安斎利洋の日記
2006年01月18日
23:44
検索は回想2
検索エンジンは調べると思ってはだめで、拡張された脳から思い出すと考えるべきだ、という話を延々している夢を見た、という
日記
を年末に書いたら、それがトリガになって、今日gooの開発者たちと会った。もちろん、拡張された脳における回想としての検索の話をした。
コメント
2006年01月19日
00:13
何かを誰かに聞きに行こうとするとき「既に知っている自分」を探す感じがあるかもしれません。
検索エンジン、記憶、知ること、思い出すこと、外部性から内部性への変換、同一性、なんかそこらへん…おもしろそうですね〜…
ときどき夢の方が自分よりちゃんと考えてるなーと思います。へんな表現かもしれないけど、起きている間の自分はデータ収集ロボットなのかもしれません。
突然、失礼しました。
2006年01月19日
00:31
Linco
脳はカーソルの役割のみになっていく訳ですね。
2006年01月19日
00:47
安斎利洋
>何かを誰かに聞きに行こうとするとき「既に知っている自分」を探す感じがあるかもしれません。
ありますね。このrさんの言葉も、自分の内部から聞こえる感じがします。
初めて聴く音楽に心や体が動くときも、自分の中の音楽を探しあてた感じがします。
2006年01月19日
01:00
H.耕馬
何か、運命論みたいヤネ(@_@)
2006年01月19日
01:08
安斎利洋
>運命論
人間は、人間の全知識を記憶している。ただし、記憶装置は外部に組織されている。というふうに考えると、運命論とは違うでしょ。
>脳はカーソル
カーソルというと、計算尺の方から思い出す人種です。
2006年01月19日
01:25
大和田龍夫
お話お伺いはじめて3分後に「あ、そっか」と思ったのが、外部化の話でした。そのきっかけをくれたトリガーはあのBGMなのでした。
人間、意識のないときには、外部との関係を本能に近いところで情報のやりとりをしながら生きている。
やがて、その外部の情報を脳内に蓄積して情報処理をはじめる。
そして、その蓄積を越えると、外部との関係性と内部の情報をやりとりして新しい意味を生み出す。
これ、インターネットも同じだなぁということで、、、、。
目下の関心は、
宗教家の諸々の行為なのでした。
ありがとうございました。
2006年01月19日
01:26
H.耕馬
>ただし、記憶装置は外部に組織されている。
古代からの記憶(or記録)がエーテルの中に蓄えられているとすれば、それを読んで行くのは運命を読み解くのと大差無いかもよ。
2006年01月19日
01:38
大和田龍夫
その「運命」ってのはどの程度の選択肢があって、どの程度の意志をもって選択ができるのですか?ま、実際意志をもって選んでもサイコロ振っても結果は変わるかどうかわかりませんし、もう一つの選択を観察できないのだから、運命と言い切った方が(ある意味)幸せではあるのでしょうか?
2006年01月19日
01:40
大和田龍夫
あ、で、感じたことが、
捜し物をするこんな楽しいことを、どうして人に任せようとするのか?今ある道具で頑張るってことをしないとダメでしょ?
と思った次第です。
2006年01月19日
02:35
安斎利洋
人間の知が限られた領域を読み解くことだとしたら、それはいつか飽和して停止が訪れるだろうけれど、もし人間の思い出が外部に、しかも読み解かれていない未来にあるなら、永遠に作動しつづけるでしょう。
創作は、未来を思い出すこと、と考える。
未来を思い出す検索エンジンを作れば、世界をとれる。
はい、たわごとです。
2006年01月19日
08:46
H.耕馬
安斎さんのたわごとは理解出来たのですが、大和田さんの人に任せようとする、ってのが何を指してしるのかが分かりませんでした。ひょっとして運命論?
