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血祭り全体に公開
2008年06月17日15:04
宮崎勤への死刑執行は、法相が「粛々」と言えば言うほど秋葉原無差別殺人との関連を思わせる。

死刑囚に待ち行列があるものだから、ところてんのように過去の罪人が突き出されるが、国が犯罪者を殺す起源はやはり「血祭り」だ。

「祭り」には村人の動員が欠かせない。だからこそ裁判員制度。
で、「祭り」といえばかぶりものなのだ。

写真
裁判員制度のマスコット「サイバンインコ」の首をつける鳩山法務大臣

コメント

imochang2008年06月17日 15:37
深く同感します。
何か感じないほうがおかしいです。
ネットでニュースを見て、日記を書きにきたら、先に書かれてた。
安斎利洋2008年06月17日 15:43
>何か感じないほうがおかしいです。

なかなかよくできたモンティ・パイソンのギャグだと思いました。
H.耕馬2008年06月17日 16:21
関連性があるという前提で、受け手はどうおもうのだらう?

(1)やっぱり自分も死刑になるなら止めよう。

(2)こうやって死ぬまでスターになれるんだったら最高!

国は1だと思ってるんでしょうね。

2は死ぬまでかまって欲しい人にとっては魅力なのかも。
無視されるのは、死ぬより辛いか?
Mike2008年06月17日 16:31
秋葉原の事件直後の閣僚の発言として、法相が「厳罰主義」を強調し、それに対して、厚生労働大臣が、「格差社会と派遣」の問題に言及した、このコントラストが印象的でした。
 厳罰主義で、こういう犯罪が減る、と思うのは、大きな勘違いでしょう。
むしろ、死刑を受けたいから犯罪を行う、とまでいう犯罪者が出ているわけですから。
うさだ♬うさこ2008年06月17日 16:35
なんというか、そもそも「やっぱり自分も死刑になるならやめよう」と
いうような理性的な判断ができる人は、大量殺人なんかしないんじゃ
ないだろうか、といつも思います。
安斎利洋2008年06月17日 17:37
ひきこもりの自殺願望のマゾにとって、最も重い刑は社会復帰でしょうね。

もし刑罰が抑止力であるなら、誰にとっても恐ろしい拷問を考案しなくてはならないし、もし犯罪者の更生を目的にするなら、脳を改造するところまで行き着かねばならない。

という考え方もありえますよね。
大和田龍夫2008年06月17日 20:14
昔、手塚治虫のマンガでロボトミーの話を見て怖くなって眠れなくなったことがあります。
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%C0%BA%BF%C0%B3%B0%B2%CA/detail.html?from=websearch
今では科学は進歩しているのでしょうか?
安斎利洋2008年06月17日 21:51
ロボトミーがつい近年まで、ごく普通の「治療」だったというのは、戦慄に値しますね。中村真一郎が受けていたという話がありましたが、Wikipediaのロボトミーの項目によると、「中村真一郎が、ロボトミーの手術を受けたとの記載があったが、真偽の程は不明。」とあって、デマだったのかもしれない。いずれにしても「カッコーの巣の上で」のような電気ショックをはじめとして、かなり荒療治があったみたいですね。

脳科学は進んでいるけれど、精神病の治療は、「異常」が社会的なモードからの逸脱である以上、それは社会による脳改造です。

犯罪は、「責任能力」という敷居によって、精神病と分離されますが、その基準はあいまいで、考え方を拡張すれば、あらゆる犯罪は「病」であると考えることができます。すると、刑罰は「病」の治療だし、教育は「病」の予防といえる。

確か、アメリカでは性犯罪者の性欲を抑制して、再犯を防止することが行われているんじゃないかな。凶悪犯の脳に電極を差したり、継続的に投薬したりすることが、仮想的な監獄と考えられる日が来るかもしれない。

