ひとつの戯曲にいくつかの上演(レプリゼンテーション)があるように、ひとつの地球に対するシナリオも無数にある。ゴアのノーベル平和賞受賞に反応した友人たちの日記も、まるでそれを写すように多様だ。
このあいだBSで放送された「石油・1億6千万年の旅」というオーストラリアの科学番組は、ひとつの演出として面白かった。しかも、この番組のWebサイトがすばらしい。(過去の番組を食い物にしているどこぞの国の放送局にも、見倣ってほしいと思う)
Crude: The Incredible Journey of Oil
制作 オーストラリアABC/2007
http://abc.net.au/science/crude/
ジュラ紀の温暖化した地球で、北極南極の氷が融ける。海水の500年サイクルの大きな対流(熱塩循環)が止まってしまうと、海はあたかも緑の沼地のように淀んでいく。酸性雨が地上の植物を海に流し込むと、海の沼地化は加速する。長期にわたる海の腐敗した沈殿が、層をなして堆積する。マントル対流の偶然の作用である環境がそろったとき、臭い岩から石油が析出して溜まる。数百万年をかけて炭素があるレベルまで固定されると、ようやく極地に氷が戻り、海は蘇生する。
この、汚くて臭い滅亡のイメージに基づくと、石油を掘り出して燃やすということは、地下に封印した1億6千万年前の生命の大絶滅を再び地上に呼び覚ますことになる。この異常さに比べると、海岸線が上昇したり、白熊が死んだり、人が死んだり、そんなのは地球的にはきわめてあたりまえの暢気な物語の一部に過ぎない。
どの物語を代表(レプりゼンテーション)にするかによって、そこに流れる音楽や照明も違ってくる。羅生門のように、ひとつの「真実」を固定しないことだけが、複雑な物語に接近する手段だ。