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本に線を引くか?全体に公開
2008年03月31日17:21
という話題が某所にあったので‥‥

僕は、本に線を引かない。本を読む行為は、自分を書き換える行為だから、読んでいるうちに大事な場所が変わってくる。長い年月がたてば、なおさら昔引いた線が見当はずれで、おバカそうに見える。一度線が引かれると、引かれていない部分はマスクされる。繰り返し読むに耐える一貫した自分なんて、どこにもいない、というわけだ。

ちょっと関連した話で、世の中には哲学者と、哲学学者と、哲学者学者がいる、ということを言う人(鈴木健さんだったか?)がいた。説明を要さないくらい的確なメッセージだけれど、あえて説明を加えるなら、哲学学と哲学者学とは一貫性への関心だ。それに対して、もし哲学を作る人であるなら、他人の哲学の一貫性などに関心をもたないはずだ。

哲学者にとって、既存の哲学は断片でいいのだ。というより断片じゃなくてはならない。これは、芸術家にとって〜と言い換えることもできるし、庭師にとって〜と言い換えることもできる。どんな仕事にも、これはあてはまる。それは、知りえないものを作るための要件だからだ。

大学というゲームにかかると、たいていの人は*学学者や*学者学者になろうとする。会社や役人も同様。自分や他人の引いた傍線が、幅をきかせる世界だ。

とは言うものの、最近は自分の書き換わり性能が落ちたせいか、確かに読んだあの部分になかなか行き着けない。宗旨を変えて、本には線を引いてみようかな。

----------追記 4/10
今日、とある喫茶店にて、店においてある絵本「ウォーリーを探せ」を開いてみると、究極のマーキングを発見。
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ネタバレだ!

コメント

H.耕馬2008年03月31日 17:41
そりは、ネットの世界だったら、リンクを張らないという事っしょ?

もう、そこには一生たどり着けないかもが、また楽し?

知識なんて、リンクの塊だと思う私って、堕落?
うさだ♬うさこ2008年03月31日 18:21
私の祖父は、たぶん裁判官としての職業病だと思うけど、本にも新聞にも線を引きまくってました。
紅白歌合戦のみどころ、とかいう欄にも赤ペンで線が引いてあって、けっこうほほえましかったです。
安斎利洋2008年03月31日 18:27
>知識なんて、リンクの塊

本に線を引くくらいじゃ、知識のリンクなんて作れないって主張です。

>紅白歌合戦のみどころ

きっと、繁華街の看板にも線引いてたでしょうね、頭の中で。
satokon2008年03月31日 18:34
本に線を引くと、古書市場での評価価格が下がるので・・・引きませんw
でも、インドに引っ越してきたら、引いてもいいかなって思ってきました。
たかだか断片だし。
引きずる必要、ないし....。
安斎利洋2008年03月31日 18:38
satokonさんは、インドという書物に線をひきまくってるわけだし。
中村理恵子2008年03月31日 20:15
ひきまくってまーす。
さらに、他人がひきまくった古本観賞という楽しみ、最近加わり、室内に見知らぬ人の気配がページから立ち上ったり、します。
あるいは、ちょっとキモイたとえかたすると、いましがた降りていった乗客の座っていた座席に残る体温みたいな。
ちょっと違うか。
そうでもあるか。
知らない人の書き込みや、傑作なラインなんて、いつか自分の日記で公開してみよか・・・なぁ。
安斎利洋2008年03月31日 22:01
>他人がひきまくった古本観賞という楽しみ

「そこに引くか」 と、突っ込みたくならない?

本に線を引くと、いつか誰かに見られて、突っ込まれるんだよなきっと。
ペコルン2008年03月31日 22:12
>世の中には哲学者と、哲学学者と、哲学者学者がいる

ファンとマニアとオタクですね。
たんぎー2008年03月31日 22:15
以前はどこに何が書かれているのか1冊まるごと記憶していたものなんですが、最近は駄目ですね。忘れっぽくなりました。かといって線は引かずに付箋つけまくってます。
なさ 飛鳥井2008年03月31日 22:26
本だけじゃなくて現実のすべてのものに線を引けたら楽しいでしょうね。
フィルタリングして表示して、自分が何年前はどんなものに興味があったとか。
nazo2008年03月31日 22:45
*学学者や*学者学者は本を読むのが好きだからね。さらに書棚に本をずらりと並べたり、書斎づくりにもせっせと精を出しますよね。

