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走りながらOSを変える全体に公開
2008年06月11日22:39
藤子・F・不二男の「流血鬼」が面白い。

吸血鬼に噛まれた人間は吸血鬼になり、日光と十字架を嫌い、人を噛むためにさまよい始める。この連鎖がパンデミック(感染爆発)を起こし、世界中が吸血鬼になってしまう。

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ただひとり残った少年が、人類のために戦う。

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しかし追い詰められ、ついにガールフレンドに噛まれてしまう。

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結末がすごい。

吸血はウィルスを感染させるための手段で、感染した「新人」は、未感染の「旧人」にくらべてはるかに優れている。新人に生まれ変わった少年は言う。

「今から思うと、おれ、ばかみたいだよ。どうしてあんなに新人になるのをいやがったのか。」

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「気がつかなかった、赤い眼や青白い肌の美しさに!」
「気がつかなかった、夜がこんなに明るく優しい光に満ちていたなんて。」

永井均は「マンガは哲学する」でこの作品をとりあげ、絶対的な悪だと思っていたものが、彼らの視点にたってみればはるかに良い世界なのかもしれない、として、こんなことを言っている。
「ひょっとしたらオウム真理教がそうかもしれないなどと言うと、またひんしゅくを買いそうなのでやめておこう」

仮に、ナチスが世界を制覇していた場合の現代史を想像してみる。逆に、いま僕らがいる世界を「〜が制覇してしまった世界」と考えることもできる。「享楽的なイデオロギーによって人口が50年で3倍にもなってしまう世界は、案外すばらしいかもしれない、などと言うと、またひんしゅくを買いそうなのでやめておこう」なんて書かれる別の可能世界を考えることもできる。

悪は善の補集合に過ぎないから、善に「悪いに決まっている」と思わせられているだけだ。その善も悪の補集合に過ぎない。善悪の棲み分けが違う公理系Aと公理系Bがあるとき、一方の正しさから、もう一方の間違いを言うことはできない。

でも、そうやって遠い鳥の視点から見ることは、さほど重要じゃないんだと思う。大事なのは、自分のOSを変えるときの体感だ。旧OSの内部に居て旧OSの上で作動しながら、新OSの種がインポートされ、作動を開始するまでの、嫌悪、不安、怖れ、恍惚。

新しい世界観を知ることは、なにかしら近しい者に噛まれることだ。僕らは、何度この恍惚を味わってきたことか。

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「流血鬼」 昭和53年 週刊少年サンデー52号掲載
藤子・F・不二雄少年SF短編集 (2) (小学館コロコロ文庫)
http://www.amazon.co.jp/%E8%97%A4%E5%AD%90%E3%83%BBF%E3%83%BB%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E9%9B%84%E5%B0%91%E5%B9%B4SF%E7%9F%AD%E7%B7%A8%E9%9B%86-2-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E9%A4%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%AD%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%97%A4%E5%AD%90%E3%83%BBF%E3%83%BB%E4%B8%8D%E4%BA%8C%E9%9B%84/dp/4091940366/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1213191818&sr=1-1


コメント

さかい2008年06月11日 23:07
このマンガの結末は、子供心に衝撃でした。
読み終えて「これ、何も解決していない・・・のじゃないの?」というような気がしたものです。
じゃい726live@XL22008年06月11日 23:14
>ナチスが世界を制覇していた場合の現代史を想像してみる

F.K.ディックがまさにそんな本を書いてます。
「高い城の男」
http://www.amazon.co.jp/%E9%AB%98%E3%81%84%E5%9F%8E%E3%81%AE%E7%94%B7-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%AB-568-%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97-K-%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AF/dp/4150105685

日本は易経がはやったりしてたりします。
結構、日本の統治は規律正しく良いような気もします。

そこで、枢軸側が負けるという本が登場する。

これが日独の仲を悪くして行く。
ディックは日本の能天気なところとか、神秘性みたいなところうまく取り入れた本です。
安斎利洋2008年06月11日 23:15
さかいさんは、リアルタイムで読んだんですか。道理で‥‥
安斎利洋2008年06月11日 23:20
>「高い城の男」

SFは可能世界の思考実験室ですね。
カンブリアンゲームで、可能世界を網羅する、というのはどうだろう。
じゃい726live@XL22008年06月11日 23:36
>道理で‥‥

さかいさんそういえば、目が赤い???

