江戸時代は、市井の文化が高度に組織化されていた。だから、着物の裏地や、三味線の音律のちょっとした乱れのひとつひとつが、記号的な意味をもちえたのだそうだ。
正直に言うと、今度のSANPOカンブリアンは、盆踊りのつもりだった。これからはじまる連続セッションの皮切りとして、ちょっとお遊びを仕込もうというくらいの気持ちだった。
しかし、たぶんSANPOは、いままでやったカンブリアンゲームのなかで最も成功している。それは、インターネットの上の「市井」が、少なくとも僕らの井戸の周囲が、江戸時代的にカンブリアン形式を育ててきているからだ。
育っているのは形式だけじゃなくて、たとえばnorikoさんやあきらさんの数年前の写真を思い出すと、今回の写真の完成度と連結の巧さはどうしちゃったんだと思ってしまう。
学校のよう、なんていうとおこがましいけれど、スクールというのは学派、流派という意味でもあり、印象派を impressionist school というように Cambrian school が自然発生し、育っていることは確かなのだ。
ユーザージェネレイテッドコンテンツ、なんていう用語が流行って、トラフィックをかせぐサービスばかり狙っている昨今の風潮が、いかにも貧しいと感じてしまう。宝石は、そんなにたくさんある必要はなく、わずかに貴重なセッションがあればそれで十分だ。カンブリアンゲームは、もしかするとこの時代の俳諧になるかもしれない。
SANPOは、まだまだ続きます。たぶん近いうち、2本目が発芽するでしょう。
http://anzlab.com/sanpo2007a/indexj.htm