安斎利洋の日記全体に公開

2005年11月03日
23:26
 金沢大学の奥の間に富山大学
金沢大学での講義。学生の星座作用への食いつきが楽しかったのだけれど、もうひとつ面白かったのが教室環境。

奥の壁にヴァーチャルにつながった富山大学の教室があって、あっちの受講者と自然に応答ができる、というだけの話なんだけれど、机の並びの遠近法が調整されているせいか、空間のつながりがやけにリアルだ。

こういうのって技術より、チューニングのノウハウが肝なんだろうな。

パワポは使いませんでした。
 

コメント    

2005年11月03日
23:35
godzi2
??
教室の壁がスクリーンになっていて、そことテレビ会議できるイメージ?

ということは、安斎氏をはさんで、前後に学生がいるという感じなのでしょうか?
それ、おもろい配置ですね。
2005年11月03日
23:46
安斎利洋
それは面白い、けれど実際は演台から見てリアルな聴衆がいて、その奥の壁にスクリーンという配置です。ちゃんと遠近を考えたズームとカメラ位置になっていた。
2005年11月03日
23:59
godzi2
つーと、金沢大学の学生からは富山大学の学生が見えない?
2005年11月04日
00:29
講義をしている時は、相手の座標は何処に置くのでしょう。
目の前なのか、富山に思いを馳せるのか、ごちゃ混ぜの感覚か。
会話やネットでのやり取りとも違う感覚なのでしょうね。
2005年11月04日
00:41
ササキナルアキ
アンフラマンス(極薄性、infrimance)
チューニングの妙っていうか、ノウハウが肝。物質界と非物質界(情報)を往還できるための、折り返しが効いて厚みのない境界膜のような、なんだろう、魔法のドアみたいなものって、ほんと安斎さんがチューニングって言葉を使っている様に、常に波長を探しあてるか、自動的に調整できるような技術や仕組みの方がより重要なんですよね。
 
2005年11月04日
00:56
びすけっと
それをそのままやるとすると,
富山大の教室は,自分たちの前に広い空席があって,その先に
安斎さんの映像が見えていて,安斎さんの位置にカメラを置く.

本当は,富山大の学生から,金沢大の学生も見えなきゃいけ
ないとか,富山大の先生の講義のときはどうするのか,とか
そうすると難しくなってきますね.
2005年11月04日
00:56
安斎利洋
>つーと、金沢大学の学生からは富山大学の学生が見えない?

後ろの席の学生が発言しているのと同じで、振り返れば見えます。

>富山に思いを馳せるのか

実は最初、その画面が富山だと知らずに話をはじめて、途中で気がつきました。そこからは、どこでもドアが気になって、つい富山の学生を指したりすると、画面の中でびくっと肩が動いたりして。人の気配の濃さ、っていうのはこういうことなんでしょうね。
2005年11月04日
01:03
安斎利洋
ナルアキさん、
>常に波長を探しあてるか、自動的に調整できるような技術や仕組

これは、ヒントの詰まった指摘ですね。もし人の気配を数値化できれば、フィードバックをかけて最適なパラメータを出すことができますね。そういう映像システム、なんて面白いな。
2005年11月04日
01:11
安斎利洋
>富山大の教室は,自分たちの前に広い空席があって,その先に
>安斎さんの映像が見えていて,安斎さんの位置にカメラを置く.

富山の学生は、画面が精細でリアルです、というようなことを言ってましたが、どういうふうに見えているのかは不明。興味ありますね。
学生間の討論のときや、あっちとこっちにレクチャラーがいるときとか、そこまで考えてあるのかどうか。