安斎さんぐらいになると、最高の書物は「自分自身」でしょう。
格闘家みたいな体に線を引きます? かりに引くとしたら「カンブリアン模様」にしたり、般若心経でも書き込むのかな。文字通り一筋縄じゃいかないよね。
yfuji2008年04月01日 01:18
自分の日記に線を引かれてみたいですが、線を引いた本は決して読み返すことはなく全て廃棄してしまいますから、線を引かれた自分の日記も削除してしまうかもしれません。
安斎利洋2008年04月01日 02:31
>>世の中には哲学者と、哲学学者と、哲学者学者がいる
>ファンとマニアとオタクですね。

オタクとマニアとファン、のような気もする。
安斎利洋2008年04月01日 02:33
>以前はどこに何が書かれているのか1冊まるごと記憶していたものなんですが、

必要なものは忘れない、忘れているものは必要ないからだ、と僕も考えていたのですが、これに従うといまやすべて不必要になってしまう。
安斎利洋2008年04月01日 02:37
>本だけじゃなくて現実のすべてのものに線を引けたら楽しいでしょうね。
>フィルタリングして表示して、自分が何年前はどんなものに興味があったとか。

ライフログ+拡張現実ですね。線引かれたほうも、「線あと」のログがとれたりすると、みんな自意識過剰になる。
安斎利洋2008年04月01日 02:39
>最高の書物は「自分自身」でしょう

この考えかたは、ありえますよね。人間が理解可能なものは、すべて遺伝子に仕組まれた可能性である、と。
すると、ジーンに対してミームなんて言ってるけど、すべてジーンと言うべきであることになる。その通りだと思うんですが。
安斎利洋2008年04月01日 02:52
>自分の日記に線を引かれてみたいですが

ある日、アナログの日記に線が引かれてたりすると、怖いですが。
こういうコライティングシステムは、どこかにありました。行間に突っ込みが入ったり。
>線を引いた本は決して読み返すことはなく全て廃棄してしまいますから

経験を終わらせるために線を引く、というのもあるか。

miyako/玉簾2008年04月01日 22:28
この日記とコメントの数々。線を引きたいフレーズが満載で面白いです。
以前、古本をパラパラめくっていたら
「寝るより楽はなかりけり」に線が引いてあって笑ったことを思い出しまし
た。
安斎利洋2008年04月02日 01:42
>この日記とコメントの数々。線を引きたいフレーズが満載で面白いです。

線引きも日記のコメントも、つまり「突っ込み」なんですね。

>「寝るより楽はなかりけり」に線が引いてあって

「寝るのかよ」
寝太郎2008年04月03日 01:43
私は一週間分のテレビ欄にも線を引いておきます。

その効用:

その一 一旦線を引いたものは忘れやすい。

その一 書字(活字)は元々脳外記憶であるから、差別化をしておく。

その一 後でどこまで読んだか分る(読みかけで忘れてしまっている書物、プリントものが多いので(爆))。

その一 書物は対話の相手であり自分の意見を言うことも必要(よって書き込みも自由);一時友人は?と聞かれてシェークスピアと答えていた(きざ〜)。

その一 線だけでなく丸も付ける(その他波線、カラーマーカー、ドット、チェックマーク、縦線、粘着性カラー付箋、等々)。効用は、つばつけ。

その一 大衆小説類には線はまず引かないから(引くこともある)、線を引く書物は相手が筋肉質(脂肪質ではない)と認めた証拠。

その一 線を引いていたのに完全に忘れている自分のばかさ加減が分る。

その一 書物は自分にとって経済の流通機構からはずれている、よって、市場価値をなくするという潔さがある。

その一 他人の線を引いたところには親しみが湧く時と湧かない時がある。蓼食う虫も好きずき。線を引いた書物はそのまま人柄を表す。

その一 線を引いていない書物で明らかに読破したあとがある筋肉質の書物(古本)には敬意を表する、が、人柄が感ぜられず不気味な感じがすることも確か。(これは効用か?)

