若者は、まとわりついたもろもろのスタイルから逸脱するのが、仕事みたいなものだ。しかし皮肉なことに、「逸脱のスタイル」から逸脱するのが難しい、ってことをあとになって気づくわけだ。
いまの青年たちは、強い逸脱のスタイルをもっていない。だから、逸脱は自分で発明しなくてはならない、と気づく連中もいる。そこが、なんか面白い。
大学のシステムは越境的な知を閉ざしてしまうから、自分たちがアポをとって、会いたい人に会いに行くというスタイルで活動している1986年生まれの学生4名がやってきた。
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彼らと話したかったことは、ひとつだけ。それは、意味を共有できない外部と、どう連動することができるのか、ということ。
人間は、足手まといの媒介変数を消したがる。都市は異質な環境をどんどん平坦にならしていくし、メディアは擬装する他者を封じ込めるのに熱中する。カンブリアンゲームは、悪趣味で理解できない外部との、違和感に満ちた接触面を作り出す技術だ。
うれしかったのは、わずかなキーワードで彼らの脳との接続が始まったこと。どのエリアにだって、何パーセントかの仲間はいる。