自分の過去の痕跡、たとえばmixiの日記には、ある一貫性がある(あろうとしている)。一貫性を意識した痕跡には、しかし「時間」の質感がない。
毎年、確定申告のために領収書を貼り付けていて思うのは、ここには「時間」があるということだ。料理をしていたのか風呂に凝っていたのか、やたらガス代が高い月。毎日ファミレスで過ごしている月。ブックオフのレシートが固まっている月。タクシーに乗らない月。東急ハンズの月。まるで動物の生態を語る統計的な値の連なりに、たっぷりと時間が含まれて感じられる。
たぶん痕跡が、言い訳をしないからだ。