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ランダムドット全体に公開
2008年02月02日01:02
ランダムドットの裸眼立体視は、ふとコツをつかむと立体があらわれてくる。
ふとコツを逃すと、平面画像に戻ってしまう。そこに、行き来がある。

生きているというのは、まったくこの感じだ。

日々に喜びがあるのは、ランダムドットの中にハート型のくぼみが見えるようなもので、そこからふと離脱してしまうと、人間はみんな死んでしまうだけだよ、みたいな抑鬱平面しか見えなくなる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Mh_stereogramm_sis.png

クオリアにしてもアフォーダンスにしても音楽にしても<私>にしても、心に立ち現れる局所的対応物のない幽霊のような層は、立体視と同じような立ち上がり方と離脱の仕方がある。

立ち上がってくる立体への関心は、ずっと持ち続けているのだけれど、立体が見えなくなったときにあらわれる平面について考えることは、あまりない。しかし、この無意味な基準面にときどき落ちてしまうのも、キャリブレーションとして必要なのかも。

コメント

Linco2008年02月02日 01:14
死ぬ時に、未練を持たずにそのまま逝けるか。
キャリブレーションはそこに役立ちそうですが、こんな考えも不毛な様な。
godzi22008年02月02日 01:19
一時立体映像やってた私は、携帯ミクシイのトップ画面にあるエロ漫画らしいバナーに立体を感じてしまいます。
黒がずん!と奥に引っ込み、真っ赤なタイトルがちょっと飛び出して見えます。
後遺症か!?
安斎利洋2008年02月02日 01:31
>こんな考えも不毛な様な。

喜びのありかが、ドットじゃないってことに気づくのは、生きていくうえで有用なんじゃないかな。

>エロ漫画らしいバナーに立体を感じてしまいます。

エロこそ、立体視ですね。めまぐるしく立ち上がっては離脱を繰り返す。
MATANGO2008年02月02日 01:34
>キャリブレーションとして必要
だと、よくおもひます...。
シュタイナー教育で「考えるのはカラダに毒だ」...という考え方(?)があるようで...。
どきどきなにも立ちあがらないように、「明鏡止水」をこころみたりするのですが...、
すぐに鏡がゆわゆわしてしまひ....。
安斎利洋2008年02月02日 01:38
仏教が目指しているのは、それですよね。でも、立体が見えなくなることを目指しているっていうより、ドットを目指しても立体は見えないよ、って話なんじゃないか、、と。
Archaic☆Lucare2008年02月02日 07:23
仏教の言わんとしている事、というほど仏教をしらないのですが、そういうところかもしれない、と思った事はあります。

変性意識状態で無意識にアクセスするようですが、その瞑想恍惚状態ではそういうことが自然とおこっているのかなあ、とかも思います。
osamu2008年02月02日 07:44
>キャリブレーションとして必要なのかも

だからたまに髑髏が浮かび上がって見えたりするのかなぁ。苦しみから離脱しようと、これは平面なんだ〜、って一所懸命キャリブレーションしようとする。ある意味ではキャリブレーションの放棄を誘うハートの方が本当は恐ろしいのかもしれないなぁ。
ナチ2008年02月02日 07:58
こんなの見つけました

http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2005/0727-1.pdf
これに対し両眼視では、遠近感とともに立体的な感覚が得られます。人間の両方
の眼の中心から中心までは約6〜7cm 離れています。 これだけ離れていると、左右
それぞれの眼で見えるものの形等は微妙に違ってきます(離れた物体や景色を左右
の目を交互につむって見ると違いが実感できます)。この差を視差と言います。左
右の目に映った微妙に違う画像が脳で処理されて立体感を得ています。

物事の捉え方を視点とすると,ハートを見るためには,視点そのものよりも視差のほうが重要ということになりますね.
たまには変な色眼鏡を必要とするとこも人生と似てるかも…

smi2008年02月02日 08:01
安斎さんが、もどってきた。
たんぎー2008年02月02日 12:33
>裸眼立体視
交差法で見ると逆になりますね。平行法から交差法に移行して見ると、その間にどうしてもピントが合わなくなる時間があります。そんなもたつく視界に快感を覚えますw
安斎利洋2008年02月02日 14:46
>そんなもたつく視界に快感を覚えますw

立体が立ち上がっている状態と、立体が見えない状態とがあって、その間を行き来できる状態というのは、両方を見渡せる一段メタな状態ですね。「もたつく快感」っていうのは、立体視の面白さをうまく言いあててますね。

