検索フォーム

不意打ち全体に公開
2008年06月27日18:37
反対語というのが辞書にのっているけれど、あれがよくわからない。

たとえば、「悲しい」の反対は「嬉しい」が正解だというのは、「嬉しい」の対立概念を「悲しい」の語意のトップバッターとしなさい、という命令だ。

ことばのクイズや試験問題にも反対語を当てさせるのがあるけれど、正解の押し付けがましさがどうも気に入らない。ああいうのは賛成の反対なのだ。

僕の私的語彙ネットワークでは、「悲しみ」の反対は「不意打ち」だ。そこにいるべき人が、ある日突然いなくなる。地面が突然割れる。そういう事態に対して、僕らの感情はすぐに悲しむことができない。

悲しい音楽も、悲しい物語も、予期できない不意打ちを、予期された(リズムのある)悲しみに整理する技術だ。葬式に「泣き女」を呼ぶ風習があちこちにあるらしいけれど、あの人たちは「悲しみ化」を専門とする技術者集団なのだろう。

阪上正巳氏(国立音大・音楽療法)の話を、あおいきくさんが引いている。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=828811915&owner_id=464033

健常者ならリズムなどが生まれるが、障がい者の音楽は構造面における欠損とは裏腹に、不思議に強い印象を残す。時間の密度がケタ違いに高く、「一瞬一瞬が不意打ちのよう」だと言う。


長く生きていると、予期できないことが次第に減っていくはずなのに、不意打ちは増える一方だ。悲しみのレゾリューションが、不意打ちに追いつかない。

コメント

shigeko2008年06月27日 18:51
>悲しみのレゾリューションが、不意打ちに追いつかない。
ハマりました。まさに。
そして、予期していたことであっても、ずっしりと、堪えたりもしますね。
ユミ2008年06月27日 22:10
死はみんなに平等なお約束のはずなのに、ちょっとばかし、勝気な母が病に倒れたりしただけでオロオロと寒さの夏を過ごすようなハメに陥ったりしています。

自明なお約束は明確なだけに、以外にも、確かに自分のこととして自覚するのは難しいのかもしれませぬ。
H.耕馬2008年06月27日 23:12
>「悲しみ」の反対は「不意打ち」だ。

バカ田大学ではそうなの?byバカボン

shigekoさんが安斎さんのマイミクなのを知って、不意打ちを食っていますぜ。(@_@)
あおいきく2008年06月27日 23:41
この文脈に埋め込まれているとは、というのも不意打ちでした。

阪上さんの話でいえば、別の時空と交差する時の衝撃であり、官能でしょうか。
らもきち2008年06月28日 01:06
>「悲しみ」の反対は「不意打ち」だ。そこにいるべき人が、ある日突然いなくなる。地面が突然割れる。そういう事態に対して、僕らの感情はすぐに悲しむことができない。

不意打ちに対する反応は、不思議です。隣の感情を呼びだしてしまう場合があります。悲しみの場面で、笑い、怒りなど。これは,ゆっくりと現実を受け入れるために、とりあえず別の感情を出しておいて、時間を稼ごうとする防御反応なのだろうか。あるいは,実は,悲しみ自身が,奥で,別の感情とつながっているのだろうか。
安斎利洋2008年06月28日 01:57
>shigekoさん ユミさん

人生はみんな一回目だから、年取るのも死ぬのも一度。慣れないことばかりで、いちいち堪えます。そのかわり「はじめての〜」にはいいこともあるけどね。
最近知人のお母さんが、余命を宣告されたと聞きました。予告されるのも、間延びした不意打ちのようで、いやなものです。

>耕馬さん

「賛成の反対なのだ」「反対の賛成なのだ」に反応するのは、さすが耕馬さん。われわれみなバカ田大学の同窓生なのだ。「賛成の反対」は、普通の意味での反対意見じゃないってところが、すごいです。
最近バカボンを読みかえしたら、あらためてバカボンのパパのすばらしさと、はじめちゃんのつまらなさを再確認したのだ。

>あおいきくさん

不意打ちというか、不意討ちしてみました。
不意打ちの音楽が、あの日記以来、ずっと頭をめぐっていました。

>らもきちさん

隣接する感情が立ち上がってしまう、というのはありますね。
ある感情を初期条件にして、それを悲しいにもっていくかどうかは、ほとんど社会的なもので、住む世界が違えば踊りだしてもいいし祈ってもいいし、葬式で大笑いしたり、嬉しすぎて怒ってもいい、ということじゃないでしょうか。
中村理恵子2008年06月28日 10:49

じゃ、クイズー。

1)”好き”の反対語は?(あ、嫌いってのはダメ)

ちょっと物知りの人は、”無関心”なんていうから、この答えも潰しておきます。
さてさて?