昔、ICCでカナダのトロントと結んだシンポジウムに参加したことがあります。それから、びすけっとさんたちと、3点を結んだパネルディスカッションもやりましたよね。どれも「通信している」という感覚だったんだけれど、富山の人たちとは「会っている」感じがした。なにが違うんだろう。案外、音かも。
2005年11月04日
02:39
machiko
臨場感って、色の雰囲気とか音質とか、すごく微妙なところで変わってくるんじゃないでしょうか?
主観的な部分も非常に大きいように思います。
2005年11月04日
04:03
安斎利洋
微妙ですね。人間の感覚は、瞬時に臨場感を判定するんですけどね。
モーションキャプチャか力学モデルか、微妙な違いを明示的に言うのは難しいけれど、感覚的にははっきりわかる、というようなことですね。
2005年11月04日
09:24
なさ 飛鳥井
「チューニングのノウハウが肝」でしょうね。
でも、きっと演台にチューニングされていて、他の場所からはそれほどでもないかもしれません。

臨場感とか人間の感じるリアリティは、もの凄く微妙なバランスの上に成り立っていると思います。
リアリティの要素のひとつは同時性ですね。
視覚とか聴覚とか感覚入力はそれぞれ違ったタイミングで脳に届くのに同時だと感じる。
例えば、感覚入力に僅かにディレイがかかっただけで簡単にリアリティは崩れてしまいます。
この巧妙に仕組まれた再構成されたリアリティにどう細工をするかは、物理的な世界からのアプローチだけでは不十分でしょう。
2005年11月04日
10:22
H.耕馬
何のセミナーか実験か忘れたケド、昔見たのが居酒屋共用空間プロジェクト。
壁に机がくっつけてあって、そこがスクリーンになっている。向こう側とこっち側で一緒に酒宴が出来るという、とってもくだらないケド興味深い実験でした。

こちら側のメンバーと遠方に居る向こう側のメンバーは、お見合いの位置じゃなくて、横位置に並んでいるのが良かったなぁ。ちょうど、テーブルが長くなったイメージでした。
2005年11月04日
10:37
びすけっと
実は,京都と厚木ですごい装置が動いているんですよ.
1月には横須賀にもその装置を置いて3地点をつなぐ予定
なんですが.

普通のTV会議システムは,魔法の窓を作ったわけですが,
僕らがやっているのは,魔法の部屋を作ります.本当に
遠隔地の人と同じ部屋に入っているかのように感じさせる.
空間を重ねるので,原理的には3地点以上でも可能です
(魔法の窓方式は空間分割が矛盾しないようにしなきゃ
ないのでせいぜい120度ずつの3地点ですよね).

いつでも見学できますので,ぜひ遊びにいらしてください.
2005年11月04日
10:41
H.耕馬
>いつでも見学できますので,ぜひ遊びにいらしてください.

厚木、行きます、行きます。
日時をセッティングしてくらはい。
2005年11月04日
15:11
なさ 飛鳥井
びすけっとさんの方式、どういうやり方だろうかと、頭がぐるぐるしています。(笑)
重ねる方式だと、逆に矛盾を作り出さないと、不自然ですよね。
それとも同じ場所に複数人が存在できるのか。
心理的な距離がどうなるのかも興味があるところです。
例えば対人距離で、片手の届く距離と言うのは大きな意味(ぶん殴れる)がありますね。

厚木の人間情報研究部には遊びに行かせてもらったことがあります。
2005年11月04日
16:52
びすけっと
実は簡単でして,
A地点にある大きなディスプレイをぴったりのサイズで
カメラで撮影します.その映像をB地点のディスプレイに
表示します.Bのディスプレイもカメラで撮影してそれを
A地点のディスプレイで表示します.で,ディスプレイの
前に人間が立つと反対側のディスプレイにその人が表示さ
れる.これは,ディスプレイの表面が共有空間になった
わけです.表面から離れれば離れるほど,誤差が大きく
なるので人間はできるだけディスプレイに近い位置に立
たなきゃなりません.

そのセットを複数枚用意して内側にディスプレイを向けて
円柱を作ります.中央には同じ原理のテーブルも置きます.
厚木と京都には8角形の6辺の装置が置いてあります.

映像のループが出来るんで,偏光板を使って発振しない
ようにしたり,色々な工夫をしてます.

