長いこと「擬装」が流行っているけれど、流行っているのは逆に「正直」だ。
「どうやったらうまくプレゼンできるか」「〜世代をターゲットにしたマーケティング」「トップを納得させる方法」「消費者をその気にさせる商品名」といったテーマが邪悪だという人は少ないけれど、にもかかわらずこれらも、いわば擬装。対になる正直をもたないだけの話だ。
にわか正直が流行れば、人々は「実力相応のプレゼンをしよう」とか、「消費者には商品の欠点を晒そう」というコンプライアンスモードに改心することもできる。が、「なぜなら、そのほうが好感度がいい」という理由をつければ、とたんに擬装の問題圏に帰ってくる。
こういう活動を、生物一般の活動の分類にあてはめると「擬態」ということになる。
ミートホープの田中社長が、なんでも混ぜるミンチ機を発明して「文部科学大臣表彰創意工夫功労賞」をもらっていたのは、実に愉快な話だ。あの手口は、海草そっくりの魚や、毒をもっていそうな無毒な植物などの、こっけいなまでの粘り強さに似ている。
内通しあわない二つのシステムが、表層のプレゼンテーションで影響しあうとき、そこにはたいてい擬態が発生する。「正直」を問わない、つまりセマンティックスを共有しあわないふたつのシステムは、軋みあいながら奇妙な発明を生み続ける。
だから、正直が食文化や企業倫理を立て直すのはいいんだけれど、正直ばかりが流行るのは、実に退屈だ。