5日に亡くなったシュトックハウゼンに、1952年に書かれた『ピアノ曲T』の自作分析がある。綿密な分析のあと、締めくくりでこんなことを言っている。
私が『ピアノ曲T』を1952年の時点で、いま説明したように作曲したかのような印象が生じるかもしれませんが、全くそうではありません。いま解説したようなことはまるで考えていませんでした。ただ、一定の基準と関係だけを用意して、それに従って作曲したのです(この作品はかなり速く、二日で仕上げました)。説明のために用いたいろいろな概念は、ずっと後から見いだしたものです。つまり当時はまだ一つもヴェーベルンの分析をしていませんでしたし、ダルムシユタットでヴェーベルンの作品をほんの少し一回だけ聴いていただけでした。後になってヴェーベルンの作品の中に、私の求めていたものを見いだし、そして多くのものが彼において既に準備されていたことを発見したのです。
(「群の音楽『ピアノ曲T』リスニングガイド」、『シュトックハウゼン音楽論集』より(邦訳1999年))
投げ込まれたウェーベルンの美しい小片が波紋となり、シュトックハウゼンやブーレースに広がっていった1950年前後の初々しい空気が伝わってくるようだ。シュトックハウゼンは、この初期のピアノ曲群が一番面白いと僕は思う。ブーレーズにしたところで、当時の「ピアノソナタ2」や「構造1」の高みを凌駕する作品はない。
すべては、始まりの一瞬の中に準備されているように思えることがある。