非効用:

1 図書館の書物が使いにくい。
2 (自身で線を引いたところを)後で見ると嫌悪感を覚えることがある。
3 授業用に新しいコピーが必要になることがある。
4 鉛筆を持っていないと筋肉質の読み物を真剣に読めない(よっていつも鞄には鉛筆類は5本くらいは入っている)。

哲学者:ものを考えることが出来る人。
哲学学者:哲学者が言ったことを深く理解し、解説本を書くことが出来る人。
哲学者学者:職業哲学者。出版等多産。

非哲学的哲学者:筋肉質の哲学者。
安斎利洋2008年04月03日 02:11
筋肉質、のところにマルをつけて読みました。

>カラーマーカー、ドット、チェックマーク

で思ったんですが、本に線を引く=マーキング という行為は、動物のマーキングですね。
寝太郎さんの列挙してくださった効用・非効用は、書物を電柱に置き換えれば、犬のマーキングに関する記述にも見える。自分の古いマーキングに嫌悪する犬がいるかどうか、が問題だ。


最近、間違って脂肪質の本を買うことが多い‥‥
寝太郎2008年04月03日 03:15
>最近、間違って脂肪質の本を買うことが多い‥‥

私の英語力は日常会話には向いていないということが分っていて、大衆小説類を読んで意思伝達能力をつけようとしたのですが、二三日「脂肪」小説漬けになっていると、分けも分らず不機嫌になっている自分に気がつきました。

最近語学なぞを教えていると、脳を筋肉のように使っているのではないかと思うことがあります。方法論はほぼ同じで、話術や授業運びだけがうまくなって行く。文体や、思考そのもの筋肉を鍛えることと全く違う。

犬のマーキングは臀部の筋肉が緩んでいると思うことがあります。私のマーキングにもその手のものが多い。家の黒猫もマーキング(家の中にもする)の癖が有るので私はその場を捉えて怒るようにしているのですが、連れ合いはそれでは緊張を余計に与えて、状況を悪くするだけだといいます。黒猫に優しくしていた連れ合いは家族で唯一黒猫から慕われて、寝ている間に頭におしっこをかけられていました。彼女もマーキングの一つだったんですね。

マークング=筋肉弛緩作用、だとすると筋肉質の文体に当っていくマーキングは文体マッサージの様相だろうか。しかし、最近整骨業もしたくなる文体も多いなあ。。
安斎利洋2008年04月03日 23:53
筋肉鍛えられる系のテキストは、ありますね。僕の場合、計算機系の筋肉は自然言語系と使う筋肉が違うみたいで、何ヶ月かそっちばかり鍛えてると、人前で自然言語をしゃべらなくてはならないとき、あきらかに失語症になります。
両方いっぺんに筋トレする方法はないものかと思うんだけど、どっちかに偏らないと集中できないみたいで、いや実際困ってます。

黒猫のマーキングには、やはりマーキングで答えるしかないでしょうね。社会的行為ですから。関係ないけど、ちょっと前まで、佐川急便とクロネコの縄張り争いが熾烈でした。
寝太郎2008年04月04日 03:47
家の黒猫は蔵書の積んどくに近いマーキングだと思いますね。マーキングされた物たちが風景化されている(匂いのアフォーダンス)。匂いの風景と宮殿。ここの住人の王はハエ取りに夢中になっている。

ではクロネコと旧郵便局との争いと三つどもえなのですか?
安斎利洋2008年04月04日 03:58
世界に一匹しかいない猫のマーキングが、読書における線引きってことですね。
動物本来のマーキング行為に近いのは、むしろ研究領域の陣地取りか。

クロネコと郵パックは、まったく価格競争してくれませんね。佐川は、現場で値切ることができた。
寝太郎2008年04月04日 05:25
勝手に纏めると、マーキング・下線引きは「風景に一応留めておくこと」ということになりますね。

私の連れ合いへのマーキングも結局「風景内に留めておくこと」ということになりそうです。頭におしっこをかける黒猫と同レベルかそれ以下。最近連れ合いは黒猫を ファースト・ハズバンドと呼んでいます(爆)。
安斎利洋2008年04月04日 22:33
行為が風景を作る、
と、きわめて深いマトメでした。
miyako/玉簾2008年04月09日 00:28
安斎さん、こんなものをみつけてしまいました。
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/108425-00
安斎利洋2008年04月09日 01:11
http://www.nact.jp/exhibition_special/2007/anzai/index.html
僕じゃありません。
miyako/玉簾2008年04月09日 01:32
Excuse me! 彼は写真家なのでフレームが必須なんですね。
安斎利洋2008年04月10日 00:25
今日、とある「不二家」の喫茶店で、ものすごいマーキングを発見。
↑写真追加しておきました。
miyako/玉簾2008年04月10日 00:58
絶妙な発見!
さがしてる時間なんかないけど気になっちゃう人にはある意味親切かも^^

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