむような。

コメント

はらこ2008年08月03日 14:58
新卒の新人もふくめて、中高時代のプログラミング体験を語りだすと止まらなくなる奴ばかりのうちの会社ってやっぱりマイノリティなんでしょうか?

みんなそんな感じなんで、若者がプログラムを書かなくなったって言われてもピンとこないです。

> FORMAT文の事務機
COBOLほどじゃないですよ。一度COBOLを勉強すると、FORTRANは所詮は科学技術計算用の言語だと思い知らされます。
安斎利洋2008年08月03日 15:05
病気は病気を呼ぶ、ってのは僕のまわりも同じなんだけど。
発想に優れた書くべき人がコードを書こうとしない。
はらこ2008年08月03日 15:10
えっ、病気だったのか

> 発想に優れた書くべき人がコードを書こうとしない。

これが無い所がうちの会社の一番の自慢です。
俳胚2008年08月03日 21:40
>中学生のときにFORTRANの本を読んで、FORMAT文の事務機臭さがなんかウザイと思った覚えがある。いま、新しい開発環境の分厚いマニュアルを開くと、XMLだのUIだのっていうのは、いわばFORMAT文なわけだ。
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小生の卒業研究論文はFORTRANのDOループ回路の高速化。
そして、それを少数の基本機械語で実証することだったと記憶します。

卒業前の企業実習で与えられた課題は”最小要素で足し算回路を作ること”だっと記憶しています。その出来はさておき、実習した会社が
最初の就職先でした。

コア、半導体、IC、LSI、超LSI、、と要素変化する過程で
今のコンピューターを眺める時、それ(HW+ソフト)が世界中の何人の人の手を経て出来ているのだろうとの思いに浸る時があります。

今日久しぶりで新しいPCを仕入れました。一人の役割は少なくても
この誕生に関係した人々に感謝しながら。




安斎利洋2008年08月03日 22:21
>今日久しぶりで新しいPCを仕入れました。一人の役割は少なくても
>この誕生に関係した人々に感謝しながら。

そうですね。PCの電源を入れて、BIOSからブートストラップする過程を思うと、人類はよくぞここまで壮大な構築物を編み上げてきたものだという感慨が沸いてきます。

これからPCをリブートするときには、手をあわせるようにします。
にしの2008年08月03日 23:12
>発想に優れた書くべき人がコードを書こうとしない。
卒論で必要に迫られて書き始めると、ものすごく伸びる子がいます。
そして、プログラムが楽しくて楽しくてしょうがなくなる。
本人も、どうしてそれまでやってこなかったのか不思議なくらい。
「中学で知ってたらハマっただろうなぁ」
などと言うのだけれど、彼らは中学の時にも知ってたはず。
この落差にはなにか不幸が隠れてます。

>これが無い所がうちの会社の一番の自慢です。
ものすごく幸せな出会いを子供のころにできたラッキーな方の集まったところなのかなと思います。運も実力のうち。
安斎利洋2008年08月04日 00:49
>この落差にはなにか不幸が隠れてます。

プログラムにはまる人は、多量の仕事を少量の仕事に変換することに喜びを感じる人ですが、初学者に立ちはだかるのは、六法全書のような多量の情報。ここを、なんとかできないでしょうかね。
中村理恵子2008年08月04日 06:42


>その出来はさておき、実習した会社が最初の就職先でした。

俳胚さん、毎日暑いですがお元気ですか?
先日、久々BIGLOBE関連会社の方にお会いしました。
場所は大崎だったんですが、受付に入ろうと曲がった廊下の先で、超懐かしい!杉本さんと再会。びっくりしました。まだ、コンテンツ関係やってらっしゃるといいながら、かつて三田の本社ビルを、俳胚さんをお訪ねした頃の話に花咲きました。
奇遇です。

連画が、世界にはばたくとき、本当にお世話になりました。
そして、いまなお、親しくお付合いいただいてます。
ところで、
もうすぐ今年の梅を干し始めます。
どうぞご期待ください!
(笑)

ks912008年08月04日 13:06
プログラム離れ、情報系の大学 (慶應義塾大学の環境情報学部が情報系か、というのはちょっと疑問なのですが…) でも進んでいると思います。