僕は、正直言ってどう考えていいのかよくわからないのですが、少なくとも刑法が人間主義的な被りものを被るのは、欺瞞だと思いますね。あくまで権力が人間を改造するシステムなんだから。
うさだ♬うさこ2008年06月17日 22:16
権力ということでいうと、法律そのものが国家権力のあらわれなんですよね。
でも、国家権力って言うのは、いまのところたぶん、結局私たちが国に「許
可」しているものなんですよね。
そう思うと、死刑っていう制度も、自分の中の権力に依存する「なにか」とか、
人の死を強く願う「なにか」とか、そういうネガティブな自分の中の「なに
か」を顕在化させる制度だといつも感じています。
これを、たくさん実行することが社会を安全にする仕組みだとは、どうしても
思えないんですよねぇ。
安斎利洋2008年06月17日 22:29
>結局私たちが国に「許可」しているものなんですよね。

善良で正常な「私たち」が、権力なんでしょうね。

>人の死を強く願う「なにか」とか、そういうネガティブな自分の中の「なに
>か」を顕在化させる制度だといつも感じています。

だから、裁判員制度は本当に恐ろしいと思う。
ikeg2008年06月17日 22:34
ことこの問題に関しては、個人的な見解を言えないような雰囲気をつくることがまずいと思う。自分の家族が惨劇に巻き込まれて、それでも国家権力がうんぬんといえるほど、みんな冷静だとしたら、それはものすごい宗教なんじゃないだろうか。
安斎利洋2008年06月17日 22:55
僕は、刑罰が国家権力じゃなくなるほうが恐ろしいですけどね。
被害者の感情に重きを置くのもまた、宗教じゃないかと思います。拉致しかり、忠臣蔵しかり。
ikeg2008年06月17日 23:24
すいません、ぼくがいっているのは陪審員精度のことではなく、死刑の問題です。陪審員精度に関しては安斉さんと同意見。
安斎利洋2008年06月17日 23:39
ああ、なるほど。
死刑については、ヒューマニズムや反権力を理由に反対というのは僕もおかしいと思う。法は権力なんだから。
耕馬さんやMikeさんが言ってるように、「死刑になりたい犯」の問題は、また別ですけどね。
大和田龍夫2008年06月17日 23:42
裁判員制度と陪審員制度の違いはお話の上では分かるのですが、今ひとつリスクとメリットがわかりません。
ただ、私が思うのは、
「12人の怒れる男」と「12人の優しい日本人」を見てうなってしまったことと、相島一之いいなぁということでした。実際裁判員に指名されたいと思う私は当たることなく、当たりたくないと思う人が当あることもまた真実なのかもしれません。
専門家(コメンテーター)の意見を世論に傾ける傾向のある社会には裁判員制度は不似合いな気もしますが、守秘義務の壁が裁判員制度を裁判官の免罪符となぞらえることもできるような気がします。
法律の素人が言うべき意見ではないのでしょうが。
酔ったついでに、だうもすいません。

SOYA2008年06月17日 23:54
死刑囚に余計な恐怖を与えないように、死刑執行のスタッフは全員この着ぐるみを着よう。
処刑台に案内する人もこの着ぐるみ。ロープを首にかける人も着ぐるみ。
怖いから、声もアニメの女の子風で、
「さあ、いよいよ死んじゃうんダヨ〜」
なんて言われたりして。。。
machiko2008年06月18日 00:04
かぶりもの。
仮面と被りもの、の相似点と相違点を考えていくと、いろいろ見えてくるかも。

>刑法が人間主義的な被りものを被る

法務大臣がこういう被りものをマジで(?)かぶっている社会の怖さ。
しかも、「サイバインコ」ですか・・・・
誰がどういうつもりで命名したんだか。
インコはオウムと同類なので、利口だし、口まねします。口笛なんかも真似るし。(ずいぶん長い間、たくさん飼ってました)
人の言葉が自分の言葉に組み入れられます。
オウムの仲間に入ってるヨウムなどは、相当に頭がいいようで注目されてます。絶滅しかけてますが。

裁判員制度のマスコットがインコ、って、意味深。
安斎利洋2008年06月18日 01:17
>12人の優しい日本人

まだ見てません。映画で見ちゃっていいですか? 邪道?

