安斎利洋の日記全体に公開

2005年01月31日
16:30
 吸血姫
一日の仕事を終え、もうちょっと起きていたい。けれど、とても眠いから、暖かい布団にくるまってもう寝よう。せめて、そのように穏やかで柔らかい時間に包まれながら、永い眠りに就いてほしかった。

七世さんの姉とやりとりをして、彼女の死に至る悲痛なプロセスを聞いた。3年前に罹った乳癌の転移が昨年になって見つかり、その治療がとてもうまくいっているなかで、おそらく治療の副作用による大きな血栓が、突然心臓に詰まった。激しい痛みの中で、亡くなったのだそうだ。どんなに痛かったことか。

医療は、まるでガソリンと消火器を左右の手に持って風呂を炊くようなやり方を選びことがある。僕の父は16年前、肺癌に侵されて片方の肺を切り取った。その後、順調に快復するものの、放射線治療で免疫が弱っているところに肺炎に罹り、無数のチューブに接続されながら死んでいった。人間は病に対峙したときから、残酷な一喜一憂と、壮絶な痛みに耐えながら、死んでいく道を選択したのだろうか。

シェイクスピアシアターが小田嶋訳の全作品公演を終えたあと、唐十郎の『吸血姫』を上演したことがある。七世さんは、シェイクスピアよりよっぽど唐十郎が好きな人だった。血栓による痛みが兆しはじめたとき、電話口のお姉さんに「今日ね、この台詞を思い出しちゃった、聴いて」と言って、ちょっとハアハアしながら長いせりふを諳んじた。

「お母さん、あまりの痛さにウンコが出ちゃった。もうすぐ、あたしは、上野の銀杏の森に行きます。今夜は、ぎんなんが熟れて、月もきれいだから、あたし、まるで、象牙の墓をさまようウンコだらけのけものみたい。さようならお母さん、さようなら、あたしのさと子、ほら、ライオンが吠えてる。あの森の向うには、まっ暗な海があって、その向うには、青い海があってそれをもうちょっとすべってゆくと、薄紅色の氷の海。あたし、皆さんと一緒に引越してゆくんです。」

 

コメント    

2005年01月31日
21:03
匿名希望中・おーもり
煩かったら、安斎さん。本当にごめんなさい。

私の母は十数年前乳癌で、国立癌センターで手術が出来ないと見放されました。
それでも家族は、諦めきれなくて。医大でちょうど癌に積極的な見極めと決断の医師団チームに恵まれ、命が助かりました。
母は、手術の前日に告知を受けて、術前に姿が見えなくなりました。「逃げた」と必死に探した家族の思惑と違い、母は病院の上の階の美容室で髪をセットしていました。「だって死んじゃうかもしれないじゃない」と言った母の手術は、術前に大丈夫とわかりました。
母の妹は、母が乳癌であったことを受けて、健診でごく初期の癌が発見され、癌の真上を切る手術で身体に悪い細胞を散らして1年後に命を落としました。
癌細胞は目に見えないので、医療に問題は無いです。

亡くなるときの少し前まで叔母と会っていました。
ときどき意識が混濁して白黒に目が反転する途中の黒で「ありがとう」と叔母は、笑いました。
叔母は、癌と戦いました。
戦ってばかりでは、いけないのではないかと。
逝った人も 残った人も 戦う方が、弱くなってしまうこともあるんじゃないかと思ったんです。自分の命の扱いもわからないくせにです。ごめんなさい安斎さん。
2005年01月31日
21:52
gilli
私も明日私の大切な友人の最後の時間がどんなだったかを聞きにゆく。
2005年01月31日
21:57
miyako/玉簾
こんなに壮絶な言葉ながら、いつでも大勢の人と一緒にいるという感覚が台詞となって現れるところは、本当に舞台女優さんらしいと思いました。
年末は、本当に大勢の方々が海のずっと彼方へ引っ越していきました。
彼女の言葉どおり、今は大勢の人達といっしょでさみしくありませんように。そして旅立った方々全てがやすらかな魂でありますよう。
2005年01月31日
23:02
安斎利洋
>戦う方が、弱くなってしまうこともあるんじゃないか

そういうことが、あると思います。僕の父も、七世さんも、癌で亡くなったのではなく、治療の副作用で亡くなりました。

父の場合、外科と放射線科で治療方針の意見がわかれたらしいことを後から知りました。外科は、もうこれ以上叩く必要はないと言い、放射線科はまだ足りないと言う。それぞれの専門医は、自分の仕事をまっとうしようとするだけです。医療に、人間を複雑なシステムとしてとらえる目があれば、もっとなんとかなったのではないか、そう思えてなりません。
2005年01月31日
23:11
安斎利洋
>私の大切な友人の最後の時間

中尊寺ゆつこさん、亡くなられたんですね。
2005年01月31日
23:18
安斎利洋
>彼女の言葉どおり、今は大勢の人達といっしょでさみしくありませんように。
>そして旅立った方々全てがやすらかな魂でありますよう。

