検索フォーム

4日連続の原理全体に公開
2007年10月12日17:02
昨日飲んだ高野明彦さん(国立情報学研究所)が、面白い話をしていた。

彼の師にあたる数学者は、一週間のうち4日研究に没頭して、3日は別のことをする。次の4日間のうち、2日間は前の到達点まで思い出すために使う。あとの2日で、仕事を先に進める。

これだ!と思った。いままでずっと、途切れた思考を取り戻す無駄な時間を要するのは、自分の悪しき特性だと思っていたし、集中を断ち切る割り込みが入るたびに、苛立っていた。

要するに、「あとの2日」をいかに作るかを考えればいいのだ。

コメント

にしの2007年10月12日 17:13
>自分の悪しき特性だと思っていた
同感です。
自分では、そういうものだとあきらめてましたが、あきらめるんじゃなくて、割り切ったらいいのですね。でもそれも難しそうなのが難点ですが。
安斎利洋2007年10月12日 17:20
何日か前に書いた自分のソースコードは、すぐには解読できない、というのは未踏「天才プログラマ」の共通体験でしたよね。高野さんも、仲間でした。
H.耕馬2007年10月12日 18:25
オラ鳥年だから、三歩歩くと忘れるダァヽ(^.^)丿
安斎利洋2007年10月12日 18:44
とり年だ、って覚えていられるうちは大丈夫。
うさだ♪うさこ2007年10月12日 19:38
すばらしいですね!!
私の場合、日常の仕事のサイクルが短いから、仕事についてまったく同じことは適用できない
のですけれど、

・そんな数学者の方でも、3日休むと忘れることがあるんだ! っていう発見と、
・日常の仕事をするために忘れてしまった大事なことに、この原理を適用すればいいんですね、

という発見があって、うれしかったです。
smi2007年10月12日 19:51
前回の到達点までおもいだす2日間の作業のなかにも、
なにか、クリエイティブな要素があるのではないでしょうか?
それとも、まったく同一の思考過程をへるので、無駄なのでしょうか?
自分は、その時間はまったく忘れているので、検証のしようがないのですが。
一週間前の後半2日間と、今週の前半2日間の、思考の差分はありやなしや?
安斎利洋2007年10月12日 20:02
>そんな数学者の方でも、3日休むと忘れることがあるんだ! っていう発見と、

>前回の到達点までおもいだす2日間の作業のなかにも、
>なにか、クリエイティブな要素があるのではないでしょうか?

4日のうち2日が「助走」に費やされるなら、連続8日にすれば6日の集中が得られるわけです。実際大きな仕事のときは、休まないで走りきるほうがいいんでしょうけれど、この話のミソは、行きつ戻りつすること自体に意味がありそうだ、ってことですね。
小林龍生2007年10月12日 20:10
肝臓のためには、一日おきに酒を抜くよりも、4日呑んで、3日抜く方hがいいらしい。
ぼくは、最近、月曜日から木曜日まで抜いて、金、土、日だけ呑む、というのを試してみている。
ただし、すべての原則には、例外が伴う。
安斎利洋2007年10月12日 22:21
例外的に、原則どおりの週がある、って話?
うさだ♪うさこ2007年10月12日 22:42
小林様!!
私もそんな試みをしておりましたが、最近、、、、
小林龍生2007年10月13日 01:01
定期健康診断の次の週は例外。
海外出張中は例外。
自分の意志が強固だということが証明できた次の週は、自分にご褒美。
ま、そんなところかな。

で、今週は、会議で、オーストラリアのゴールドコースト。
安斎利洋2007年10月13日 02:15
例外処理だけでプログラムを書く「エラードリブン」というソフトウェアパラダイムは可能か? という話を思い出した。

オーストラリアは、春ですね。
小林龍生2007年10月13日 04:21
ぼくの場合は、究極の唯名論者で、インスタンスがすべて。
クラスのインヘリタンスとして個々のインスタンスを発生させるのではなく、ぼくの個々の行動様式をすべてカバーするのが、ぼくというクラス。
《お酒を飲まない日を連続して実行する、と決めたら、実行できる》というのが、ぼくというクラスのひとつのディスクリプションで、それは、《ぼくはアルコール中毒でもアルコール依存症でもない》ということを、自分自身で確認してみることに他ならない。
安斎利洋2007年10月13日 16:59
すべての「改札口」の行動様式を、ひとつのクラスにする、という恐ろしいことをやっていたから、首都圏の鉄道は昨日、すべてダウンしたわけですね。
やっぱ、このソフトウェアパラダイムは、どこかで破綻するね。
小林龍生2007年10月14日 21:41
《このソフトウェアパラダイム》とは、「すべての行動様式を一つのクラスにする」のこと?
いつかどこかで発生するかもしれない現象に対して、事前にすべての対策を施そうとすると、そのコストは無限になる。
途中で妥協すると、どこかで破綻する。
人間は、自分が万能ではない、自分の想定の外側の事象が起こりうる、ということをあらかじめ想定することが出来るが、一般的には、人工的なシステムには難しいだろうな。
だけど、想定外が起こったときのエラー処理を組み込んでいなかったとしたら、それは、システムとしては稚拙だと思う。
「ごめんなさい、分かりません。助けて〜」とかね。
安斎利洋2007年10月14日 21:49
>《このソフトウェアパラダイム》とは、「すべての行動様式を一つのクラスにする」のこと?

そうそう、オブジェクト指向のハイアラーキーは、こういう破綻のしかたをする。

たぶん人間のエラー処理は、連想なんだろうね。まったく別の行動原理を、知らないうちにあてはめて、始めての困難でも乗り越えている。

 安斎利洋mixi日記 一覧へ