>変性意識状態

変性意識状態も、無意識のなかに立ち上がる意識や夢のようなものたちを、見えたり見えなくなったりするような位置にいて、「もたつける」状態なんでしょうね。

>だからたまに髑髏が浮かび上がって見えたりするのかなぁ

それも瞑想なんでしょうね。指南してください。
安斎利洋2008年02月02日 14:53
>こんなの見つけました

昔、航空写真の立体視を集めた本がありました。両眼にレンズのついた眼鏡が付属していて、簡単に立体視できた。いまなら計算で作るんだろうけど。

>安斎さんが、もどってきた。

ちょっと、キャリブレーションにはまってました。
中村理恵子2008年02月03日 09:16
(告白)どうも裸眼立体視が解りません.
ひょっとすると、うまれてからこのかた、実は裸眼立体視の中にいるのではないか?と今朝思い到りました.
すべて平面的に見えたことがありません.だから、3D、あえて作る必然を感じたことがないもの(笑).
smi2008年02月03日 10:03
中村さん。
そういうときは、片方の目を瞑るといいかもしれません。
あと、両方の目を閉じて見えるものもあったりと…。
安斎利洋2008年02月03日 16:40
>両方の目を閉じて見えるものもあったりと…。

無眼立体視!
メンタルスタッフ2008年02月04日 12:58
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Mh_stereogramm_sis.png

これ、よくできていますね。
この手の繰り返しを使った、立体視図、いつごろからかでてきましたが、誰の発明なんでしょうね。
Bela Juleszが、2枚の図を使って「ランダムドット」ステレオグラムを発明したのも感心したものですが、繰り返しを使ってというのもアイディアだと思いますね。

繰り返しの幅を狭くして、もっと簡単に「はまって」しまうような面白いものをいろいろ作れるんじゃないでしょうかね。コンピューターがあればですが...

そういえば、立体ではないけれど、子供の頃、障子の繰り返しをずらして重ねて見て、ちょっと奇妙な経験を楽しんだりしましたね。(今でもたまにする...)


安斎利洋2008年02月04日 13:18
このイメージの引用もとの「ステレオグラム」の項によると、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0

2枚の画像を使うのが、ユレス・ベーラによって考案されたランダム・ドット・ステレオグラム (Random Dot Stereogram, RDS)

1枚の画像で立体視が可能なのが、シングル・イメージ・ランダム・ドット・ステレオグラム (Single Image Random Dot Stereogram, SIRDS)

ランダムな点の変わりに意味のある模様などを用いたステレオグラムがシングル・イメージ・ステレオグラム(Single Image Stereogram, SIS)

という進化のようですが、発祥などは書いてありませんね。
メンタルスタッフ2008年02月06日 17:04
遅い反応ですが...

以下の英語のwikipediaのステレオグラムからだと、結構詳しいことがわかりました。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stereogram

次のものから、Autostereogramという言葉も使われて、これは、Christopher Tylerが最初のランダムドットの発明者のBéla Juleszと一緒に1979年に作ったとあります。
結構、昔からあったんですね。

http://en.wikipedia.org/wiki/Autostereogram
http://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Tyler

ちなみに、Béla Juleszの書いたランダムドットステレオグラムの載っている本を確かに持っていた気がするのですが、出てこなくて残念。
http://www.amazon.com/Foundations-Cyclopean-Perception-Bela-Julesz/dp/0262101130

> 立ち上がってくる立体への関心は、ずっと持ち続けているのだけれど、

私も、何故か、立体視には思考を刺激されてしまいますねぇ。
平面から見て取る立体視と、上のような知覚の機構が強制する立体視の重なりのメカニズムとか、その関係の変化なんかも面白いですね。

立体視は、情報の提示としては、一見よさそうですが、実は、平面画像で立体情報を(動きなども含めて)提示した方が、疲れもなくて、人に優しかったりするような気もしますね。

図ばかり強調しすぎなくて、地を見やすくするという点でも、平面による提示はよいのかもしれません。




安斎利洋2008年02月07日 16:42
>平面から見て取る立体視と、上のような知覚の機構が強制する立体視の重なりのメカニズム

立体視は、わだちの窪みに車輪がはまるような感覚がありますね。
地から図を見るのも、実は同じような嵌りかたなのかもしれない。図形を何かに見せようとする時点で、それは嵌めることなのかもしれませんが、図のどこに嵌るかという自由度は、あるように思います。立体視は、強い引力をもった解がひとつしかない。

>図ばかり強調しすぎなくて、地を見やすくする

というのは、平面図形がもっている自由度のことかもしれません。

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