本当に。
2005年02月01日
01:01
noriko
人が死ぬと言うこと・・・
身近な人を亡くすということ・・・
闘病ということ・・・

全て経験し過ぎて・・・考えがまとまらないですが
玉簾さんのコメントに気持が添いました。

こんな風に安斎さんが語りかけていることは
きっと届いていると信じます。
2005年02月01日
22:05
gilli
薄紅の氷の海に、
愛しく懐かしい人達が集まっているとほんとうにいいなと思いました。

ゆつこさんのガンは同じ部位のガン患者が200人いたとして、
その1人というようなもっとも早い進行のモノだったらしい。
だから、苦しい期間が短かったと言えるかもしれない。

最後まで意識ははっきりしていたようです。
2005年02月01日
22:57
安斎利洋
10年近く前になりますが、朝日ニュースターの年末特番で中尊寺さんにお会いしました。おでんを食べながら、だらだら話をするという妙な番組でした。

あっちの世界にmixiがあればいいんだよな。あるんだろうか、あっちの世界。
2005年02月02日
01:26
大事なお友達を亡くされた方に、失礼があったら申し訳ないのですが、、、
私、2-3年前に人間ドックでちょっと気になるところが見つかって、結果的にそれはガンではなかったんですが、はじめて自分もガンだといわれる日が来る可能性があるっていうことがリアルに感じられたことがありました。そのとき思ったんですけど、いまだったら Mixi も含めて、インターネットや、その周りの社会にいつもある喧騒とか、欲望とか、情報とかって、結局、あしたも同じように生き続けてる人たちの側のものだよねって思いました。
そこから、ちょっと外れちゃった人たちも、そこにつながっていたほうがいいのか、それとも、イチョウの森の向こうの世界で静かに安住できるのがいいのか、よくわかりません。
でも、向こう側の人が安心してこちら側につながっていられるような道を作ってあげることは、元気に生きている側の人間の大事なお仕事なのかもしれないですね。
こんなにくどくど書いてしまってすみません。
安斎さんや☆★lis さんの大切なお友達の魂が安らかでありますように。
2005年02月02日
03:56
あ っ こ
>あっちの世界にmixiがあればいいんだよな。あるんだろうか、あっちの世界。

真剣にそう思うことあります。あっちかこっちかの区別は付きませんが・・

安斎さん、少し言葉の数が増えました★ほっ
ゆっくりお話ししていってくださいね。
この世は旅たった方々の言葉と、今を生きる営みとが綾織になって成立しているのだと思うのです。
2005年02月02日
08:07
gilli
>この世は旅たった方々の言葉と、今を生きる営みとが綾織になって成立している

ほんとうに。ほんとうにそうですね。
2005年02月02日
08:32
noriko
>Mixi も含めて、インターネットや、その周りの社会にいつもある喧騒とか、欲望とか、情報とかって、結局、あしたも同じように生き続けてる人たちの側のものだよねって。
>向こう側の人が安心してこちら側につながっていられるような道を作ってあげることは、元気に生きている側の人間の大事なお仕事なのかもしれないですね。


とても、心に残るメッセージでした。
経験して初めて分ることが、この世の中に如何に多いか。
現実に直面した時に初めて、自分が頭だけで理解していたり、言葉だけのことだったか思い知らされます。

七世さんが自分のこれからを予測されていただろうと言うことと「生きたい」という思いが・・・。
2005年02月02日
13:12
imochang
最初に、安斎さんの日記を読んだとき、胸がつまって、何も書くことができませんでした。
昨年、私は流産しました。
気づかないうちに子宮筋腫ができていて、着床することもできず、そのまま旅だっていった子です。
その子宮筋腫も、今のところは良性ですが、いつ、どうなるかわかりません。
旅だっていった人たちに対して、今の私は、必死で、もがきながら、生きていくことしかできません。
でも、MIXIがなくっても、便利なシステムがなくっても、空や風や海を通じて、いつだって誰とだって、きっとつながることはできることと信じています。
2005年02月03日
00:41
安斎利洋
>インターネットや、その周りの社会にいつもある喧騒とか、欲望とか、
>情報とかって、結局、あしたも同じように生き続けてる人たちの側のものだよねって思いました。

健康を害したときに感じる疎外感って、ありますね。治ると、忘れちゃうんですけどね。病院の医師って、瀕死の患者の前で昼飯の心配したり、いい写真(レントゲンの)に喜んだり、なかなか「あっちの世界」を完璧に演じてくれますね。
2005年02月03日
00:53
gilli
>瀕死の患者の前で昼飯の心配したり
そうなのよね。ウチの父親が死んだのも昼飯時にかかる時だったから早めに心肺蘇生きりあげたんじゃという疑惑があります。
でも、そういう切り替えができる人じゃないと医者なんてやってらんないという側面もあるように思います。

でも私はmixiがあって良かったと この3日痛感しました。
2005年02月03日
00:58
安斎利洋
涙が涸れるといいますが、いろいろな感情、悲しいとか無念とかいった感情が整理されてくると、大事な人の死というのは、だんだん言葉も何もないたんなる真っ暗な大きな穴のように感じられます。死ぬというのは人間が停止すること。もう二度と会話ができないという、それだけなんですよね。感傷の混じらないさびしさ、というか。

もっと身近で、もっと現在形の大事な人が死んでしまったら、僕は不整脈で死ぬだろうな、きっと。

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