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心はネットワークが作る全体に公開
2008年06月01日17:07
承前

サルトルにやられた僕らの世代が間違いやすいのは、「心は構造が作る」ということの正しさだ。「心はネットワークが作る」と言い換えることもできる。もっと端的に言うなら「mixiに向かっているときの心はmixiが作っている」。

心を作るほどの大ごとなのに、ネットワークを設計する人間にそんな覚悟はない。プログラマが深夜ふと思いついたり、締め切りに間に合わなくて決定した仕様が、無数の心を作り出してしまう。

茶や連歌など日本のアートは、心のデザインが絶妙だ。心が、人のネットワーク、つまり座の中から生まれるのをよく知っているからだと思う。

WWIVというパソコン通信のホストプログラムを改造して、CGの草の根ネットをやっているときに、改造の仕方を間違えて、大事な友人が去ってしまった。誤解を生んでしまったのだが、実は誤差の基準になる心があらかじめあったわけじゃなく、心はその場に産み落とされたのかもしれない。

カンブリアンゲームを祝祭に結びつける実験、ということで「結婚カンブリアン」の第二段が進行中で、ここにもいろんな心が発生しはじめているようだ。このセッションは最終的に公開する合意があるので、いずれ具体例を示すことができると思う。

これを見ていると、もう一歩踏み込んで、「心は幾何学が作る」 と言いたくなる。

コメント

中村理恵子2008年06月01日 17:43
承前 で、人でなしと云われましたなかむらでございます。

伝説の大学「鎌倉アカデミア」の二代目の学長三枝博音は、
「幾何学を学ばないものは、ここにはいっていけない。」
という言葉を額におさめて掲げたらしいけど。
これはプラトンが、創設した学園アカデミアに掲げたものだってさ。

「三枝博音と鎌倉アカデミア」(前田清治/中公新書)から、
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「今日の言い方でいえば、幾何学を学ばないとは、科学的にものを考えることをしないという意味である。」と三枝学校長は述べている。
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幾何学ってきくと反射的に、うげっなる(笑)。
しかし、この日記を読んで、それからこの鎌倉アカデミアの学長が、古代ギリシャから引いてきた言葉を思うとあらためて”幾何学ってなんだ?”と思う。
さらにだ、この言葉が刻まれた扁額を毎日みて学んだ連中の顔ぶれみてみ↓。

いずみたく、鈴木清順、前田武彦、左幸子、、、

幾何学ってなんだ?
とってもおいしいもんじゃないのか・・・
ウインク
smi2008年06月01日 23:14
>カンブリアンゲームを祝祭に結びつける実験
一瞬、自分をネタに「葬送カンブリアン」をシミュレートしてみたんですが、あまりにしょぼくなりそうなので却下しました。まだまだです。
びすけっと2008年06月02日 00:28
ネットワークだけじゃないと思うんですよね.
qwerty配列だってそうだし.
バックアップを取らなかったのはユーザのせいだし.
ユミ2008年06月02日 00:37
いま、ルネッサンス関係の本を読んでいるんですけどね、
ルネッサンス以前のローマ人は古代ギリシャ・ローマの遺跡に囲まれながら中世キリスト教の教理主義的な世界にどっぷり浸かっていた時期、
あのすばらしいギリシャ・ローマ時代の彫刻には目もくれずというか、そういうモノは目にも入らず、美術的にはナイーブなロマネスク、ゴシックで過ごしてた、らしいですよ。

現代でいえば大戦中の一般のドイツ人はご近所のユダヤ人がいつの間にかいなくなることは知っていたのに、彼らがどこに行ったのか、強制収容所と言う場所で何が行われていたのか「しらなかった」らしい。。。

さて、mixiという仮想世界の中ではたまたおこちゃまたちの携帯電話世界のなかで、見えなくされているモノはなんなのか、ちょっと考えてみる。

幾何学は抽象の世界だから普遍を扱える。
あたらしいコミュニケーションツールはカンタンに手に入るけど、
その端末の先に繋がっている他人はカンタンには理解しがたい自然物(人間)だって気づいているかいないか、、

これは幾何学するしないの違いくらいはあるんじゃないかなぁ。。。
安斎利洋2008年06月02日 01:42
>一瞬、自分をネタに「葬送カンブリアン」をシミュレートしてみたんですが、

smiさんは、共振度高いですね。中村さんが、ずっと葬式でカンブリアンをやりたがってるんですよ。面白いんだけど、うまくいきかたがまだ見えない。
竹内郁雄さんが、「生前葬」をやったらしいですが、それはありかな。誰か、やらんかな。
安斎利洋2008年06月02日 01:49
>qwerty配列だってそうだし.