>怖いから、声もアニメの女の子風で、
>「さあ、いよいよ死んじゃうんダヨ〜」

往年のSOYAアメージングワールドですね。
このネタで、作品描いてください。

>しかも、「サイバインコ」ですか・・・・

すみません僕のタイプミスでした。正しくは、「サイバンインコ」。インコに変わりないんですが。
12羽のやさしいインコが陪審員で、いっせいに死刑、死刑、死刑って口真似する裁判の被告にはなりたくないな。鳩山邦夫って人は、天然 Monty Pythonの素質ありますね。アルカイダの友達の友達だし。
うさだ♬うさこ2008年06月18日 01:25
この法務大臣は、法科大学院制度が走り始めたあとの、司法試験の合格者増には
反対しているんですが、その理由がよく理解できないんです、、、

☆私はべつに死刑に「反対」ではないんですよ。大声で賛成できないだけです。
 それと、死刑が抑止力になるかどうか疑問に思うこととヒューマニズムは、
 別の問題だと思います。
安斎利洋2008年06月18日 02:12
それは質の低下を心配して、ということでしょうか。

鳩山邦夫は、いろいろ問題発言が多いですが、よく発言全文をみるとスジが通っていたりするんですよ。なにせ鳩山家ですから、育ちがよすぎて共通の常識にたてないんでしょうね。

多くの人と常識を共有できないのは文化の問題なんですが、感情が読めないトカゲが「悪」に見えるのと同じで、個人的資質として糾弾されやすい。そこがまさに、裁判員制度の問題なわけで、法相には自分の問題として考えてほしいですね。

法曹が増えすぎて質が低下するのも困るけど、それ以前にトカゲの善悪を読める哲学を、学んでほしいですね。
中村理恵子2008年06月18日 06:48


 しかし、この日記の画像は、秀逸ですね。
マジで、新たな死刑の仕組みか?と思いました。
この着ぐるみの中で、圧死するのか?と想像したら信じられないくらいの圧迫感あります。
うさだ♬うさこ2008年06月18日 10:37
法科大学院って、あんまりいい制度ではないと思うんです。
私も、会社員のころ定年になったら勉強して司法試験受けてみようかな、
と思ってたことがありますが、そういう中年の夢をうちくだく制度だ
と思います。
でも、いったん走り出して、学校もたくさんできて、そこで会社を
やめてまで学んでいる人がたくさんいるところで、法務大臣として
ああいう発言はどうなんだろう、と思いました。
安斎利洋2008年06月18日 12:51
>この着ぐるみの中で、圧死するのか?

僕はフジテレビの楽屋で、ガチャピンとムックの中から疲れたおっさんが出てくるのを、見たことがある。
あ っ こ2008年06月18日 13:26
・・・あああ ガチャピンとムック ・・・・・ 

・・裁判員制度の法案をはじめてみたとき瞬間脳裏に描いたのは「赤紙」だ!です。(すみません・・その程度の想像力しかもってません★)

まぁ〜すんげ^^飛躍ですがていのいい権力機構による強制動員って構図です。

次の瞬間「にげよぅ!」って反応でましたね!!ぎゃはは

さてひいいてみて、すこし考えるとこの国は未だに明治時代か?ってな感じうけます。西欧式をやっきになって取り入れようとして・・なにに肩をならべようと闇雲になっているのか?

制度というものは多くはその背負った歴史によって妥当性をみることが出来ます。そして必ず時が来れば変わる。
今回の日本における裁判員制度は、そのいわばもうすでに賞味期限が来ているかもしれない「制度」という「商品」を定価のまま買うような行為に見える・・・・。わずかでもある種の未来性を感じるものであれば実験としてみていることもできるのでしょうが・・・わたしはごめんしたい。

そろそろ「自分流」を構築できる時期に来ているはずで(明治時代じゃないからね)もしかするとここの国の独特の対立軸の組み立てかたとか係争にたいする感性とかもっと分析すると面白いものが沢山あるのじゃないかしら?そのななから今世紀まで世界で一度も採用されたことがない「裁判のありかた」をうっかり見つけちゃうかもしれない・・・っておもうのはきっと脳天気なわたしだけだね。

ぁぁぁ つまり労力のかけかたまちがってないかな?


