最近、明瞭に気づいたこと。
自分にとって大事な人、たとえば、つれあい、恋人、親友、恩師などが、「私は〜が好きだ」と言うときは、まず何も考えずに、同じものを好きになってみるといい。
反対に、自分にとって大事な人が「私は〜が嫌いだ」と言うときは、まず何も考えずに、同じものを嫌いにならないようにするのがいいようだ。
なぜなら、人間の個性は好きなものより嫌いなものにあらわれるから。好きなものは自分の未来の指標だけれど、嫌いなものは過去に蓄積した逃れがたい自分自身だ。一時流行った「偏愛マップ」は、自分自身をあらわすのではなく、自分の志向を表現している。嫌いなものは、自分の名前のようなもの。
つまり、好きなものは自分のコンテンツだが、嫌いなものは自分というメディアだ。好きなものの共振は個性を拡大するが、嫌いなものの共振は個性を摩滅させる。名前を合わせこんでも、意味がない。
自分は何が嫌いかを表明するときは、他人を巻き込まない。他人が嫌いなものを表明するときは、その人の名前を聞いたときのように反応すればいい。