作りかけなのですが、20年以上前の第5世代コンピュータプロジェクトで生まれた GHC という言語を引っ張り出してきて、その分散化を今、進めています。
http://www.media-art-online.org/ghc/

これはある意味、ある種の非ノイマン型コンピュータのアセンブリ言語みたいなもので、こういうもので、詰め物がない状態のコンピュータを学生に提供できればと思っています。

今、授業でやっているのは、Java VM の上に載った GHC VM の上で 4bit CPU の VM を作るという、詰め物があるのか無いのか分からない内容なのですけど。
安斎利洋2008年08月04日 13:28
ks91さん、「オーバレイGHC」、すばらしいプロジェクトですね。

カンブリアンに組み込むスクリプトを考えるとき、GHCをちらっと眺めましたが、いまこそこの方向だと思います。

詰め物の正体は、要するに「ほかの要素とつきあわせるためのインターフェース」で、ここを原理的に解消するのは、完全に中心のないグラフ構造の計算パラダイムだと思います。六法全書のようになったいろんな決まりごとを、するりと隠蔽できそうですね。
にしの2008年08月04日 13:30
仏教では真理を伝えるため、相手を上中下品に分類し、それぞれに応じた、
方便
を駆使するものとされています。

いまの教育には方便が欠けているのかなと思います。

はじめから上品(じょうぼん)上生な人はいいけれど、
そうでない人にそれぞれのケアをしたらいいはず。
個人的には昔のBASICって以外と良かったかなと思ってます。
魔法や欠点も多かったけど、それがまた教育効果があって。
その意味では、今はrubyもいいかなと。適度な欠点があって。

できすぎた言語はそれはまたそれで良くないと思うようになりました。
c++はけっこうダメで、ウィザードシステム(各種ビルダー)に至っては、
本気のプログラマーの成長を阻害してる気がします。
下品の人をむりやり上品に引き上げて無理がある。無駄なやさしさは悪。
安斎利洋2008年08月04日 17:00
>いまの教育には方便が欠けているのかなと思います。

方便。使える概念ですね。

掛け算の九九を覚えるのに、全部まるまる覚える博物学タイプと、対角線で分けて半分だけ覚える科学タイプがいたり。

数学のわかり方も、隠喩を駆使しないとわからない人と、数式だけにしないとわからない人がいたり。

帰納が得意な人と、演繹が得意な人がいたり。

ものごとの理解の仕方には、顔の違いくらいの多様性がありますね。方便は、その多様性をカバーするくらい、たくさんあるべきなんでしょう。
安斎利洋2008年08月04日 17:09
>ウィザードシステム(各種ビルダー)に至っては、
>本気のプログラマーの成長を阻害してる気がします。

ユーザーインターフェースは本来、存在が見えない環境になっていくべきなんでしょうけれど、IDEやRADがまずいのは、たとえばボタンの位置みたいな情報とアルゴリズムの存在感をまぜこぜにしちゃったところでしょうね。

昔のアスキーの1行プログラムじゃないけど、かつてのプログラムは、そこに書いてあることだけで、何をしていて何がすごいのかがわかった。スタンドアロンが当然だったからでしょうけど、いまのプログラムはどんなに短いものでも、外部の何を使っていて、外部の何とかかわっているのかをたどらないと、たいていは意味をなさない。

文脈自由な、環境が隠蔽された、そういうのを目指す方向も、ありますね。
Hiro2008年08月05日 18:02
> 文脈自由な、環境が隠蔽された、そういうのを目指す方向

  それって、もしかしたら自然言語でプログラムする
  ことなんですかねぇ?

  外部の何をどう使っているかはわからんが、何かを
  言えば、ちゃんとそれが実行される。
  過保護のママみたいな(笑)。
 
安斎利洋2008年08月05日 18:32
>自然言語でプログラムする

逆にそれは、文脈不自由で環境に開かれた方向になるんじゃないでしょうか。
それはそれで、ものすごく刺激的な領域ですね。

>外部の何をどう使っているかはわからんが、何かを
>言えば、ちゃんとそれが実行される。
>過保護のママみたいな(笑)。

いいですねぇ。ママは決して予想した結果を出してくれないけれど、信じられないような文脈を勝手に引っ張ってくるから、いつも予想外の余計なことをしでかしてくれる。そういうの、作ってみたいです。

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