学校群制度がはじまったばかりの1970年の都立高校は、実験場だった。僕らの学校では、選択授業に「ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学」があったり、倫理社会の授業がサルトルの『実存主義とは何か』の通読だったり、美術の課題が「構造主義」だったり。受験は自分で勉強しなさいということなので、東大合格者がどんどん減って、結局こういう空気は何年ももたなかったようだ。僕らの3年間は、たまたま奇跡的な数年に当たったらしい。
今日クラス会があって、担任だった70歳になる倫社の先生もいらっしゃった。級友の一人が、サルトルの本をもってきていた。先生は、障害者支援のNPO法人の理事長をしていて、「いまも女の人に興味あります」などと唐突に言う奇妙さは、昔のまま。
気づいたことは、どいつもこいつも教師も生徒も、その後きわめてワガママに生きているということ。サルトルのなせるわざかもしれない。