野菜を洗う洗剤をみつけて、なんとなく買ってしまって、なんとなくブロッコリーを洗ってしまった瞬間から、僕の中に「洗ってないブロッコリー」という概念が生まれてしまったのだった。
残留農薬が洗い流される、みたいな効果はたぶんあると思うけれど、清潔・不潔という対立概念は、実際に起こっている衛生上の変化とは関係なく勝手に発生する。だから、手や足を洗わないといられない状況や、口のつけられない食器は、環境の実態とは無関係に判定が下される。オス鳥の鳴き声が、意味とは関係なくひたすら高度に複雑化するように、シニフィエとは関係なくシニフィアンは勝手に分節化するものなのだ。
だから、マツモトキヨシの店内の眼の回るような品揃えは、必要に迫られて多様化したわけじゃなくて、多様化するために必要が生まれた結果だ。
洗剤やシャンプーや化粧品を買わされている状況を、なんとかできないか。そう思って、最近流行っているらしい手作り石けん・手作りコスメのサイトを検索してみたら、やはりここも眼が回るくらい複雑怪奇。