インドの計算法は、たとえば「4の倍数×25 という条件を満たすなら、はじめの項を4で割って100をかける」とか、「一の位を足すと10、十の位が同じ数になる二桁同士の掛け算は、、、(以下略)」のように、パターンによって異なる解法手順の集積だ。
にしのさんによると、ルービックキューブを最短で解くのも、同じようにパターンごとに異なるメソッドを覚えることだという。究極である神の手は、3,684,565京もの町がある地図の、どの位置にいるかを言い当てることに等しい。この話を肴にして、ひさしぶりにたっぷりビールが旨かった。
「魔法と受容」
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インドの算術も、かつては掛け算の九九を二桁で覚えていたらしい。今でも、19×19までは覚えるのだぞうだ。ユニバーサルなひとつの解法と逆で、これは記憶術を目指している。
「インド人の頭の中」という本によると、インド的思考方法の基本にある「分類」は、論理的な階層をなさず、思いつきのように分類をどんどん増やしていくのだそうだ。たとえばたまたまABCDEという分類があれば、Aの下位にあるカテゴリーが現れてもFに割り当ててしまう。快楽を網羅した「カーマ・スートラ」もそういう分類の書だ。増築を重ねた温泉宿のように迷路になってしまっても、地図を覚えていれば機能するし、迷うこともない。地図がエレガントである必要はない。
止まっている全体を見渡してから事態に対応するなら、簡潔なやり方が見つかる。しかし、システムの一部として動きながら、徐々にシステム全体が見えてくるような場合、あるいはシステムそのものの規則が変化しているような場合、より多くの実際的な解法を蓄積するのは、インド式だ。
そもそも、物質がこれほど多様なのは、世界がインド式ってことか。