で質問の、運命という書物があったときに、それがどの程度の自由度があるか耕馬には分からないです。それは、その本を読めるパーミッションを私、持って無いから。もっとも、読めた方が幸せだとは思いませんがね。
2006年01月20日
00:11
大和田龍夫
「人に任せる」
なんのこっちゃですね(苦笑)
検索エンジン
というか、
七福神巡り
というか、
100円ショップとデーパートの違い
というか、
探しものは自分で探すのが楽しい。
デパートの外商に持ってきてもらってもねぇ。
というkとなんですが、
曖昧ですいません。
2006年01月20日
00:12
MATANGO
コップに無色透明でねちゃねちゃしたグリセリンを満たして、そこにインクを一滴落とす。
で、中心に棒を立ててグルグル回転させると、インクがねちゃねちゃのなかに薄くのばされてしまって、ついには何にも見えなくなる...。
でも、棒を逆に回転させると、あら不思議、なくなったと思っていたインクのつぶがまたもとどおりにあらわれてくる...という誰か外国の有名な学者がやってみせた実験を思い出しました。
もしかして、われわれはそんなねちゃねちゃの中にいるのでしょうか?
...もう少しサッパリしたところに住みたいような気もしますが、その「ねちゃ」が「>運命」だとすると、泳ごうとすれば泳げないこともないけれど、でも相当に泳ぎづらい....というところではないかと思います。
2006年01月20日
00:28
安斎利洋
ねちゃ、と、さらさら、の違いは時間のステップの密度ですから、血液さらさらで一生ぼやっと長生きする人生って、けっこう「ねちゃ」だったりするんじゃないでしょうか。
きのう、gooの人たちと飲みに行きがてら、近所の100円ショップにみんなでおしかけ、透明でフレームのない液晶時計(もちろん100円)を探しました。なんであれが100円になるんだ、という話題を確認するためだったんですが、楽しいモノ探しでしたね。検索は目的なんかどうでもよくて、たんに愉楽なのである。
2006年01月20日
01:15
大和田龍夫
案の定、家でその時計を見せたら、
「なんでそんなモン買ったの?!」
と呆れられました。
あの時計24個買って、世界の時間を表示するといいかと。
結局、googleってIT業界の100円ショップなんでしょうか?
2006年01月20日
01:24
安斎利洋
手ごわいなー。
まあ、ネタにしかなりませんね、いまどき卓上の時計なんて。
2006年01月20日
11:02
俳胚
セマンテックWEB、対応検索エンジンにご興味ありますか。
http//www.cyberedge.co.jp/
御興味あれば紹介します。
2006年01月21日
20:16
安斎利洋
俳胚さん、拝見しました。
http://
www.cy
beredg
e.co.j
p/
全文検索の検索エンジンが現れたことによって、文書自身のリンクだけで成り立っていたWebはまったく意味を変えたと思うのですが、セマンティックWebによってメタ情報が自律的にリンクしはじめたとき、Webはまた別の次元に行くのだろうと思います。
一方で、メタ情報はドキュメントの意味そのものではないので、それによって文書の多義的な可能性が、かえって狭くなってしまうんじゃないかという気もします。
いずれにしても、いちばん気になる分野です。
2006年01月22日
23:20
俳胚
一方で、メタ情報はドキュメントの意味そのものではないので、それによって文書の多義的な可能性が、かえって狭くなってしまうんじゃないかという気もします。
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そうかもしれません。一方、文書多義性は”あいまいさ”、
不正確さ、誤魔化しさえも包含しています。
そもそも書き言葉とライブ(面授的な交流)とは別物でもあります。
WEBはそれ自身、文書と異質の新メデイアと考えるほうが気楽
なのではないでしょうか。
2006年01月22日
23:54
安斎利洋
>WEBはそれ自身、文書と異質の新メデイアと考える
>ほうが気楽なのではないでしょうか。
これはまったく同感です。
あいまいさや不正確さは、たぶんどんな文書にもつきまとって、XMLにしたから正確になるとか、メタ情報がしっかりしていれば間違いがないとかいうことは、ないんじゃないかと思います。むしろ、セマンティックWebのもつ曖昧さやノイズのほうに、僕は可能性を感じます。
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