安斎利洋の日記全体に公開

2006年01月03日
01:06
 南総里見八犬伝
高校三年のとき、NHK教育の「高校講座現代国語」に生徒として出演したことがある。そこで村野四郎に出会ったのは、僕の人生にとって一大事件だったのだが、当時放送が始まった「新八犬伝」の収録スタジオがすぐ隣で、いっしょに出演した女子(ジョシ)が大のジュサブローファンだったおかげで、ジュサブロー操る玉梓怨霊とともに記念撮影をしてもらったのも、実は同じくらいうれしい出来事だった。

十六歳の頃、僕は村野四郎の詩に完全にやられていて、ほとんどの作品を諳んじていた。生の姿を見られるだけで卒倒しそうだったのに、村野さんはそこらへんの高校生である僕らに、これから出そうとしている詩集をバインダー式の本にしたいんだけれどどうだろう、などと話しかけてきた。西脇順三郎を囲む六義園の茶会に呼んでくれたりもした。二年後、村野さんは亡くなった。

新即物主義という名の反物語、反ロマン主義は、僕にとって規範のように頭のどこかで鳴り続けているけれど、その音色のラッパをたどっていくと、クラインの壺のように馬琴的世界の中で名犬八房(やつふさ)の人形をもって笑っている自分がいたりする。
 

コメント    

2006年01月03日
01:10
安斎利洋
で今日の八犬伝、やっぱ面白れー。
明日が楽しみ。
2006年01月03日
03:47
社長
ジュサブローの人形劇、僕もすごく好きでした。
八犬伝は狂言まわしが黒子の坂本九でしたね!
真田十勇士も見ていました。
2006年01月03日
04:11
machiko
私は西脇順三郎の詩がとても好きだったのだけど、そんな茶会があったんですか・・・・。こっちのほうが気になる。(六義園っていえば地元だったのに・・・)
西脇の詩はあまり日本的じゃないですね。時代の少し先を行きすぎていたのかもしれない。
だけど、草月会館で個展があって見に行ったら、すごく雰囲気が合っていて良かった。

ジュサブローも好きで、この人が書いた人形製作指南の本を買ってきて、実際につくったりしてました。

中学時代に八犬伝(小説)にはまっていたのも思い出したのだけど、あのストーリーにはどこか、規範を超えたスケールがありますね。
2006年01月03日
08:11
安斎利洋
六義園の茶会は、詩人たちのmixiみたいなもんだったようで、名前を知らないひとも含めて十数人の宴会でした。NHKで村野さんに「きみたち小石川高校?じゃ明日授業を抜け出していらっしゃい」といわれ、その通りさぼってでかけました。その頃machikoさんを知っていたら、大声で誘えば声が届くようなところでしたね。千石にある小林さんというお茶道具店のご亭主が主催していました。

西脇順三郎は学者ながらほとんと妄想ハウリング状態の人で、「高校生?この前馬鹿な高校教師が来やがって先生詩というのはどのような効能があるのかと言うんだな。詩に効能があるもんかね」からはじまって「芭蕉とマルクスは劣等感を埋めるためにあれだけの仕事を残したんで、同じなんですよ」というようなことまで数時間酒を飲みながら雄弁をふるい、合理的でストイックな雰囲気の村野さんがときおり芭蕉の野梅の話に「そりゃヤバイね」みたいなしようもないギャグを飛ばす、愉悦の時間でありました。

西脇順三郎もまた馬琴のように、覆された宝石箱のような横溢する連想を連ねる人で、会ったときよりもむしろその後、どんどん惹かれました。昭和のモダニストたちは、ちんけなポストモダンにくらべて魂の深さが違う。かもし出す空気が濃かったように思う。
2006年01月03日
08:21
中村理恵子
>この前馬鹿な高校教師が来やがって先生詩というのはどのような効能があるのかと言うんだな。

はははっははは。ここに根っこがあったか(別件話)。
だいぶ肺炎襲撃の災害から復調してきたみたいだね。
2006年01月03日
09:27
>この前馬鹿な高校教師が来やがって先生詩というのはどのような効能があるのかと言うんだな。
実はこれ、安斎さんの台詞ではないですか?
あ、今年初めてのコメントがこんなので済みません。
あ、今年もよろしくお願い致します。
2006年01月03日
09:49
中村理恵子
んで、八犬伝の後半、今晩何時からさ?
みるよ。
2006年01月03日
10:00
安斎利洋
>ここに根っこがあったか(別件話)。

そうか、気づかなかった。

>実はこれ、安斎さんの台詞ではないですか

実はこのとき西脇ミームをインサートされたのかも。

>んで、八犬伝の後半、今晩何時からさ?

午後9時からTBS。
2006年01月03日
10:59
kazu
村野四郎と西脇順三郎、そうですか、
高校生の安斎さんは詩人オタクでもあったのですね。

「ユリイカ」の時代の香りがしますね。


2006年01月03日
11:20
安斎利洋
ユリイカに投稿してました。詩人オタクでなく詩人だと思ってました。すると村野さんに「詩人という職業はないんですよ」と言われました。あの当時「詩とメルヘン」という雑誌が創刊されて、日本の現代詩は凋落へ向かいました。
2006年01月03日
11:35
里見八犬伝-ジュサブロー好きの女子って、私の周囲にもひとりいました。

ユリイカ-詩とメルヘン

なんだか、あちこちがチクチクしてきました。
2006年01月03日
11:40
kazu
私も「誌の学校」に通って、当時の仲間と
「さざなみ」という同人誌を作っていました。

そして1日だけ街頭で仲間とそれを売りましたが、
1冊も売れませんでした。それでも高揚した気分でしたネ。

また詩の雑誌に投稿して1度だけ載ったことがあり、
今でもそれを大切に保存しています。

青春の、余りにも、青春の思い出です。ハ、ハ、ハ!!!
2006年01月03日
13:45
安斎利洋
現代詩という表現のスタイルがそうやっただんだん鋭利な刃物からなまくらになっていくプロセスを、音楽もCGもメディアアートも、まったく同じようになぞってきたんですね。
2006年01月03日
13:54
kazu
私は当時はダンディな田村隆一や、
鋭利な茨木のり子をよく読んでいましたが、

なんと言っても無頼派で、エロヂヂィーの
金子光春が一番でしたね。

彼のマレーからパリに至る
無銭漂流の旅から生まれた詩は、
グサリと五臓六腑にしみわたり、

今でも彼の幾つかの彼の詩集は、
私の大切な宝物です。

2006年01月03日
23:35
あのころ、「詩とメルヘン」以外の敵としては、個人的には
伊藤比呂美的なもの、というのがありました。
そこで勝負するなよー、という。
2006年01月08日
06:44
かぶとぼとけ
村野四郎と西脇順三郎

絶句!!!!!!!!

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