いや、あれは疲れ目か。。。

しかしこの視点の転換は多くは同意を得ることが難しい。

まさにオウムがメディアに出始めた頃、「宗教団体としては幸福の科学よりまともだ」「何も考えずに経済活動して金儲けしている人より、この社会の異常性を感じたから信者になったんだ、彼らの方が正常」

とか語っていたものだからサリン事件が起こった時にすごくバッシングされた。

いったん「悪」と決まると、人間狩りが始まる。私などは良いが、それなりの文化人となると大変だったのだろうなと思った。

日本の「善悪」はラベルのようなものだから、「悪」となったとたんにすべてが「悪」にしたほうが解りやすいのだろうな。

http://redfox2667.blog111.fc2.com/blog-entry-162.html
http://d.hatena.ne.jp/boiledema/20080610

はてなやら海外あたりに冷静さがあって安堵する。
テレビ、新聞だけだったら、今日もお酒飲みに出かけに行ってそうだった。

一般よりネットに依存してますが、助かってます。
家に帰って必ずPCに電源をいれる、家に居るときはつなぎっぱなしなのはそんなに一般的でないのだと感じる今日この頃、驚いたけど、だってみんなつなぎ放題の契約してるのに。。。

安斎利洋2008年06月11日 23:56
秋葉原の事件は、善悪の軸を無視しても、ポテンシャルが低いですよ。
ああいう人間は、嫌いです。
jiroh2008年06月12日 00:30
この絵本の事を直ぐに思い出しました。
「くいしんぼうのあおむしくん」
http://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=1841
1975年の初版なので藤子漫画よりも少し前になります。
mixiやfacebook,そもそもinternet社会がそのようなものとも思われますね。

安斎利洋2008年06月12日 00:47
>「くいしんぼうのあおむしくん」

jirohさん、すばらしい連想ありがとうございます。
オートポイエーシス、内部観測のメタファーそのものですね。
あおむしくんの内部に入ったとたんに、あおむしくんは見えなくなる。
内部にまた、あおむしくんが発生するかもしれません。
smi2008年06月12日 06:15
>サリン事件が起こった時にすごくバッシングされた。
日本では9.11以降よりもサリン事件以降の変化のほうが大きいようにおもうのは私だけでしょうか。
犯された患部を臓器ごと全摘してしまったために、ストレートに記述する機能をうしなってしまった不自由さを感じます。
意識的にか無意識でか、その多くは隠れキリシタンのようにして、漫画やアニメやゲームのなかにこっそり隠して表現しようとしている。
中村理恵子2008年06月12日 08:41
>大事なのは、自分のOSを変えるときの体感だ。旧OSの内部に居て旧OSの上で作動しながら、新OSの種がインポートされ、作動を開始するまでの、嫌悪、不安、怖れ、恍惚。

興味深いのは、これだなー。
人は、自分が正しいと思う姿、環境に「居着く」癖がある。
と、同時にその「居着く」姿から解放されたい。
そして新たな正しい姿に居着きたいと願うのだと思うんだね。

自分にとって真新しい正しいってのを起動させるためのハプニングってのは、なかなか厳しいく、険しいく、やさしいくない。


吸血鬼にがぶりとやられるヤバさも、場合によっちゃ〇か?

山下洋輔が炎上するピアノを演奏、これも〇か?
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/080308/msc0803082035002-n1.htm
(情報元は、マイミク;温度さん日記よりhttp://mixi.jp/view_diary.pl?id=836086247&owner_id=126785

↑しかしこれは、×かな?(笑)。
同じ戦いは二度しないがやっぱり正しいでしょ。


Stone2008年06月12日 09:00
ちょっと違うかもしれないけど、Round Tripとか
http://www.amazon.co.jp/Round-Trip-Ann-Jonas/dp/068801772X/

高校までが、こう答えれば正解というものを教えてきたのに対して、大学は正解が複数あったり、そもそもなかったりします。それにも関わらず、その違いに気づかず、「この問題の答えはなんですか?」「レポートには何を書けばいいのですか?」ときいてくる学生があとをたちません。そもそも初等教育から、そういう教え方をするべきだと思うんですが。
安斎利洋2008年06月12日 11:54
>同じ戦いは二度しないがやっぱり正しいでしょ。

