人間の五感のなかで、視覚はいちばん客観的だ、と思われている。
匂いや味や音は、あいまいで主観的で、情緒や体調に影響されやすい。
しかし実は、視覚くらい主観的なものはない。
なにしろ、見ている人それぞれが、自分だけ欠けた映像を見ているわけだ。誰ひとり同じ像を見ることがない。複数の人が居合わせてお互いに見ている風景は、視点の数だけあることになる。
それに対して、音と匂いや気温は、同じ部屋にいればだいたい同じ体験になる。
なぜ、視覚が客観的だという誤解が生まれるのだろう。
視覚よりも一段上位の層にある像を、人間は共有できる。別の場所にいても、同じ地図をイメージできる。
メディアを通した視覚は、どこで見ようと同じ。テレビ、映画、インターネット、何を見るかは人それぞれだが、見る手順をそろえればいっしょの体験が待っている。
視覚が論理的で主観を排しているという誤解があるから、視覚にまつわる技術も誤解されやすい。
ARは、装着するAR装置によって、同じ現実が異なる体験として現れる。だからARが拡張するのは、対象のリアリティというより、視覚の主観性でなくてはならない。
マイルスさんやびすけっとさんが作っている
t-Room(未来の電話)は、表向きリアリティを追求しているけれど、どっこい隠れた顔があり、同じ視覚を共有すれば自分が空間にあらわれるパラドックスに本領があると思う。幽体離脱のようなアンリアルな拡張体験が未来的だ。
主観の拡張が、視覚の行くべき未来、だと思うわけだ。
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コメントで参照している図