同じ場所に複数人が存在できますが,遠方の女性と隣り
合ったりしたら,ちょっとドキドキしますよ.

耕馬さん
日程ですが,14の週以外でしたら,大体いつでもOKです.
こちらからお伺いしようと思っていましたが,来ていただ
けるとは.どうもすみません.

なささん
人間情報科学にも面白いのが色々ありますよね.僕はそこの
隣の部です.
2005年11月04日
21:24
なさ 飛鳥井
びすけっとさん、詳しいご説明ありがとうございます。
本当のところは、体験しないと分からないものの、理解できました。
なるほど、8角形の周囲に近い部分と、テーブルの表面付近を、うまく使うわけですね。
いずれも重なりがあると、前後関係が入れ替わるのは仕方ないところでしょう。
音とかも同様の原理で、ハウリングの回避を行っているのでしょうか。

「遠方の女性と隣り合ったりしたら,ちょっとドキドキ」でちょっと思い出しました。
昔のメディアアートで、遠く離れたベッドの上の映像を、お互いにプロジェクションする作品があって、映像でもお互いが重なると、確かに不思議な感覚になります。
調べてみたら、Paul Sermonの"Telematic Dreaming"、この辺りはmachikoさんの専門か。
2005年11月04日
21:43
安斎利洋
Paul Sermonと、相棒のAndrea Zappとは、
http://www.renga.com/06inter/interwall5/index.htm
http://www.renga.com/archives/global/index_j.htm
こんなんで、遊んだことがあります。
2005年11月04日
21:46
安斎利洋
厚木、僕も行きたいな。合流してもいいでしょうか。
なささんも、いかが?
2005年11月04日
22:18
びすけっと
うわぁ.豪華メンバーですね.是非是非.
2005年11月05日
09:30
H.耕馬
早々ですが、訪問時間について
11月14日(月曜日)の午後なんていかがでしょうか?
2005年11月05日
10:52
H.耕馬
>日程ですが,14の週以外でしたら,大体いつでもOKです.

今、見ましたら、14日はダメそうですね。。。。
2005年11月05日
10:55
びすけっと
すみません14の週は全部×です.
2005年11月05日
11:22
H.耕馬
了解しました。
今週(7日〜11日)は珍しく全滅なので、21日の週にしましょうか?
22日の火曜日の午後なんて、いかがでしょうか?
もしくは、25日の金曜日なんていかがでしょうか?
もちろん、夜の部はあっても無くともOKです。
2005年11月05日
18:35
machiko
あ、私も合流したいですね。
予定が合えばですけど。

>なささん
Paul Sermonの"Telematic Dreaming"
はい、これをICCで見せたときの担当者です(笑)
マイミクのakiさんは、ソファ・バージョンのデモンストレーションのバイトしてました。

たくさん作品が出た大掛かりな展示だったんですが、オープニングで、スパイラルに来た、いつもよくレセプションで見かける「ヘンな外人」が、ベッドの前でいきなり服を脱ぎ始めたので、怒鳴りつけて阻止したことがあります。

ベッドの横には、お客様係りのバイトがいたんですが、気弱な学生だったらしく、阻止するどころか、なんと、「脱げ」といわれて自分まで泣きそうな顔で服を脱ぎかけてました・・・

そういえば、この夏のSIGGRAPHで、アンドレアに久しぶりに会いましたよ>安斎さん
彼女は、ふつうSIGGRAPHには来ないジャンルなんですけどね。
2005年11月05日
22:44
なさ 飛鳥井
ICCでも展示されたんですか。
machikoさんは色んなところでお見かけしますが、気が弱いのでなかなか声がかけられません。(笑)

さっき、耳が悪いのにNHKスペシャルの「サイボーグが人類を変える」を観ちゃいました。
かなり進んできましたね。
海馬のチップを作っている人がいるとは知らなかったです。
2005年11月05日
22:55
なさ 飛鳥井
安斎さんがPaul Sermonとかと連画で遊ばれたという話を読んで思ったこと。

