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心はソーシャルネットワーク
2008年01月22日01:56
ここのところいろいろあってmixiとのかかわりが希薄になってきていて、ふと気づいたのは、ソーシャルネットワーク(たんにmixiという意味ではなく、昔からある原義的な意味でのそれ)は、心を作る、ということ。
自分の心は、自分の心が継続的に作り出しているものだと思っていたが、心はソーシャルな回路だ。回路が断たれると、脆弱になる。
さて、日記でも書くか。
コメント
tekusuke
2008年01月22日 02:25
忙しくって日記が書けないというのも正しくそれですね・・・。
安斎利洋
2008年01月22日 02:39
時間ができてからやろう、と思っていることは、たいてい先にやったほうがうまくいきますね。
ユミ
2008年01月22日 03:20
ふかいおことば。
しかし、物理的な時間はいかんともしがたいです。
脆弱なわたくし。
さかい
2008年01月22日 03:56
自分のウェブサイトの更新作業とか、まさにそれです(爆)。
ikeg
2008年01月22日 12:46
オートポイエシスですね
安斎利洋
2008年01月22日 16:23
>ユミさん
その物理的な時間が、心とそぐわないんですよね。
>自分のウェブサイトの更新作業
自分のHPのような、一方的に情報を出すだけの作業には、まったく力が入らなくなっちゃいましたね。みんなそうみたい。ブログとHPの中間のようなスタイルが必要なんでしょう。
>オートポイエシスですね
構造的カップリングですね。
テロリスト蛇居
2008年01月22日 22:14
>自分のHPのような、一方的に情報を出すだけの作業には、まったく力が入らなくなっちゃいましたね。
もはやHPで新たな出会いを果たすことは難しくなったということでしょうか。
twitterのような薄いコミュニケーションは遊びにはいいが、それでは物足りないというか、さみしくなる。
さて、飲み屋にでもいこか、仕事終わってからだけど。。。
yfuji
2008年01月23日 01:30
「死ぬ時は誰でも孤独なのだ。」
とは、ソーシャルネットワークから一線を画さねばならない時の寂しさを示しているのでしょうか。
そうではなくて、社会から断絶された回路にも偶有を認める決意として捉えたい。
安斎利洋
2008年01月23日 01:44
>twitterのような薄いコミュニケーションは遊びにはいいが、
>それでは物足りないというか、さみしくなる。
構造的で蓄積的なブログを目指すべきなんじゃないかな。
>「死ぬ時は誰でも孤独なのだ。」
殺すときと殺されるとき以外は、人間は孤独なんじゃないでしょうか。
メンタルスタッフ
2008年02月06日 17:25
> 構造的で蓄積的なブログを目指すべきなんじゃないかな。
そうなんですよね。
今のMixiは、人と人のインターラクションを実現する上で、空間的な距離は克服しているけれど、時間的な距離はあんまりうまく克服していないんでしょう。
それから、インターラクションの波長の長さみたいなものがあって、短い波長のインターラクションはなんとかなるけれど、本当は波長の長いインターラクションをサポートするための構造が必要なのかもしれませんね。
安斎利洋
2008年02月07日 16:22
ネットワークの情報キャパシティが大きくなるにしたがって、本当なら波長が長くなりそうなのに、反対に短くなっていくのが、皮肉ですね。
広告的なメディアは、短波長になるんじゃないかな。
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