素人は恐ろしい、と、ある壁紙職人が言ったそうだ。彼らは採算や仕事の目的など関係なく、継ぎ目の模様をぴったり合わせたりする、というわけだ。
専門バカという言葉があるので、そのコンプリメントがあるなら素人利口ということになるだろう。素人は、専門家からすると異様な目的を平気でもっている。目的のための目的をもたないから、目的は浮遊していく。
素人は、飛行機を飛ばすために数学を勉強し、やがてそれは論理学へと発展し、そこで極めた哲学を否定して新しい哲学を作る。そのように浮遊していく意味において、ウィトゲンシュタインもまた素人だった。
専門は専門についての知識を深めると同時に、知識を専門という牢屋に閉じ込めることを、素人利口はよく知っている。言語の牢屋そのものがウィトゲンシュタインの哲学の相手だった。
言葉って、ものごとをすっげぇわかるように言い当てるけれど、言ったとたんにそんときの気持やなんかが、消えちゃうじゃないですか、と、昨夜のNHKの番組で、太田光が、慶應の教授陣にまくしたてていた。村井純やichiyaさんなど、知っている顔が並んでいたので、つい見入ってしまった。
http://www.nhk.or.jp/bakumon/previous/
太田光は一種の罠として、専門家のアスペクト盲を暴き立てる。それはフェアな罠ではないかもしれないが、少なくともいま「知」の業界に欠落しているのは、偉大なド素人の力であることは確かだ。