忙しくてmixiどこじゃないんだけど、、、
「著作者人格権を行使しない」という文言については、10年前から何度か作品の買取契約にからんで仕事先と調整した(もめた)経験があって、しかしながら僕はこの表現はアリだと思っている。
現行の著作権法では「開いた作品」を作る方法がない。Aさんの仕事を1%だけ含む作品は、Aさんひとりの著作者人格権よって八方ふさがりになることもある。人格権は放棄したり売買したりできないから、最近はあちこちで著作者人格権を行使しないという気持悪い文言が、平気で使われるようになってきた。mixiの法務担当も、日常言語の感覚を忘れて、自然に使ってしまったんだろう。
こういう問題を、現状もっともシンプルに解決するのは、クリエイティブコモンズだ。創作物といっしょに作品の開き方をラベルづけしちゃおう、という発想だ。作品そのものに作者自ら選んだCCの意思表示があれば、別のところに契約は必要ない。
「日記」という名称に惑わされるけれど、この問題の本質は言葉とコモンズの関係に根ざしていて、ユーザーが権利を侵されているという単純な問題じゃない。たとえば今回のことをきっかけにmixiを退会したりする人がでてきているけれど、その日記に自分がつけたコメントもいっしょに消えていくことを思うと、なんだか「著作者人格権を行使しないでくれよ」ともいいたくなる。粗末にされた感覚が残る。
法律用語は、陣地取りのような風景しか描かないが、他人の言葉に対する「敬意」の風景を作らなくちゃいけなくて、mixiの規約にも、規約反対にも、そのビジョンがない。
テキストは、自分から発したものであっても、あるところで自分の懐のぬくもりから離れていくものだ。日記という本来プライベートに閉じたテキストを、ブログやSNSが逆説的に開いていった面白さに僕らは興奮してきたわけで、それをまた閉じる物語にmixiの運営者が火をつけたというのが、なんとも皮肉だ。人々の発した言葉に敬意をもっていない連中が、たまたまSNSで当てちゃったのが、僕らの文化的不運だった、ってことか。
端的に言って、規約改正に向けてコミュニティや日記やコメントを消しにかかるのは、性急過ぎると思うな。