最近、これ(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=51247655&owner_id=17629)を読んだこともあって、(知覚)意識が介在しないインタラクションに再び興味を持っています。
連画ってリンクに意識が介在しますよね。
意識が介在しない連画ってあるのかな、ダンスのコンタクト・インプロビゼーションを視覚化したような感じです。
フロイトの精神分析の自由連想みたいになっちゃうかも。
瞬間的にもの凄い数のノードができるかもしれないから、すべてを可視化するという発想はだめかもしれません。
2005年11月05日
23:45
びすけっと
22も25もいまのところOKです.
駅前にうまいビール屋がありますんで,そこに行きましょう.
豪華メンバーになりそうで,楽しみです.
2005年11月06日
01:52
安斎利洋
本当は、誰かが京都に行くといいんですけどね。でもそれじゃ、駅前のビールは飲めない。
なささんも、耳の調子がよければ、ぜひ合流してください。
2005年11月06日
01:59
安斎利洋
>意識が介在しない連画

たとえばひとつの大きなキャンバスにみんなで手を入れるようなやりかたを故意に避けてきたので、連画はどうしても意識的な対話になります。でも、なささんの言っているのは、そういうごちゃまぜとも違うことですね。

マチスましーんは、絵をつけるというところは、意識的な遊びの世界なのですが、人が残した紙の蓄積をさわりながら、響く形をみつけているときって、もしかするとコンタクト・インプロビゼーションの心的状態に近いのかもしれません。

ポストイットでカンブリアンゲームをしているときも、技巧をこらしたネット上のカンブリアンとは違う即興性が出てきます。

本当の「ビジュアル・ジャズ」とはなにか。魅惑的なテーマです。
2005年11月06日
03:26
machiko
私も「サイボーグ」見てしまいました。
というか、ここに出てきてた話はだいたいリアルタイムで知っていて、苦労して材料を集めて講義に使ってたのですが、一挙にビデオで出てきた!
ちょっと悔しいような。

次回は声かけてください(笑)>なささん

意識と無意識の中間あたりのところがつかまえられると、面白そうな気がするのですが、どうでしょうね。
2005年11月06日
11:03
H.耕馬
>22も25もいまのところOKです.
それではまだ先ですが、仮押さえという事で11月25日(金曜)の16:00に会議室集合、という事でどうでしょうか?
集合場所につきましては、情報を下さい。>びすけっとさん

以前からの懸案の「力点」関連の資料もお持ちしますので、もし時間があればプレゼンさせていただきます。

>駅前にうまいビール屋がありますんで,そこに行きましょう.
こちらも了解しました。楽しみです。
厚木の駅から、システムのある社屋まで何分ぐらいの距離ですか?

PS.参加メンバーの希望が、22日の方が高ければ、ミーティングの日付けをスィッチさせていただきます。
この週は23日(勤労感謝の日)もお休みなので、夜の部のためには良い週ですね。。。。
2005年11月06日
13:28
びすけっと
> それではまだ先ですが、仮押さえという事で11月25日(金曜)の
> 16:00に会議室集合、という事でどうでしょうか?

それでは,11/25の15:30に愛甲石田駅でお願いします.本厚木の
次の駅です.車でお迎えにあがります.
そこからはバスで20分くらいなんですが,あまり本数がないんですよ.
駅前には時間をつぶすところはありません.
ビール屋もその駅の近くです.
2005年11月06日
15:04
H.耕馬
>11/25の15:30に愛甲石田駅でお願いします.
了解しました。

>駅前には時間をつぶすところはありません.
ハイ存じてます。4年間3つ先の駅まで通っていました。
車さえあれば、山あり海あり温泉ありの良い環境ですが。。。
2005年11月06日
15:12
H.耕馬
>ビール屋もその駅の近くです.