同じことが起こるかどうか、どうしても知りたかったんだと思うよ。グレングールドが最後にもう一度ゴルトベルクを弾いたように。

弦が伸びて音が低くなり、楽器そのものが崩れていくその楽器を弾くっていうのは、走りながらOSを変えるのと同じことですね。リアルタイムで聴きたかった。
安斎利洋2008年06月12日 12:02
>Round Tripとか

地が図として見えてきて、図が地の中に見えなくなるのは、あおむしくんが見えなくなるのと同じ問題かもしれませんね。

>大学は正解が複数あったり、そもそもなかったりします。

もうひとつの答は、別な座標(x,y)にあるかもしれないけれど、別な座標系を見つけることかもしれない。算数や数学教育は、答えの出し方を教えるけれど、本当は答えの出し方の出し方を教えるべきですね。それで国語の教科書には「流血鬼」も入れるべし。
らもきち2008年06月12日 12:51
自分のOSを走りながら書き換える体感って、不思議なものがありますね。

内部はこんな感じでしょうか。


ある関数(感覚)をよびだそうとしても、もうなくなっていて、それでもそのまま走り続けてしまって、欠落により、新たな自分の側面がでる。


ある関数を呼び出そうとしたら、名前は同じなのに、仕様は変わっていて、それが妙な関数を呼びあっていて、なぜか共鳴してしまった。


人のOSの書き換えは、イチゼロでないので、公理系の変化というより、ニューロ風の位相パターンの転移のよいな気がしました。
あおいきく2008年06月12日 13:31
>ひょっとしたらオウム
当時、あんなに牧歌的な大地を手に入れたのに、「農薬うんぬん」とか言いながら全く作物を育てた形跡のない光景に違和感を覚えたものです。

一連の事件後、95年のイマーゴの増刊で、中沢新一氏が、彼らの思想には「能産する力」の原理が欠如していたと書いてます。女性性や能産性の原理を排除した、「本質的に情報論的な密教」で、そこからは生産する無、生産する女性性、生産する大地の要素が、取り除かれていると。
中沢氏はそれを「サイバネティックス機械」と呼んでいるけど、どこか今回のアキバの青年の生い立ちや心性にも通じる感じがします。横レスですが。
安斎利洋2008年06月12日 14:39
らもきちさん、この展開はすばらしい。

>ある関数を呼び出そうとしたら、名前は同じなのに、仕様は変わっていて、
>それが妙な関数を呼びあっていて、なぜか共鳴してしまった。

この「なぜか共鳴」を誘発するような仕様変更の一般法則があるんじゃないか、と思うんですよ。たぶん、詩学っていうのはそういうものじゃないかと思う。

>公理系の変化というより、ニューロ風の位相パターンの転移

これもまさに情報的な詩学。安定して動いているネットワークが、パターンを捨てて、別のパターンに相転移できるような一般法則を考えたいと思っています。
安斎利洋2008年06月12日 14:59
>中沢新一氏が、彼らの思想には「能産する力」の原理が欠如していたと書いてます。

まったく同感。永井均さんは、アポリアを誘うためにオウムを出しているけれど、秋葉原の男と同じようにオウムでは話になりません。それは、吸血鬼の世界のような循環するシステムがないから。ユークリッド幾何学に対する非ユークリッド幾何学のように、内部で無矛盾であるようなほころびのない強さだけが、自分たちが今信じている「正しさ」を相対化できるのでしょう。

じゃ、ナチスはどうなのか。少なくとも、熊や鹿を駆除する自分たちの「正しさ」を相対化するために、単純な「悪」として片付けちゃだめなんだと思います。
安斎利洋2008年06月12日 16:39
>犯された患部を臓器ごと全摘してしまったために、ストレートに記述する機能をうしなってしまった不自由さを感じます。

オウムがいかにキモい連中だったか、と考えるのは癒しにはなっても、それ以上のものにはなりません。が、もし「能産する力」をもった第二のオウムが出現したら、ということをフリーハンドで考えなくちゃいけませんね。

