安斎利洋の日記全体に公開

2006年01月27日
00:19
 物語その2
江原啓之のすごいところ、かつインチキなところは「幼くして口減らしのため京劇団に売られた」という前世が、誰にでもあてはまる、という点だと思う。

誰もが母親に見捨てられる物語類型をもっているし、誰もがサディストの物語とマゾヒストの物語を共存させている。まだ人間になる前の前世に、ボス猿の周りに群れていた記憶ももっているだろうし、一匹で荒野をさまよった前世ももっている。僕らは無数の前世を肩に背負っているから、江原が言うことはどれもなんだか自分のことのように聞こえる。

テレビ報道が、事実ではなくむしろ物語類型に興味があるのだということは、ホリエモン事件がどんどん、テレビにとってあの懐かしいオウム報道の栄光をなぞっていることでも伺える。東京拘置所までの追跡、歌って踊るカリスマ、ついに東大哲学中退のホリエは卒論をカルト宗教とネットワークについて書くつもりだったなんて話まで出てくる。

僕らが内在させている前世DBには、おそらく一夫多妻の物語もある。そういう物語は、まるで車輪が掘ったわだちのように待ち構えていて、嵌るとなかなか抜け出せない。だから洗脳された女性を元の生活に戻さねばならない、というのが今日のテレビの論調だ。まあその通りだと思うけれど、でも勘違いしちゃいけないのは、いま僕らが調和している道徳や風習もまた、物語類型に過ぎないということ。

だから僕らは、彼らの向かう拘置所が、僕らの多数が属する前世集合に洗脳する装置にすぎないことを理解しなければならない。
 

コメント    

2006年01月27日
00:31
Linco
安斎さん、毎度毎度納得してしまいます。

昔「巨人の星」というマンガがありましたが、そこに「大リーガー養成ギブス」というものが出てきました。その養成ギブスを養成するギブスという存在を考え抜いた事があったのですが。
2006年01月27日
01:01
びすけっと
> 「幼くして口減らしのため京劇団に売られた」という
> 前世が、誰にでもあてはまる、

これ自身もまた物語りですね.
2006年01月27日
01:01
前世集合に洗脳する装置、かぁ、面白いですねぇ…
時々思うのは、装置の上で動くソフトウェアとして自分じしんを認識してる人はハードウェアの存在に気づく事が相当難しいのではないか、ということです。
適切な表現か分からないですが、たとえば、テキストというハードウェアで今こうやって私が考えて文章(というソフトウェア?)にしていることも同じかもしれません…これこそ深みに「はまる」考え方かもしれないでしょうか…
2006年01月27日
01:12
みまぞう
「物語」語りが専門の編集工学研究所なるものもありますよね。そちらでは、世の中の物語の類型が百何十いくつのパターンに分類されたというお話も披露されたりしてました。
2006年01月27日
01:13
安斎利洋
> > 前世が、誰にでもあてはまる、
> これ自身もまた物語りですね.

それは言えますね。メタ・インチキというか。
2006年01月27日
01:25
安斎利洋
rさんのめくるめく話で思い出すのは、スパイが洗脳されることを見越して、それを解除する罠を自分にしかけておく、という話。

僕は子供の頃、翌朝目覚めたときに自分自身である自信がもてなくて、枕元に回想のための記号を書いておいたりしました。

脳は自走していくので、外からコントロールする機構を、自分で解除しないように仕掛けておく、なんていうと大げさだけれど、買い物のメモだって一種のそういう装置だと思う。たとえば、翌日かならず持っていかなくちゃならないものは、玄関の靴の中に差し込んでおく。

あるとき自分の存在のハードウェアのことが気になったら、きっと今忘れている過去の人格が、なにかを思い出させようとしているのかもしれません。
2006年01月27日
01:29
安斎利洋
>世の中の物語の類型が百何十いくつのパターンに分類されたというお話

ウラジーミル・プロップですね。物語類型をパターンに分類してしまうというのは(しゅわっちじゃないけれど)胸に寒い穴があいたような感じがしますが、京劇団に売られた、っていう話は、逆に無限の豊かさへ向かうような感覚があります。
2006年01月27日
01:29
ちょうどテープおこしをチェックしていたところだったので、びっくり。
http://ised.glocom.jp/ised/11051112
でも、大きな物語は死んではいないですね。
2006年01月27日
02:22
あおいきく
>誰もが母親に見捨てられる物語類型
というところで、寺山修司を連想しました。

それから「百年の孤独」のラストのイメージも。
2006年01月27日
02:24
安斎利洋
なんかレアな状態で、まだ数ページですが、読ませていただきました。(誤植あり:意義ー>異議)

サービスの話、それから東さんのつっこみ、面白いですね。最近自分の蔵書を少しずつPDFにデジタイズしながら、本という体験がモノである必然があるのかないのか、体感しながら考えているところです。

百円ショップで買ってきたメモを挟むマグネットは、分解して磁石おもちゃにすると面白い、って話をびすけっとさんがしていますが、モノってそういう飛躍可能な可塑性がありますよね。マグネットがサービスだったら、そういうことは起こらないんじゃないか。生命の遺伝システムが、DNAでなくサービスで設計されていたら、進化は起こるだろうか。
2006年01月27日
02:30
安斎利洋
>寺山修司

それだ!なにかヒットしていた記憶は。

誰もが心のどこかで「母のない子」だけれど、
心はすぐ変わるんです。

---------------------------------------------
時には母のない子のように

寺山修司

時には 母のない子のように
黙って 海を見つめていたい
時には 母のない子のように
一人で 旅に出てみたい
だけど心は すぐ変わる
母のない子に なったなら
誰にも愛を 話せない

時には 母のない子のように
長い手紙を書いてみたい
時には 母のない子のように
大きな声で叫んでみたい
だけど心は すぐ変わる
母のない子に なったなら
誰にも愛を 話せない
2006年01月27日
02:31
最近Web2.0で言われているマッシュアップはサービスでの進化ですね。確かに物質世界はサービス化しないほうが面白いかもしれないな。
2006年01月27日
08:27
ヒマナイヌの川井
大変興味深い日記ですね。安齋さんのような質の
高い日記を書く人がいてホッとします。
2006年01月27日
12:07
H.耕馬
寺山修司なんだぁ。カルメンマキで覚えていた。
2006年01月27日
12:10
しゅわっち
世に現れる現象を、物語に当てはめて理解してしまうのが人間の知能の本質なのでしょう。

既に類型化された物語に当てはめて理解しようという人の数が多いから、しょうもないことになる。

現象を目の当たりにして、新しい物語をそこに感じる(創造する)人の数が増えれば、もっといい世の中になると思うんだけどね。
2006年01月27日
13:21
安斎利洋
>新しい物語をそこに感じる(創造する)人の数が増えれば、
>もっといい世の中になると思うんだけどね。

まったく同感です。類型的な物語を繰り返す快感に嵌っちゃう人は、どの時代にもかならずいるからしかたないけれど、物語の冒険に対する敬意をどれだけもっているかというと、冬の時代だと思います。そろそろ、モードが変わる気配もある。
2006年01月27日
13:52
安斎利洋
話題リンク

科学が容認すべき物語と、そうじゃない物語(しゅわっっちさんの日記)
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