安斎利洋2008年06月19日 00:44
>法科大学院って、あんまりいい制度ではないと思うんです。

そういえば昔は、図書館に司法試験の受験生がたまってました。別にバッジをつけてるわけじゃないけど、見るとすぐにわかった。

>すでに賞味期限が来ているかもしれない「制度」

退行している感じがしますね。立法は民主的に決めるべきだけど、司法を民主的に執行するのは先祖がえりです。極端に言うと、司法は機械的であるべき、という考え方のほうが現代的なんじゃないかな。

ワイドショーで、もしあなたが裁判員になったら、っていう特集をよくやってましたが、あれ見るたびに、「裁判員に使命される確率の6分の1の確率で、あなたは裁判員による裁判の被告になります」って番組も作れよ、と思います。
MATANGO2008年06月19日 01:27
「血祭り」にもどれば...。
刑罰というのは「血祭りしたものを血祭る」...というカタチになるんだなと思いました...。

犯罪をおかしたものと、それを罰するものは、ひそかにココロのなかでは
「おなじカタチ」になる...。

だから刑罰を与えるものは(裁判員も...つまりわしらも)、
「犯罪者とおなじカタチになった自分を罰する」ということに、
少なくとも「ココロのなか」ではなる...。

だからなんだというのは、いまはメンドウで考えきれませんが...。
安斎利洋2008年06月19日 01:41
>犯罪をおかしたものと、それを罰するものは、ひそかにココロのなかでは
>「おなじカタチ」になる...。

これは面白い指摘だと思います。刑法には、「殺人してはいけない」という命令はどこにも書いてなくて、「殺人したら、懲役なんたらかんたら、もしくは死刑」という if 〜 then 〜の記述があるだけ。「殺したものは殺す」という「カタチ」が法なんですね。
死刑廃止論は、なんら情緒的宗教的問題ではなく、「殺したら殺す」にかわるカタチがあるか、というロジカルな問いであるべきなんでしょう。
うさだ♬うさこ2008年06月20日 00:58
この話題をまた蒸し返していいのかどうかよくわからないのですけど、
自分ちの日記で書くべきでしょうかね。
でも、せっかくなので、もう 1つ書いてしまいます。
さいきんいろんなホームページやMixi日記を見て回って思ったんですけど、
死刑に対する考え方って、「賛成」か「反対」の2つに一つしかないんで
しょうかね、、、
世の中、「死刑賛成派」と「死刑反対派」に分かれなきゃいけないことに
なってて、互いに相手をののしることしかしてないように思えるんです。
これは、2 つに1つの問題ではないんじゃないかなあ、と思うのですよね。
machiko2008年06月20日 02:54
死刑賛成と反対、というあたりなんですが、「人道的」という視点だけでなく、「この国の司法制度を信頼できるのかどうか」ということが実は大きいのではないですか?

「死刑と決まった人はとんでもなく悪い人なんだから、死刑にされても当たり前」と思える人、というのは、よほどフェアな国に住んでいるか、よほど思想統制が徹底した国に住んでいるか、そのどちらかではないでしょうか。

ずーっと前なんですが、アムネスティ・インターナショナルの白書の翻訳作業に関わったことがあります。もちろんボランティアで。
この翻訳作業をしている間、世界がおそろしく暗く見えました。
(但し、世の中にはサディストの楽園というものがあるんだなあ、とは思いましたね。そういう人はこの事例集の翻訳なんてウハウハでやるんじゃないか、と思ったり。なにしろ具体的な事例を翻訳する作業だったので ー 南米編を担当してました ー 淡々と翻訳していく作業は、気が狂いそうになりました)
でも、世界のあちこちで、状況は、今もあまり変わってないようです。