そういうフィクションって、ありますか? 「20世紀少年」は、ややそれに答えようとしているのか。
smi2008年06月13日 06:35
「能産」ということばをはじめて見ました。
どういう意味かにわか勉強しています。スピノザの『エチカ』に使われていたりするんですね。
「20世紀少年」は読んでいませんが、そういった文脈でないとしても単純にエンタテーメントとして読むだけでも面白そうですね。
私は、いまだどこかに「能産する力」を持たない「サイバネテイィクス機械」と接続することに惹かれてしまう臓器をもっているようで、地球侵略をするためにやってくるはずがオカルトマニアの少年の家で家事手伝いをしながら居候をつづけ、ガンプラを作りつづける「ケロロ軍曹」を挙げておきます。
こたに じゅんこ2008年06月13日 10:35
近しい者に噛まれること…で気づくのですね。自分の中のエゴを。
エゴの嫌悪、不安、怖れを“ゆるし”や“感謝”に変えるとエゴの壁が崩れて光が見えて来る。ぴかぴか(新しい)
安斎利洋2008年06月13日 13:52
僕は、一面の田園がブルドーザーでひっかきまわされ、高島平団地になる風景の近くで育ったんで、「サイバネテイィクス機械」との接続衝動は、きっと深く埋め込まれています。だから、「20世紀少年」は、歪んだまま成功したオウムの未来のような設定なんだけれど、抗いがたい郷愁のようなものを感じてしまう。
能産は所産の反対語として造語されたんでしょうね。
「いのちの食べ方」
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/main/wmv/movie.asx
この映像にあるヒトも、加工されている対象に見えますね。
安斎利洋2008年06月13日 13:55
>近しい者に噛まれること…で気づくのですね。自分の中のエゴを。

そうなんですよ。「絶対的な悪はない」より、そこから逆照射される「自分の信じる善は怪しい」に気づくのが吸血鬼の面白さですね。最近の世相は、盲信される善が多すぎる。
あおいきく2008年06月13日 14:35
>「絶対的な悪はない」

「MONSTER」「20世紀少年」と最後まで読んできましたけど、善悪というテーマから見ると、原作の「地上最大のロボット」の時代より、ますます混沌としている今の「PLUTO」の行方が気になります。
あおいきく2008年06月13日 14:45
>一面の田園がブルドーザーでひっかきまわされ、

この点でいえば、今はむしろ地方のほうが殺伐としているかもしれないですね。
都会のほうが、緑もコミュニティも再生しようとしている気がします。
安斎利洋2008年06月13日 14:50
手塚治虫の時代に善悪が有効だったのは、ヒューマニズムにまだ希望があったからで、どこにも中心がなくなってくると善悪はなにも語らなくなりますね。ヒトは害虫だから。

そういう意味で、石ノ森章太郎の「リュウの道」は、問題を先取りしていて、いま読んでもはっとするところがたくさんあります。今度、日記に書いてみます。
安斎利洋2008年06月13日 14:55
>今はむしろ地方のほうが殺伐としているかもしれないですね。

殺伐ベルトが、ドーナッツのように波状にひろがっていくイメージでしょうか。
うちの近くに、つい最近まで環状八号線が予定地のまま数十年放置された地域がありました。まるで、取り残された三日月湖のような。それはそれはすばらしい空間でしたが、いまやただの道になってしまった。
jiroh2008年06月13日 18:31
諸星大二郎の「生物都市」もこの「吸血鬼」に近いですね.
http://www.worldcat.org/isbn/9784420137027
http://www.chatran.net/dispfw.php3?_manga/_morobosi
ネットに接続された新人たちはもう戻れない所まで来ています。

東京のgreen belt 構想は見るも無惨ですが、名古屋は比較的残っているような気がします。
安斎利洋2008年06月13日 23:22
>諸星大二郎の「生物都市」

諸星大二郎のデビュー作ですね。Bookoffに走ったのですが、ない。
早速注文しました。

http://www.amazon.co.jp/%E5%BD%BC%E6%96%B9%E3%82%88%E3%82%8A%E2%80%95%E8%AB%B8%E6%98%9F%E5%A4%A7%E4%BA%8C%E9%83%8E%E8%87%AA%E9%81%B8%E7%9F%AD%E7%B7%A8%E9%9B%86-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB%E2%80%95%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E7%89%88-%E8%AB%B8%E6%98%9F-%E5%A4%A7%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/4086182343/ref=sr_1_8?ie=UTF8&s=books&qid=1213366435&sr=1-8