ぜんぜん関係ない話題ですが。。。。
この間、箱根に遊びに行った帰り、途中の「風祭」という駅で下車しました。ここには、有名な蒲鉾屋さんの鈴廣があるんですが、箱根ビール蔵というレストランを併設してあります。

ここに蒲鉾で作ったたこ焼き(?)があって、ビールと良く合いました。また行きたいなぁ。
2005年11月06日
15:40
machiko
風祭って、車で行くと、ながーいトンネルがあるところですね。
あのトンネルはいつも渋滞して、排気ガスが充満していた記憶がある。
とても美しい地名なのに、と、いつも思ってました。
電車で行けば、やはり風流な楽しみがある町だったのですね。

本厚木には4年間通いましたが、とうとう、温泉には行き損ねてしまいました。
2005年11月06日
16:06
H.耕馬
風祭には、風流では無い楽しみもあります。
「神奈川県立 地球博物館」初めて行くと結構楽しめます。
こんな所にこんな物があったのか!?という驚きもあります。
By 神奈川県民
2005年11月06日
16:25
なさ 飛鳥井
意識の介在しない連画、言いっぱなしは無責任なので、ちょっと考えてみたものの難しいですね。
連画ではノードAに対して、
  連想してレンダリング、
  レンダリングしたものをノードBとしてノードAにリンク、
という流れがあります。
通常の連画では、連想して絵を描く部分は意識の関わりは少ないとしても、リンクする部分は意識的な行為。
写真で連画では、対象を見て連想する部分は意識の関わりは少ないとしても、写真に撮る部分とリンクする部分は意識的な行為。
僕のイメージしたものは、連画に近いもので言うと、頭の中での想い出の想起の可視化です。
ある想い出から別の想い出へ辿っていく、頭の中だと複数の人が関わるのは難しいし、画像を使うと連想する画像の検索に意識が介在してしまいそう。

海馬チップって前行健忘の治療には使えそうだけど、この用途にはまだまだ使えそうにないですね。
2005年11月06日
16:41
H.耕馬
>リンクする部分は意識的な行為。
この部分を無意識で行わせる実験というのも、面白いかも知れません。

画像処理(Computer Vision)の研究分野の中に、Free画像検索というのがあります。いろいろなアルゴリズムの流派があるのですが、たとえばこういうシステムを作ります。

1.タネの画像をシステムに与える。
2.Free画像検索のシステムが、そのタネ画像を元にネットの中の画像を検索する。
3.ヒットした画像を元に、ある手順で決められたデフォーメーション(ソフトによる画像処理)を元の画像に加える。
4.出来上がった画像をノードとして、元のタネ画像にリンクする。
5.その画像を新しいタネ画像にして、2にジャンプする。

このシステムを走らせ続けて、どういった木が出来上がるか??
2005年11月08日
12:38
安斎利洋
耕馬さん、なかなか鋭いアイデアです。

画像処理と画像認識を組み合わせて生成マシンを作ろうというアイデア、僕もいま温めているところで、顔ポイエーシスで出来てくる膨大な顔を、顔認識にかけてフィルタリングしようと思っています。

昨年、未踏で会った小林さんという人は、リサージュのような図形生成ソフトの結果を、文字認識にかけてアルファベットのフォントセットを作っていました。

中京大学の長谷川さんという方は、ある目的を達成する画像処理のアルゴリズムとパラメータをみつけるために、入力画像に対してアルゴリズムとパラメータの組み合わせで膨大な結果を作り、そこから自動的にその目的に合った画像処理を見つけるという研究をしています。

耕馬さんの言っているのは、画像処理と画像認識を組み合わせた勝手にカンブリアンですよね。これ、けっこう旬な発想かもしれません。
2005年11月08日
12:45
安斎利洋
なささんのコメントを読んで、シュルレアリストのやった自動書記を思い出しました。自動書記を、多人数でやったらどうなるか。

なささんのイメージを追うには、コンタクト・インプロビゼーションをちゃんと理解しないといけないみたいですね。『ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う』に、書いてあるのでしょうか。