日本が、死刑を肯定するかどうかはともかくとして、フェアな起訴と裁判が行われている国だ(将来も・・・)と信じられるかどうか。
それが「信じられる」という前提に立ってはじめて「人道」的かどうか、ということだけが論点になるわけでしょうね。

安斎利洋2008年06月20日 13:57
冤罪、死刑、というと「グリーンマイル」を思い出します。悪法も法といって毒を飲むソクラテスの姿も。司法は司法のために人を殺す、ということですね。

司法のシステムが信じられないから死刑をやめておく、というのは、調理人が自分の腕を信じられないので、胃腸薬を料理に混ぜる、みたいな自己矛盾の表現になってしまうから、鳩山法相は、いわば空威張りのように自信を誇示するのでしょう。

そもそも人が人を裁くことができるか、ということを考えると、司法というのは原理的にありえないけれど、ないと困るからともかく動かしておく、という機械で、けっして正義のメートル原器のようなものじゃないと考えるべきですね。

だから、死刑は必要か、という問いに即答できること自体、自分の生きている世界の自家撞着にあまりに鈍いように思います。
安斎利洋2008年06月20日 14:08
日本の場合、冤罪は権力の横暴というより、公務員のサボタージュが多いんじゃないでしょうか。社会保険庁と病根はいっしょ。志布志事件もそんな感じだし。

南米のサディストの楽園がどういう風景かわかりませんが、怖い顔をした悪魔たちに殺されるより、だらけた公務員に殺されるほうが、恐ろしい。
安斎利洋2008年06月20日 15:20
ちょっと関連:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=844484197&owner_id=144312
あ っ こ2008年06月21日 00:02
>だから、死刑は必要か、という問いに即答できること自体、自分の生きている世界の自家撞着にあまりに鈍いように思います。

私はいつも思うのですが・・そうなると民主主義の現時点もまた過程であり進行形の進行しつつある一点に過ぎない。または人類はやっとどうにか「民主主義」までは発見できたとこ!ってなもんだとしたら現代(いま)を生きるものとしてはなるべく多くの法律を作らずにじっと我慢して結論がでないことを延々と話し合い続けることで生き延びないといけないかもしれあいというような印象は常にもっていますね・・・・

話がおそろしくぶっ飛びますが「めいわくぼうし●●」とか、良いようでなんだかなぁ〜〜なものいっぱいありますよね。よく考えるとしっかり自分で自分の首を絞めている。

冤罪がサボタージュによるものだとして、公務員のサボタージュに罰金を課して刑務所の死刑囚がつかう部屋の予算にするってのはどうでしょうか?
例の死神さんがハンコをつきたがるのって予算(刑務所の経費)の問題も有るのじゃないかしら?(かってな想像です)

もう一つ基本的な問題ですが、本来この制度をもつにあたっては主体となる有権者が起きていることの全てを(アムネスティーのレポートのしても世界の現状にしても)知った上で自分たちの「制度」として保有することを希望しているか?という議論ができていないような気がします。それは反対か賛成かという議論とは全く別なものではないでしょうか?さらに言えばだれも現実を知らないという問題はかなり問題なのかもしれないと思います。
チョイスとは知ることですから実際一つの選択をするのにことによっちゃ100年かかってもいいものもあるってことじゃないかしら。
前提となる事実とシミュレーションの共有をどのように制度化するかはテキニカルな面でもこれからの課題かもしれない。
うさだ♬うさこ2008年06月21日 00:43
machikoさん、そしてあっこさんに全面的に共感します。
いまの日本という一つの状況だけを切り取ると、死刑制度は巧く回っているよう
に見えます。しかし、それはあまりにも危ないバランスの上に成り立っているの
かもしれません。未来永劫、このままとは限らないかもしれない。
世界には、そうではない地域もずいぶん多い。
そこは考えといた方がいいと思います。
安斎利洋2008年06月21日 12:27
日記を書く段階でわかってなかったことが、いろいろ見えてきました。

wikipediaに
「裁判員制度は、司法制度改革の一環として、死刑制度に反対する公明党主導で導入された」
とあります。仔細はわかりませんがもしそうなら、死刑制度を仮面にして、まんまと法の哲学をチェンジした、というふうに思えます。

