安斎利洋の日記全体に公開

2005年12月22日
16:00
 妄想ハウリング
本を読んでいるときにふっと自分の迂路に入っちゃって、文字を追っているのにどんどん別のことを考えている、っていうことが頻繁にあるのは自分の欠陥だと思っていたんだけれど、けっこうそういう発振傾向の鐘を頭に乗っけている仲間は多いみたい、ということが昨日判明。

昨日、びすけっとさんtamieさん季里ちゃんCanvasの奈々子さん中村理恵子さんらと妄想の話になる。電柱を見てもそこからいろいろな連想が立ち上がってきて、その連想から新しい連想も立ち上がり、止らなくなる。

もし人間の脳が鐘だったら、叩くと人によって「がぁーん」とか「ごん」とか「ぼそ」とか、異なる反響がかえってくるだろう。中には、音がだんだん大きくなって、ハウリング(自励発振)しはじめる場合もある。きっと、ものごとを思いつく力、理解する力のある人のほうが、優れた妄想家なんじゃないかな。

そういえば上記の面子、みな脳内がハウリング傾向で、中に首つっこんだら、うるさいだろうなー。
 

コメント    

2005年12月22日
16:34
Ken☆
脳内ハウリングの波長がお互いに合っちゃうと、共振起こしてさらに暴走が加速するのね。……まさに迷界状態だわ、こりゃ。(^^;;;)
2005年12月22日
16:53
H.耕馬
「妄想ハウリング」カンブリア用語辞典にいただき!

ウィキペディアに組み上げれば格好良いんだが。。。。
2005年12月22日
22:33
小林千早都
共振でどんどん増幅されて・・・それが、一所で起こらないからカンブリアンは成り立っているのかもしれない。(独り言モード)
2005年12月23日
00:09
私は、本など読みながら考えがあれこれ拡散していくのは、
自分に集中力がないからだと思ってました。
これさえなければ、もっと早く本読めるのになあ、とか。

翻訳の仕事は、言葉選びをしたり、調べ物をしたりする
拡散の時間がすごく楽しいけど、そればかりやってると
いつまでたっても終わらないから、意識してコツコツと
まじめに翻訳作業をすすめないといけません。
なので、拡散と集中を意識してコントロールする必要が
あって、すごく自分のタメになることをしてるような
気がするんですよねー。
2005年12月23日
00:24
ぐあああああんと鳴りすぎるとうるさくなって、何もできなくなります。子供のころ、今思えば明らかにADHDだったと思います。
あのころにくらべて、妄想ハウリング度合いは減りましたが、それでも、時々ぐああああああんとなってしまって、制御がむずかしくなります。

今は数年ぶりの大波が来てるよう。
2005年12月23日
01:26
安斎利洋
ときどき、大昔頭にきたことを思い出して、なぞってまた頭にきたりして頭の足をとられることがある。ネガティブな妄想ハウリングに利くのは、メタ認知ですね。
そういえば昔、訴訟合戦になりそうだった友人たちの妄想ハウリングを止めたことがあります。仲良くなることはなかったけれど、怪物を育てているのは自分自身だということに気づければOK。それ以上関係が悪くなることはなかった。
2005年12月23日
16:02
ネガポジははかりにくいかも妄想ハウリング。
この場合のメタ認知とは。うーん。
2005年12月23日
16:14
安斎利洋
>ネガポジははかりにくいかも妄想ハウリング。

憎悪が増幅しはじめたら、それは負方向への正帰還がかかって、パレスチナモデルになっているって自己診断できるんじゃないですか。
怪物はいつも自分自身が自分の中だけに育てているから、怪物のことは思わない、干渉しない、というのがソラリス的解決かな。
2005年12月23日
20:00
MERC
会話や、こういった感想に感想を書き連ねていくという安斎さんたちの日記の形式は、始めっから、取っかかりになる言葉をキーワードとして、サブルーチンに入ったり、共鳴増幅回路に入ったりしているわけで、それはごく自然な(輪の外側にいる人には理解不能?常軌を逸した?)共有体験なのでしょうね。本を読んでいても、ある言葉で行き詰まり、その周りを螺旋階段を上り下りするみたいにぐるぐる回って、目だけは先の行に進んで、結局内容を覚えていない体験はよくありますね。
ちなみについ先ほども、「頭の足を取られ」るって言葉で、足を掬われ、火星人やら頭足類のことをグルグル考えていました。
2005年12月23日
22:56
安斎利洋
>、「頭の足を取られ」るって言葉で、足を掬われ、火星人やら頭足類のことをグルグル考えていました

やはりMercさんとは、同じ星の生まれだと確信しました。
波長が合う合わないというのは、ありますね。良き妄想ハウリングに入れる回路を作れるかどうかは、相手しだい。

よく、正面から向かってくる人と、逆方向に避けるタイミングがぴったり合ってしまうことがありますが、あれって気が合うのやら合わないのやら。
2005年12月24日
12:23
びすけっと
さすが,安斎さん.あの現象を「妄想ハウリング」と名付けるとは.
僕も自分だけかと悩んでました.
2005年12月24日
12:30
安斎利洋
あのときびすけっとさんが言ってた、脳波の状態によって状態が分岐する映画、って面白いですね。見る人によって、物語の冗長度が変わったり、ニュースの読み上げ速度が変わったり、いろいろできますね。
2005年12月24日
19:42
H.耕馬
マルチエンディング・マルチストーリーの映画って今までいくつか試されていますが、エンターティンメント作品としては成功したものはありません。無限にストーリーがあって、無限にエンドが存在する場合には、結果は分かりませんが技術的にはまだこれは難しいでしょう。

耕馬はナレーティブなストーリーこそが、観客の求めている物だとする考えなので、自分で編集しちゃえるインタラクティブな環境は、エンターティンメント作品としては今後も成功しないと思っています。
2005年12月24日
19:51
びすけっと
> 自分で編集しちゃえるインタラクティブな環境は、エンターティンメント
> 作品としては今後も成功しないと思っています。

意識上で編集するのは駄目だと思いますが,結果的に無意識の
うちに編集をしてしまった,というのはまだありなんじゃないでしょうか.