フォーサイスの動きは、ひかれるものがあります。それは、連画をやっている最中に経験する、自分のなかに多数の他者があらわれて、統合を失う感覚(快感)によく似ているからかもしれない。
2005年11月08日
22:28
なさ 飛鳥井
コンタクト・インプロビゼーション、ちゃんと知らないです。(笑)
日野さんの本にも載っていないです。

基本的にダンスにおいては、デュオとか複数のダンサーによるダンスを振付けるためのひとつの手法でしょう。
私も知り合いの振付家のワークショップに参加したことがありますが、気とかエネルギーの流れで捉える人が多いです。
だから、日野さん的に言うなら、コンタクトした後に発展させるためのメソッドが確立されていない。
もし武道なら、相手を殺すことも、自分を助けることもできない。
日野さんの武道には、敵との間にも深いレベルでの無意識のコミュニケーションがありそうなんですよ。
12月の日野さんのワークショップには参加したいと思います。
まあ、そのレベルまで習得できないと思いますけど。

あ、25日スケジュールは確保しました。
後は体調次第、夜の部は厳しいかもしれません。
風鈴イベントの海賊版DVDを持って行こうと思ったけど、正規版がだんだん良くなっていますね。
2005年11月08日
22:34
なさ 飛鳥井
「自分のなかに多数の他者があらわれて、統合を失う感覚(快感)」ってどうして「他者」と表現したのでしょう?
自分の行為が分岐していくような感覚ですか?
前頭前野に、連画のノードの画像によってアフォードされた複数の「行為」が挙がってきて、それが調節されていないときの感覚かな。
2005年11月11日
16:46
安斎利洋
>「自分のなかに多数の他者があらわれて、統合を失う感覚(快感)」って
>どうして「他者」と表現したのでしょう?

なささんの言葉は、ときどき非常に鋭利です。

おそらくこれを「多数の私」と言っても同じことだと思います。つまり、たまたま「複数の行為が挙がってきて、それが調節」されている状態のことを「私」というのであって、無数の「私以前」の要素は、「他者」でもあり「私」の前段階でもあるのでしょう。

統合されない無数の要素は、常套句のような共有辞書のようなものであることが多く、それらはほぼオートマチックに進行していく。しかし干渉し束ねられていくなかで、まだ誰にも属さない新しい「私」が現れてくる。芸術的な表現が現れる瞬間というのは、僕にとってはそういうイメージです。
2005年11月12日
12:02
なさ 飛鳥井
安斎さん、ご説明どうもありがとうございます。
「まだ誰にも属さない新しい「私」」、これ重要ですね。

昔、音楽を良く聴いていた頃、本当のインプロビゼーションは存在しないのではないかと思っていました。
インプロビゼーションと言っても、その人が持っているパターンの組合せに過ぎないと思ったからです。

新しい「私」は新しいのか、それとも何らかの要素の組合せに過ぎないのでしょうか。
同じような環境だと、同じような反応や行為しかアフォードされないでしょう。
でも、出会う人を含めて異なった環境では、新しい異なった反応や行為が現れるようにも思います。

とすれば、意識としての私がすべきことは、私の知らない「私」に色んな新しい体験をさせてあげて、新しく現れてくる「私」に耳を傾けることではないかと思ったりします。
2005年11月13日
02:23
安斎利洋
僕もずっとそれが知りたくて、しかしまだよくわからない。

>インプロビゼーションと言っても、その人が持っているパターンの組合せに過ぎないと思ったからです。

もしかすると、いま僕が描いている絵は、何万年か前に誰かが描いている絵の繰り返しかもしれない、と思うことがある。

音楽はどんどん進化し新しい和声や新しいリズムが生まれているけれど、本当にそれは新しいのか。

組み合わせは無限かもしれないが、感覚の因数は有限なのではないか。

一方で、もしかすると人類の足跡のついていない新しい領域に、新しい自分を発見できるに違いない、という確信もまた深い。

本当に、そこのところが知りたいと思います。

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