つまり、「人々の良心」のような、法システムの外部を前提にしたということです。公明党はおそらくそういう自然法論をイメージしたのでしょう。つまり、「悪法は法ではない」という考え方。

一見これは良いことのように響くけれど、よく考えてみると、法システムの外部を囲むのは「人々の良心」である保証はなく、「人々の愚かさ」や、「人々が支持するイデオロギー」である場合がある。

その問題が、死刑廃止という「被り物」をかぶっている。そういう問題として考えないと、死刑をめぐって堂々巡りになる。
ペコルン2008年06月22日 10:52
>一見これは良いことのように響くけれど、よく考えてみると、法システムの外部を囲むのは「人々の良心」である保証はなく、「人々の愚かさ」や、「人々が支持するイデオロギー」である場合がある。

裁判員制度って、司法の場に、世間をもちこむようなものでしょう。
西洋のように「社会」と「個人」の確立がなされていない、
世間だけがあるような日本(KY空気を読め的世間)でのこの制度は、
村社会を連想して、ちょっと恐怖だわ。

安斎利洋2008年06月22日 13:19
恐怖ですよね。こういう大事なことが、音もなく決まってたことも恐怖です。聞き耳をたてていなかったほうが悪い、といえばその通りなんですが。

たとえて言うなら、OSのアップデートを自動にしていたら、ある朝、MacOSがWindowsになっていたような感じ。
H.耕馬2008年06月22日 17:45
先日「終身刑反対」な、法律学者がラジオで話していました。

曰く有期刑は、本人の心がけ次第で、刑が軽くなるため、囚人にとって改心の余地、教育効果がある。日本の場合、無期刑は期限が決まっていないだけの有期刑だから同様。
死刑囚には、別の意味での教育効果がある。

しかし終身刑は、「本人の心がけ次第で刑が軽くなる」事は無く、文字通り「死ぬまで刑務所」なわけで、囚人にとっては絶望感と開き直りしか無いそうです。そのため一般的に、終身刑の囚人はとてもモラルが低く、なおかつ凶暴なのだそうです。

それは大体は、死刑になるような犯罪を犯した者が終身刑になっており、死刑制度が無いから終身刑である場合が多いから。刑務所の中で暴れようが、何をしようが、死刑が無いからその状態のまま。
つまり、良くても終身刑、悪くても終身刑な状態な訳で、それでモラルが低く、なおかつ凶暴となるのだそうです。

その学者いわく、国としてこうした教育効果の無い囚人に、税金を使い続けるのは無駄だそうな。だから経済的に、死刑にしてチャッチャと始末しちゃうんでしょうね。
安斎利洋2008年06月23日 01:19
刑が軽くなるための改心って、心が変わったんじゃなくて戦略の変更ですよね。刑が軽くならなくても改心したなら、心を入れ替えたことになる。利害の計算で法に従うのと、計算なしで法に従うのでは、適応の深さが違う。

死刑か終身刑相当の囚人に対して、彼を適応させる理由は何なんだろう。人間がすべて良心をもつことを確認するため? 

藤子・F・不二雄の「気楽に殺ろうよ」は、殺人は「種」の利益になるから善である、という異世界に迷い込んでしまう男の話なんですが、その世界に居続けるうちに、「教育効果」でだんだんその倫理が正しいような気がしてくる。じゃあ殺そうか、と決意して家を出るのだけれど‥‥というお話。

殺人者が、異世界Bから現世Aに紛れ込んだ者だとしたら、異世界Bに帰ってもらうのがスジですが、そういう扉はない。しかし、殺すのが正しい、という論理の中で生きているなら、その論理を全うする刑罰があるかもしれない。

懐疑的に考えると、死刑はわからないことだらけです。

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