> 脳波の状態によって状態が分岐する映画

そこまではっきりと言ってましたっけ.実際問題,脳のことはどこまで
測定できるんでしょうね.
2005年12月24日
19:55
安斎利洋
>そこまではっきりと言ってましたっけ

そこまではっきりと僕の妄想が広がったのかも。

>今後も成功しないと思っています

インタラクティブな分岐する映画は、たいていディレクターが「選びきってない」という感覚を残すからダメですね。
分岐する映画って、これからカンブリアンでやろうとしている物語や動画のセッションのようなものじゃないかな。
2005年12月24日
23:52
H.耕馬
>これからカンブリアンでやろうとしている

作る過程は楽しいのですよ。でも出来上がったストーリーなり動画像を、制作に参加しなかった第3者が見て面白いかどうかですね。。。

静止画のカンブリアンは、出来上がった物を第3者が見ても楽しめる要素があるんですが。。。はなっからストーリーが無い動画映像だったら良いのかも知れない。
2005年12月24日
23:57
安斎利洋
mixiには鑑賞者はいませんよね。
映画もそうなればいいわけで、全員制作者になればみんな面白い。
2005年12月25日
00:04
H.耕馬
>全員制作者になればみんな面白い。

映画の観客は、自分が制作側に回りたいと思いながら映画館に行く人って、10%も居ないとおもいますよ。みんな、ダマサレル側に回りたいのよ。
制作で映像を演出する人は、観客をうまくダマス義務がある。だから面白いんだけど、だから大変でもある。
2005年12月25日
00:09
安斎利洋
そういう受動的な映画はこれからも残り続けるけれど、いままでだめだった能動的なインタラクティブ映画は、mixiのような方法で生きる道をみつけ始めるだろう、という話です。

いままで「インタラクティブな受動的な映画」という自己矛盾に力をかけてきたから、ダメなんですよ、CD−ROMやらインタラクティブDVD作ってきた業界は。
2005年12月25日
00:43
H.耕馬
>mixiのような方法で生きる道をみつけ始めるだろう、

ウン、知ってる。でもネガティブ。
時間軸のあるメディアは、静止画のように全体が一度に見渡せないので、あと一工夫必要なのかなと思う。

音のカンブリアンも、どうしても前の作品とのつながりではなくて、出来た作品1つ1つの鑑賞になってしまいそうなの。。。それはそれで、カンブリアンの中に入っていけない壁を感じる今日この頃。

意外と何も考えないでエイヤァってやっちゃうとうまく行く?
2005年12月25日
01:06
安斎利洋
それは、ひとつのノードの時間を短くするとか、自然に分岐を選択しながら続けてブラウズする環境を作るとか、そういうことで解決できると思うんだけど。つまり、本質的に可能性がないということじゃないと思う。
2005年12月25日
01:18
http://googlemapsmania.blogspot.com/
こんなんみたいに?
何か、一つの切り口があるといいのかも。
2005年12月25日
01:33
H.耕馬
>本質的に可能性がないということじゃないと思う。

それは賛成。
ただ、どういうインプリメントが良いのか想像出来ないだけ。
3次元世界に住んでる人間が、より高次元である時間軸を含む世界を可視化する方法は今まで様々トライされてきたけど、なかなかベストな解は無いもんね。

カンブリアの樹みたいに、パッと見て判断出来るものが無いと、制作がより説明的になってしまう。い・いよさんのGoogle Mapを含めてやってみないと分かんない。
2005年12月25日
01:38
安斎利洋
20年前は、世の中には著者と読者しかいなくて、読者は著者の書いた雑誌や本の原稿か、友人からたまに来る手紙か、自分がこっそり書く日記しか読んでいなかった。いまや、一日に読む文字の半分以上は、他人の日記やそれへのコメント。

そういうことが映像にもおきますよ、きっと。来るまで誰も想像できないだけで。
2005年12月25日
02:00
H.耕馬
>そういうことが映像にもおきますよ

ウン、反対はしないケド、やはりGOALは想像は出来ない。
そのためには、まず日記にコメント付ける位簡単な動画映像の編集ソフトが必要だぞね。
たとえば、ドラッグ&ドロップでピクチャーinピクチャーなんぞがしたいよね。
2005年12月25日
02:07
安斎利洋
耕馬さん、GOALが想像できてるじゃん。
2005年12月25日
10:45
H.耕馬
いえいえ、はじめの一歩です。
2005年12月25日
21:10
ふと思いついたことですが、来年の年末年始あたりに、
みんなでヴェクセーションをやってみるのはどうでしょう。
一晩中起きているのは、もう無理かもしれないけど。
昼間に。
2005年12月25日
21:11
あっ。誤爆した。
すみません。

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