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連れ嫌い全体に公開
2007年10月30日18:07
好き嫌いの根源にあるのはおそらく食欲と性欲で、とりわけ異性への好き嫌いは、オスがメスを取り合う社会的なゲームの中で形成される。メスはオスを倒したオスにしか惹かれないようにできているし、オスはほかのオスが惹かれるメスを独占することを愛情だと思い込む。だから「美人」という基準は、社会的に作られたその時代のパラダイムに過ぎない。

性ホルモンに翻弄されていた昔のことを思い出すと、オスたる自分があるメスに惹かれる要因は、そのメスが他のオスに対しても誘引的であることだ。簡単にいうと、自慢できる彼女を欲しがるのが若い男の習性で、ある年齢になるとそれが虚妄であることにはたと気づく。逆説的だけれど、若いときに恋愛をするのは時期尚早だ。

同様に、社会的に形成される「嫌い」、いわば「連れ嫌い」が虚妄であることに気づくのにも時間がかかる。「嫌い」という感情の面白さに気づくには、時間がかかる。前の日記つけてくれた、もう若くないオスたちのコメントがめちゃくちゃ面白いのは、たぶんそのためだ。

コメント

Yuko Nexus62007年10月30日 18:58
若くないメスは? メスは???
smi2007年10月30日 19:21
社会的に形成される「好き」と「嫌い」を統計データとして分析すると、金になるらしい。
いわゆる、マーケティング。
任天堂のWiiは「家族のだれからも好かれるゲームマシン」(ちょっとこまかい文章がちがうけど)がコンセプト。
安斎利洋2007年10月30日 19:24
>若くないメスは? メスは???

若くないメスはおじさんで、若くないオスはおばさんです。
安斎利洋2007年10月30日 19:24
>「家族のだれからも好かれるゲームマシン」

家族のだれからも嫌われるものも、商売になるよね。
Yuko Nexus62007年10月30日 19:48
私はおばさんですが、内面はおっさんのようです。
連れ合いはモロにおっさんですが、内面は少女noようです。
安斎利洋2007年10月30日 19:52
nice couple!
Yuko Nexus62007年10月30日 20:01
THANKS!
中村理恵子2007年10月30日 21:10
目
セン2007年10月30日 21:41
> 簡単にいうと、自慢できる彼女を欲しがるのが若い男の習性で、

身につまされる話です。
安斎先生の日記を読んでいると、自分の心理社会的体験にぴたっと合致するものをおぼえることがあります。
これを機に、今までの自分の恋愛論を修正して、危険な愛憎の対象となる可能性ある過去の記憶(要するに、「若かった」自分が「欲しがった」異性との間の記憶)をまとめて粗大ゴミに出してやりたいです。
miyako/玉簾2007年10月30日 22:08
>若くないメスはおじさんで、若くないオスはおばさんです。
これからわたしと言わずに「わし」にしようかな。楽そうだわ。
そういえば、周囲には少女のような男性が妙に多い鴨。
安斎利洋2007年10月30日 22:11
センさん
社会心理学、面白いですね。進化心理学も面白いですよ。魚類、両性類、哺乳類など、あまたの動物として自分を眺めてみると、なるほどこの習性から逃れることはできないと納得できるし、逆にどこから逃れるべきなのかもわかります。
安斎利洋2007年10月30日 22:12
>わたしと言わずに「わし」にしようかな。

いいと思うわ。
TODO2007年10月30日 22:28
「おれ」「おら」はその昔、といっても40年ほど前ですが、老若男女を問わず使っていました。わたしの田舎栃木では。

ある頃から従姉妹が「わたし」とか「わたくし」なんて言い出し始めました。女子高に行きだしてからですかね。
安斎利洋2007年10月30日 22:38
「おれ」は、おのれ、でしょうかね。
僕の二人の祖母は、福島と栃木で、どちらも「おれ」でした。二人称は「われ」だった。
人称の性別は、入れ替わりますね。
自分を「僕」という女子と、そういう女子が好きな男子がいますよね。
ikeg2007年10月30日 23:39
歳とると化学的オスメスがなくなるということですか? ぼくは声に惹かれることが多いけど、聴覚的オスメスは鋭敏になるような。
安斎利洋2007年10月31日 00:23
声、ってのはありますね。どうしても好きな声は、顔と同じくらい説明しがたく好きですね。

若いころのオスメスは化学的にじゃぶじゃぶですが、記号的でもありますよね。資生堂の作った匂いも、フェロモンも区別がつかなかったり。歳とるにつれて、匂い的には豊かな感じがします。
Yuko Nexus62007年10月31日 11:59
あては、もう十分おばはんでっけど、やっぱ男はんは、まわりの人に自慢できるような人やないと、そもそもあてが満足できまへんわ。いうか、あてがきっちり「でける男や!」と思う男はんやからこそ、まわりにも自慢しいたいいうんがほんまやさかい。。。

大阪船場言葉では「あて」ですね。「うち」は京都。
安斎利洋2007年10月31日 13:36
>自慢できるような人やないと、

そりゃそうですね。
「わて」が言いたいのは、強さが[2、3、2、5、4、2]の群れの中の7のオスはモテるけれど、強さが[7、9、7、8、8、9]の群れの中じゃモテない、というゲームの中で自慢が作られるということです。若いオスメスが属している世界の座標はひとつだけれど、歳とると座標が増える。
smi2007年10月31日 19:38
この
http://cambrian.jp/anzai/mixi/diary_index.html
安斎さんのMixi日記を、過去からじっと読むと…。
その思考に"ちんちん"がついているってのは誤読でしょうか?
安斎利洋2007年10月31日 21:13
切り離したことがないので、なんとも検証のしようがありません。
Yuko Nexus62007年11月01日 08:09
友人のイケてる男子は「俺は心にちんちんを持つ女としかつきあわない」とゆっていました。なんとなく納得。
とすると、ちんちんとは体の器官というより、気概というか、人生に対するときの確固たる哲学、みたいなもんにもなるでしょうか。

私は心にまんを持つ男性が好きですが。。。心の中に満ちた月があるようですね、うーん、俳味があるのぅ〜。
安斎利洋2007年11月01日 14:15
「心にまんを持つ男性」には二種類あって、メスのように考えるオスと、メスたちのように考えるオスがいる。前者はかっこいいけれど、後者はかっこわるいと思うんだな。そういえばオカマにも、かっこいいのとわるいのがいる。
Yuko Nexus62007年11月01日 14:26
こんな言葉は使っちゃいけない!と思いつつも、まさにズバリな形容なので、ついつい「女のくさったよーなやらしーやっちゃで!」と、罵倒したくなる男性はけっこういます(やらしー、は関西弁ではエロい、と同時に見下げ果てた、という罵倒語でもあります)。

いい感じでまんを孕んでおられる男性は、重層的な魅力があって、惹き付けられます。が「乙女男子」には、我慢がなりません。女友だちごっこをするには気があうしいいのですが、こっちが発情しているのに(そして、向こうが処女マリアのように美しいのに)、指一本触れさせない。。。そういう乙女男子は目の毒です。あっちいけ! シッ! シッ!
安斎利洋2007年11月01日 14:46
Yukoさんもまた、ややこしいちんちん下げた脳だなあ。
Yuko Nexus62007年11月01日 15:16
さいだんねん〜。ほんま、どんなりまへんわ〜。
Yuko Nexus62007年11月01日 19:19
なんか、ついつい「連れ」の話から「アフェア」の話にいがめてもうたー。ごめん〜。

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