反対語というのが辞書にのっているけれど、あれがよくわからない。
たとえば、「悲しい」の反対は「嬉しい」が正解だというのは、「嬉しい」の対立概念を「悲しい」の語意のトップバッターとしなさい、という命令だ。
ことばのクイズや試験問題にも反対語を当てさせるのがあるけれど、正解の押し付けがましさがどうも気に入らない。ああいうのは賛成の反対なのだ。
僕の私的語彙ネットワークでは、「悲しみ」の反対は「不意打ち」だ。そこにいるべき人が、ある日突然いなくなる。地面が突然割れる。そういう事態に対して、僕らの感情はすぐに悲しむことができない。
悲しい音楽も、悲しい物語も、予期できない不意打ちを、予期された(リズムのある)悲しみに整理する技術だ。葬式に「泣き女」を呼ぶ風習があちこちにあるらしいけれど、あの人たちは「悲しみ化」を専門とする技術者集団なのだろう。
阪上正巳氏(国立音大・音楽療法)の話を、あおいきくさんが引いている。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=828811915&owner_id=464033
「
健常者ならリズムなどが生まれるが、障がい者の音楽は構造面における欠損とは裏腹に、不思議に強い印象を残す。時間の密度がケタ違いに高く、「一瞬一瞬が不意打ちのよう」だと言う。
」
長く生きていると、予期できないことが次第に減っていくはずなのに、不意打ちは増える一方だ。悲しみのレゾリューションが、不意打ちに追いつかない。