2)”幸福”の反対語は?(あ、不幸ってな平凡な答えはダメ)

わたしがまず、答えます。
幸福の反対語は、”闇”かな・・・・・。
さてさて?

寝太郎2008年06月28日 11:30
「赤」という語の使用に「赤でない」が即座に含まれることを思い出しましたが、「赤でない」のリストは膨大なもので、描写し尽くせないのですね。反対語は小学生の頃漢字テストの延長でよくやらされました。苦手だった。

美術のテストでもにたようなものがあって、入れ子状の三重の正方形の鳥瞰図がグラデュエーションになっていて、中心が黒のものと白のものとではどちらが突出して見えるかという問題。「白」が正解だと薄々分っていても、私の感性は黒が突出して見えると主張する。そこで私は自分の主張に負けて「黒」を正解にしてしまう訳です。バツ。説明なし。疎外感。

そうです、語彙リストの筆頭をまず正解にしていける「図太い」神経がなければテストは乗り切れません(わたしゃ落ちこぼれ)。この図太さは象徴言語を操るものが身につけなければいけない技術でもあるんですね。例えば「赤いハイヒール」を目の前に見ているとする。「これは靴だ」といいつつも何か違和感がある。特殊な赤だし、形だって変だ。「靴」と言って済ましてしまうには心騒ぎが治まらない。そこで即「しかし靴だとは思わない」と続けて言ってしまう。気違い扱い。

これアスペルガー症候群の特徴の一つらしいですが、私にとっては何ら違和感がない。かえって共感と連帯感が起こる(やっぱ私って自閉症?)。

粒ぞろいでない、それぞれの靴。靴さんはそれぞれ違うんだ!これ靴さん自体が自己主張している。

となると「靴でない」領域が憩いの場となる。そこで靴でないが「草履」などど規定されてしまうと、腹が立って仕方がない。

安斎さんの言いたいこと痛いほど良く分かる。

リズムも、音の連続に自主的に一定の規則を見いだし、それが繰り返すという予測の元でリズムというものを把握する。音の一粒一粒に耳を傾けていたんじゃ、「驚きの連続」でリズムは生まれない。(ケージさん、あなた自閉症だったですか。。道理でキノコ狩りに一人でけかける訳だ)しかしそこで「信用」と言う問題がキーポイント。音の連続との信頼ができると、「繰り返し」が恋人の手のストロークのように気持ちがいい(あのいじめっ子の頭スリスリの嫌悪感ではない)。

日常言語使用者は言葉との信頼が築ける人。しかし「詩的言語」といわれるものが抜け落ちているかも。

「嬉しい」「悲しい」が「黒」と「白」のようにストライプになると、どちらが陽気でどちらが陰気なのか分らなくなる。そこであえて「黒」=陰気、「白」=陽気だと答えさせられそうになると、意味の強制に嫌気がさしてくる。こう答えるのって、何に対する「信頼」関係?言葉に対してではないし、自分の感性に対するものでもない。結局そう答えることを期待する「先生」との信頼関係。

私は昔から「先生」は嫌いだった。私の生みの親父が「先生」だったからか?親父がそのことに気がついているそぶりは一切なかった。

なんか家庭争議が出てきそうなのでここでおしまいです。長文失礼いたしました。
H.耕馬2008年06月28日 12:19
”すき”の反対語は?

”きす”と書いて、小学生の時に思いっきり×をもらいました。

ちなみに、”幸福”の反対語は”孤独”でしょう。
安斎利洋2008年06月29日 04:06
中村さんや寝太郎さんは、仲間だなあ。なぜなら、

>幸福の反対語は、”闇”かな・・・・・。

ここで、闇の反対は?というと、幸福には戻らないわけですよね。

>となると「靴でない」領域が憩いの場となる。
>そこで靴でないが「草履」などど規定されてしまうと、腹が立って仕方がない。

AでないものがBであるとき、Bでないものは、Aに戻らずにCになってしまうかもしれない。ここでAに戻るのが信頼関係だとしたら、Aに戻らないのも、われわれ独特の信頼関係ですね。

そうやって語彙構造が拡散していく国に住んでいるわれわれが草履人の国に住めないのは、これは病ですから、あきらめるしかない。
安斎利洋2008年06月29日 04:12
>”きす”と書いて、小学生の時に思いっきり×をもらいました。

耕馬さんのその一貫性が好きです。

>ちなみに、”幸福”の反対語は”孤独”でしょう。

孤独の反対は、煩わしい、だったり。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