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g86全体に公開
2008年02月23日01:47
若者は、まとわりついたもろもろのスタイルから逸脱するのが、仕事みたいなものだ。しかし皮肉なことに、「逸脱のスタイル」から逸脱するのが難しい、ってことをあとになって気づくわけだ。

いまの青年たちは、強い逸脱のスタイルをもっていない。だから、逸脱は自分で発明しなくてはならない、と気づく連中もいる。そこが、なんか面白い。

大学のシステムは越境的な知を閉ざしてしまうから、自分たちがアポをとって、会いたい人に会いに行くというスタイルで活動している1986年生まれの学生4名がやってきた。
http://d.hatena.ne.jp/g86/

彼らと話したかったことは、ひとつだけ。それは、意味を共有できない外部と、どう連動することができるのか、ということ。

人間は、足手まといの媒介変数を消したがる。都市は異質な環境をどんどん平坦にならしていくし、メディアは擬装する他者を封じ込めるのに熱中する。カンブリアンゲームは、悪趣味で理解できない外部との、違和感に満ちた接触面を作り出す技術だ。

うれしかったのは、わずかなキーワードで彼らの脳との接続が始まったこと。どのエリアにだって、何パーセントかの仲間はいる。

コメント

machiko2008年02月23日 07:09
私の大学にも、そういう学生はそんな少なくはありません。
ただ、それが個人レベルに留まるあいだは、なかなか表に出てこないようです。

このリンクを覗いたら、ドミニクや先週スペースダンスでお会いしたばかりの UAの川崎さんの名が。
やはり、いろいろとつながっているんだな、と思う一方で、逸脱を単なる逸脱にしない才能を持つ人たちは、互いに知っているくらいの規模でしかいないのだろうか?とも考えてしまいます。
中村理恵子2008年02月23日 07:53
>いまの青年たちは、

むははっは、なんだかこそばい表現ですな。
からかってるのではないけど、3歳半の子が、よちよちの1歳の歩き始めた子に
「いいでちゅか、しっかり歩こう。」といってる姿に大笑いしたこと思い出しました。
ちょうど親子ほど違う若者達との関係って、時にそんなふうにもみえるのだろうか?なんて思うこともありますよ。

わたし自身は、この年齢になってやっと小林秀雄と、三枝博音のあとがき的な晩年の著書に
「いいでちゅか、しっかり歩こう。」とやられてます(笑)。
ますます生き方がわがままになってます。
ホントに、野垂れ死にそうです。

nazo2008年02月23日 12:12
>ホントに、野垂れ死にそうです。

【・・】
smi2008年02月23日 16:02
我、ただいま、吹雪の山中を雪中行軍中なり。それでもミクシできるある。
安斎利洋2008年02月24日 00:59
↑生まれつき逸脱系のかたがたばかりですね。

>逸脱を単なる逸脱にしない才能を持つ人たちは、
>互いに知っているくらいの規模でしかいないのだろうか

リルケだったか誰だったか、詩人が海辺の石を遠くに投げると、それを拾ってもう少し遠くに投げる人がいる、みたいなことを言っていますが、石を遠くまで投げる人の混合比率は決まってるのかもね。

>野垂れ死にそうです。

>雪中行軍中なり。

畳の上で死ねない人たち。
中村理恵子2008年02月24日 07:04
>畳の上で死ねない人たち。

あ、その覚悟もなくて、畳、表替えしました(お後がよろしーよーで・笑)。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=705574921&owner_id=64544

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