承前
サルトルにやられた僕らの世代が間違いやすいのは、「心は構造が作る」ということの正しさだ。「心はネットワークが作る」と言い換えることもできる。もっと端的に言うなら「mixiに向かっているときの心はmixiが作っている」。
心を作るほどの大ごとなのに、ネットワークを設計する人間にそんな覚悟はない。プログラマが深夜ふと思いついたり、締め切りに間に合わなくて決定した仕様が、無数の心を作り出してしまう。
茶や連歌など日本のアートは、心のデザインが絶妙だ。心が、人のネットワーク、つまり座の中から生まれるのをよく知っているからだと思う。
WWIVというパソコン通信のホストプログラムを改造して、CGの草の根ネットをやっているときに、改造の仕方を間違えて、大事な友人が去ってしまった。誤解を生んでしまったのだが、実は誤差の基準になる心があらかじめあったわけじゃなく、心はその場に産み落とされたのかもしれない。
カンブリアンゲームを祝祭に結びつける実験、ということで「結婚カンブリアン」の第二段が進行中で、ここにもいろんな心が発生しはじめているようだ。このセッションは最終的に公開する合意があるので、いずれ具体例を示すことができると思う。
これを見ていると、もう一歩踏み込んで、「心は幾何学が作る」 と言いたくなる。