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世界の外
2008年07月09日19:54
小学校のころ熟読していた天文学の本に、天動説の宇宙から脱しようとしているような不思議な絵があって、ずっと脳裏に刻まれていた。
最近、ひょんなことで由来を調べると、なんと19世紀末のフランスの天文学者・SF作家であるカミーユ・フラマリオン(1842-1925)の手による挿絵なんだそうだ。知らなかった。
コペルニクス的転回のめまいがすっかり治まった後の、追体験的なファンタジーだったわけだ。そういわれてみると、わけのわからない闇の中で跳躍する怖れが感じられない(という感想も、後出しじゃんけんのようだけれど)。
フラマリオンは、エルンスト・マッハ(1838-1916)とほぼ同時代人。
マッハの描いた「外の世界」には、マッハ自身の左目が見た鼻と、右手、左手、組んだ両足に、自分のひげまで描きこまれている。フッサールの現象学の成立にも影響を与えたこの絵には、暗闇を跳躍する厳しさがある。
カミーユ・フラマリオン(1842-1925)
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エルンスト・マッハ(1838-1916)
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コメント
みまぞう
2008年07月09日 22:24
このマッハの絵のようなのは、J.J.ギブソンの「生態学視覚論」にありました。きっと、これの引用なのだな....。
jiroh
2008年07月09日 22:40
地面を地球の内と外との境界とすればその台座の上に地球を持ち上げることができる。
マンゾーニの様に
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宇宙の外側に自分の意識を置けば宇宙を持ち上げられる。
マッハやガモフの様に
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安斎利洋
2008年07月09日 22:42
ギブソンの本にあるのは、マッハの絵だと思います。
アフォーダンスが面白いのは、外の世界である環境に、自己がかかわるところですね。そうしてみると、フラマリオンの絵も、宇宙の一部に自分の体がはみ出している。
大和田龍夫
2008年07月09日 23:04
自分の視野には鼻が見えるんですよ。
みんなそうなんだと思っていたら、そうではないと最近知ってちょっと驚いています。いえ、別に鼻が高いとかそんなことをいいたいのではなくて、なんか、この絵にはそうなんですよ。と言いたくなりました。
失礼しました。
安斎利洋
2008年07月09日 23:10
>みんなそうなんだと思っていたら、そうではないと最近知ってちょっと驚いています。
驚きました。ほんと?
安斎利洋
2008年07月09日 23:21
jirohさん、いつも連想の拡張、転調、ありがとうございます。とりわけ下の方、すばらしいですね。これは、ガモフのトムキンスの中にあったんでしたっけ?
自己と世界の包含関係を裏返すと、マッハの絵を絵の側から覗き込んだ絵は、このようになるかもしれない。ほかにも、無数の解があるようにも思える。
大和田龍夫
2008年07月10日 00:19
マッハの絵の
眉毛みたいな色のところはさすがに見えませんが、
白い部分は(普通に)鼻の頭が視野に入ります・よ・ね?
もちろんピントは合いません。
あ、ちなみに、
耳たぶは動きます。
(関係ないか)
見えるはずのないものが見える人
吉田初三郎
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ピカソのキュービズムもそうなわけですよね。
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ってなると日本画の45度の空間表現なんかもですか?
発達心理学なんかでは、幼児が人間描くと、首から足が・・・やがて手・胴体・がついて・・・みたいに同じ見え方をするというのが印象的だったんですが、20年以上の教職課程話なもんでかなりあやふやです。
安斎利洋
2008年07月10日 01:15
>吉田初三郎
鳥瞰図を超えると、超瞰図、というべきでしょうね。上空からの視点は、かならずしも客観性に行き着くわけではないんですよね。
ピカソは、マネの「草上の昼食」と、ベラスケスの「侍女たち」と、このふたつに異常反応して同じテーマの絵を描きまくっていますが、両方とも「描いている画家」が描かれている絵です。マッハ的な循環に、ピカソの野生的な理性がとらえられたんだ、と想像しています。
TODO
2008年07月10日 05:31
右目で鼻は見えるが左目では見えません。利き目と関係有り?それとも左目は視野が狭くなってる?
だったら医者に行かなきゃ
中村理恵子
2008年07月10日 06:25
>ピカソの野生的な理性がとらえられたんだ、
これは、端的に”発情”ととらえればいいでしょうか。
みじかなところでは、jirorさんの発情がとらえた画像、アートの数々、生き様。
尊敬してます。
ぷろとん
2008年07月10日 17:05
割り込んですみません。
>大和田龍夫さん
>発達心理学なんかでは、幼児が人間描くと、首から足が・・・やがて手・胴体・がついて・・・みたいに同じ見え方をするというのが印象的だったんですが、20年以上の教職課程話なもんでかなりあやふやです。
これ、頭足人 だと思います。
学生時代、これを描いてる幼児の絵をたくさん集めました。
数年後、わが子が、二人とも、幼児期にこの絵を描いたので、
(普通に発達してるのだと)意味もなく、ただ安心しました。
子供が発達する過程で、必ず通る通過点ではないかと思います。
おじゃましました。
安斎利洋
2008年07月10日 17:35
>頭足人
そうそう、示し合わせたようにどんな子供も頭足人間を描くようですね。これは、すごく不思議。発達心理学から子供の絵を研究した本をいくつかもっているのですが、なぜ頭足人間(おたまじゃくし人間)があらわれるかについての説明は、すっきり納得いくものがありませんでした。
僕のわずかな体験からの仮説ですが、3歳くらいの子供は絵が下手ではなく、たとえば複雑なセーターの幾何学模様を正確に写像することができます。だから頭足人間は、見たまま描いてるんじゃないか。つまりそのように人間が見える段階があるんだ思います。
じゃなんでそう見えるのか。マッハ的な自分の体の見え方は、手と足が大きくなりますが、そこには頭がない。頭のついた他人は、胴がある。なぜそれが組み込みあうようにまざるのか。やはり謎です。
安斎利洋
2008年07月10日 17:56
>右目で鼻は見えるが左目では見えません
TODOさん、左目で自分の手足は見えますか?
もし見えなかったら、半身異次元、という物理学的奇病かもしれません。
TODO
2008年07月11日 11:30
そりゃ見えますね
物理学的奇病でなくてよかった。
でも鼻はね。もちょっと高いと見えるようですが。
ぷろとん
2008年07月11日 16:15
>安斎利洋さん
>僕のわずかな体験からの仮説ですが、3歳くらいの子供は絵が下手ではなく、たとえば複雑なセーターの幾何学模様を正確に写像することができます。だから頭足人間は、見たまま描いてるんじゃないか。つまりそのように人間が見える段階があるんだ思います。
この話、とても、興味あります。
自分の時は、幼くて意識がない。
我が子の時は、無我夢中で、そんな余裕がなかった。
孫の時に、この仮説をぜひ、検証したいと、思います。
(いつになることやら?)
安斎利洋
2008年07月13日 01:21
孫ができたらお知らせください。実験の課題を100ぐらい箇条書きにしておきます。
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