恣意的な環境も、心を作る、という意味ですか?
安斎利洋2008年06月02日 01:55
>その端末の先に繋がっている他人はカンタンには理解しがたい
>自然物(人間)だって気づいているかいないか、、

電子メディアが、生身の人間を隠蔽する、って話はよくわかります。
でも、生身の人間は究極のリアルかっていうと、マトリックスのネオみたいに、あるときさらにリアルな自分は、背中に管のついた家畜だと気づくのかもしれない。ほとんどの人間が、よりリアルから隔絶されたメディアの中にいることに一生気づかないのかもしれない。
安斎利洋2008年06月02日 02:24
>「幾何学を学ばないものは、ここにはいっていけない。」

鎌倉アカデミアってそういうとこでしたか。

>いずみたく、鈴木清順、前田武彦、左幸子、、、

みんな、補助線を思いつくのがうまそうだ。
中村理恵子2008年06月02日 07:53

 結婚カンブエリアンの話題、こっちにも飛び火しそう・・・・

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=822845752&owner_id=758802&comment_count=5
メンタルスタッフ2008年06月02日 11:32
「心(の一部)は幾何学そのもの」という覚悟があれば、恐ろしくて道具や規則などは作れなくなるか、「やっちゃえ!」という行動に走るかどちらかなんだろうけれど、その覚悟がなくて作られる道具や規則が本当は恐ろしいんでしょうね。
 車の後部座席のシートベルト義務化なども、局所的に見れば、自分にとってはずいぶん都合はよいんだけれど、規則そのものが持つ問題という点ではどうなんでしょうね。
 交通事故の死亡率が運転席、助手席ののシートベルトとの義務化とエアバッグでどれだけ減り、コストもどれだけかかっているのか(エアバッグのコストだけでも)、ちゃんと統計的なデータとして見やすくなっているのが欲しいですね。心は心を見えるようにすることで変っていくはず。
# 昨日も乗った新幹線のN700系、いろいろ進歩しているんだけれど、この時代になんでシートベルトをつけないんだろう。。。と考えますね。

> 「幾何学を学ばないものは、ここにはいっていけない。」
> 「今日の言い方でいえば、幾何学を学ばないとは、科学的にものを考えることをしないという意味である。」と三枝学校長は述べている。

代数学でなく幾何学を選んだところは一つのセンスなんでしょうね。

安斎利洋2008年06月02日 13:29
幾何学的な心で、最近考えるのはサッカーやラグビーのオフサイドです。オフサイドは心を作ります。しかももろに幾何学的。人間は、オフサイドみたいな心をたくさんデザインしてきた動物なんじゃないかな。

交通の規則は、いわば「心になってない」ものが多いですね。心がともなうと、たぶん「アフォーダンス」になるんでしょう。

代数学は、概念の代理を操作する学問だけれど、幾何学は(図もまた代理には違いないけれど)、直接的に思考対象とつながっているところに心があるのだと思います。つまり、思考の相手と、思考している自分の身体とが、同じ空間にある。
たんぎー2008年06月02日 16:37
北方少数民族の多くは「魂/肉体」の二元論に加えて、「複数の魂(あるいは分割可能な魂)」の伝承を持っています。

全ての魂が無くなれば人は抜け殻です。でも魂が1つ(あるいは半分)無いだけなら「足りない人」あるいは「元気のない人」にすぎません。またシャマンは他の人間と別種の魂や余計な魂を持っているけれど、人間という点では同じです。人間は肉体+複数の魂のネットワークだ、というわけです。

現代社会において「リアル/バーチャル」を二律背反的に論じるのは、「魂/肉体」の対立に囚われているように思えます。結局「どっちが本質か」という争奪戦になってますよね。
安斎利洋2008年06月02日 18:47
>人間は肉体+複数の魂のネットワークだ

すばらしいです。20世紀の思想がようやくたどりついた人間観が、そっくりそこにある感じです。

こういう世界観は、言語に反映している(というかサピア=ウォーフ的には言語が反映している)わけですよね。北方少数民族の言語をモデルにして、電子メディアを作ったらどうでしょう。

たとえば、mixiはひとりがひとつのトップページをもっていますが、魂がひとつのトップページをもつSNSとか。自分で自分の魂をアクセス禁止にすると、心が癒される、とかね。
nazo2008年06月02日 21:59
>サルトルにやられた僕らの世代

われらの世代はサルトルよりも奈良林祥を回し読みしたもんだが。そんな少年も今や大学の先生になっている。

>みんな、補助線を思いつくのがうまそうだ。

数学を好きになったのは幾何学との出会いから。補助線の持つマジック、魅力、威力への感銘は、学びと発見の喜びでした。
安斎利洋2008年06月02日 22:50
>われらの世代はサルトルよりも奈良林祥を回し読みしたもんだが。

ありましたね。最もプライベートな領域で、みんなおんなじ本読んで、おんなじようなことしてたりする不思議。

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