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失語する夢
2008年06月21日21:56
<夢>
誰かに話しているのだが、ある語にさしかかると聞いたことのない語を口走ってしまう。もう一度言おうとすると言葉にならず、それっきり言葉が出てこなくなる。頭の中で「失語症か」と思い、しかし「失語症でも頭の中の言葉は生きているものなのだな」と思う。咳をすると、一部を拡大表示した銀色のスポンジに変換される。
</夢>
失った言葉にも、質感があった。
コメント
D.G!bson
2008年06月22日 00:11
私は、かなり昔、外資系にいた頃にアメリカ映画に飛び込んだような英語の夢が多かったことがあります。
その中で、自分は普段より(というか飲んだ時と同様に)良く英語が出てくるのですが、相手の米国人が知らない単語を使うのが不思議でした。
確かに辞書にはあるのですが、私は分からない言葉なんです。
でも、何故か夢の中の外人は使っていました。
不思議でした。
安斎利洋
2008年06月22日 00:29
それも「わからない言葉」の夢、ですね。
メタ言語、ではなく、メタ非言語、とでも言うべきか。
わからない言葉であるにもかかわらず、いうにいわれぬ(当然ですね)感触をともなうのが不思議でした。追い詰めようとすると逃げてしまうあたりは、壊れかけたハードディスクからファイルを取り出そうとするときの感覚だったかもしれない。
チクリン
2008年06月22日 02:11
能力・感覚を失うという経験にはなにか独特な感触がありますね。
子供の頃、「自分は何にでもなれる」と自然と感じていて、長じると
失うものの、その感覚の残滓をしばらく思い出すことができました。
今ではそれすら思い出せませんが、「失われた感覚についての感覚」は、失われた
ものよりももっと奥深いというか、大事なものに思われました。
夢からさめたときの気持ちよさは、夢の中の幸福感とか、切迫感とか、そういうものが
失われていくところ、失ったという感覚にあるのかなと。
安斎利洋
2008年06月22日 02:27
>「失われた感覚についての感覚」は、失われた
>ものよりももっと奥深い
思い出せない名前。
なくしてしまったテキスト。
揮発していく夢。
歯医者で麻酔をかけたあとの、まるで抜いた鋳型のような感覚。
などなど。
そういえばお金が強く存在感をもつのは、なくなったときですね。
忘れたことを忘れてしまう感覚、というのもあるのでしょうか。
中村理恵子
2008年06月22日 07:56
>「失語症でも頭の中の言葉は生きているものなのだな」と思う。
これこれ↑。
頭の中;言葉だととりあえず意識できてるすべては、生きてるんですよね。
しかし、それを実際の言葉ってもんに、リニアに発生させるには、技術がいるよね。
まるで管の中に、一列に入れ込んでいかねばならぬような不自由さ。針と糸でビーズの玉を連ねばならぬような、もどかしさ(手芸が不得意・笑)。
その途中で、ぼろぼろ取りこぼす。「あ、それそれ。あれあれ。」と思ってる言葉をどんどん取りこぼすし、わたしの場合はね。
頭の中の言葉って、ちょうどカンブリアンのマップのように独特に関連しあって拡がっているですよ、わたしの場合はね。
それを一気に表すには、↓こうしたシステムがいるのですよ。そちらのもなかなか素晴らしい。
>咳をすると、一部を拡大表示した銀色のスポンジに変換される。
わたしのは、やわらかな粘土のタタラ状の板に、前頭葉を押し付けると転写できたりして・・・
と妄想しましたけどね。
安斎利洋
2008年06月22日 13:31
↑短い哲学書のような‥‥
言葉を失う感覚は、なくなるというより、目詰まり感に似てますね。ビーズを連ねて言葉にするのが上手な人は、とりこぼしたビーズを忘れるのが上手な人でもあるんだろうな。
ソウル大学の姜先生との議論は、ビーズの取りこぼし方についてのセンスのずれだったのかもしれない。
さて、たたら+スポンジ+ビーズをどう作るか。
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