>ネットに接続された新人たちはもう戻れない所まで来ています。

秋葉原の事件現場で、ひとびとがケータイで撮影していたのを新聞が叩いています。「撮ること=見ること」である新人と、「新聞を読む=見ること」の旧人の、ズレなのかもしれません。
メンタルスタッフ2008年06月14日 16:29
> そうなんですよ。「絶対的な悪はない」より、そこから逆照射される「自分の信じる善は怪しい」に気づくのが吸血鬼の面白さですね。

オウムの事件が何かの懇親会の場で話題になるような頃、さる年配の方が、「戦前の日本はみんながオウム信者のような状態だった。」といった主旨の話をされたのが印象的でした。長年コンピュータの研究開発に関わってきた温厚な技術畑の方でしたが。

> 最近の世相は、盲信される善が多すぎる。
1000円タバコの話なんかも、そこから立ちのぼる無臭の煙の方が、実際のタバコの煙より、毒があったりしているかもしれませんね。
安斎利洋2008年06月14日 16:39
嫌煙のなだれ現象は、空恐ろしいものを感じますね。こんなに圧倒的なすばやさで相転移できるものなんでしょうか、社会って。

大昔に禁煙しておいてよかったです。いまだったらきっと、おれだけはバンドワゴンにのらない、とかいって、一生吸い続ける旧人になっていたでしょう。
メンタルスタッフ2008年06月14日 18:33
> 一生吸い続ける旧人。。。
息子は結構なスモーカーなので、たまに会うごとに「タバコ止めれば」というフツーの父親をやってきたんですが、こんな風潮なので、少し趣向を変えて、「タバコ一本頂戴」とかやってみようか、と思うこのごろです。

> こんなに圧倒的なすばやさで相転移できるものなんでしょうか、社会って。
「ことば」を中心に組織されている認知過程が(視覚なんかと同様に)く「相転移」的に働いているとすると、その延長上の社会の風潮の変化についても、思ったよりずっと相転移的に動いているのかもしれませんね。
安斎利洋2008年06月15日 02:19
>「ことば」を中心に組織されている認知過程が(視覚なんかと同様に)く「相転移」的に働いているとすると、

嫌煙は、自分自身を分析しても、パラノイア的です。かつてぱかぱか吸い込んでいたんだから、生理的に忌避しているわけじゃないのかもしれない。頭の中で反復している危険信号の正体は、私的なものじゃなくて、言語的だし社会的だと思います。

鳥が危険を回避していっせいに飛び立つのと同じで、危険、有害、不健康、といった情報をきっかけに、群れる行動をとりやすくできているのかもしれません。ナチスがエコロジーの党であったことも、これと関係するんでしょう。

しかし、鳥が飛び立って網にかかるようなこともあるわけで、すると仲間とジョイントしない一羽だけ、生き残ったりする。だから、最後まで吸血鬼と戦う天邪鬼本能にも、理はあります。
メンタルスタッフ2008年06月15日 22:43
> 大事なのは、自分のOSを変えるときの体感だ。旧OSの内部に居て旧OSの上で作動しながら、新OSの種がインポートされ、作動を開始するまでの、嫌悪、不安、怖れ、恍惚。

嫌煙について言うならば、喫煙率と死亡率などの数値の見方の「正しさ」にどうしても拘ってしまう自分から、相転移のダイナミズムこそが大事という見方をする自分への移行でしょうね。

> 算数や数学教育は、答えの出し方を教えるけれど、本当は答えの出し方の出し方を教えるべきですね。

これも、頭で分かっていても、なかなか簡単には移行できない(体で実行できない)ことの一つですね。

安斎利洋2008年06月16日 01:19
>嫌煙について言うならば、喫煙率と死亡率などの数値の見方の「正しさ」にどうしても拘って
>しまう自分から、相転移のダイナミズムこそが大事という見方をする自分への移行でしょうね。

こういうパラダイムシフトが科学や芸術や哲学によってもたらされるんだと思いますが、「どうして人間は自分自身の外側のパラダイムに立てるのか」ということを、ずっと考えています。なにが、吸血鬼の牙になるんでしょう。隠喩、アブダクション、シニフィアンの戯れ、暗闇の跳躍、などなどいくつか鍵になる言葉があるのですが、認知科学の見るべき領域があったら、ぜひ教えてください。

>これも、頭で分かっていても、なかなか簡単には移行できない

教育学の人に聞くところによると、学習における転移、つまり答えの出し方の出し方は、教育学ではあまり歓迎されないテーマなんだそうです。その意味が、よくわからないのですが。

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