安斎利洋の日記
2007年07月10日
18:31
うなづきづく
なぜ動物のメスは、オスを拒絶するところから交尾プロセスに入るのか。
気をもたせたほうがエキサイトするから、と単純に考えていたけれど、もしかするとこれは進化の本質にかかわることかもしれない。メスは、自分の知っている可能性の外側にある可能性を、遺伝的に残そうとするのではないか。別の言い方をすると、メスはオスの値踏みのなかで、自分を(=種を)拡大しているんじゃないか。
自分の範囲を形だとしたら、それに外接する形を探ろうとするとき、きしみが生じる。新しい刺激的な思想は、まず混乱と悪趣味としてあらわれ、しだいに自分の血肉になっていく。シャンツァイは臭いが、クセになる。絵や音楽もそう。新しい美や真理は、混乱とともに訪れる。
昨日の「うなづきロボット」について、小林龍生さんが受胎告知は受容のプロセスだということを書いている。うなづくのは、あらかじめ自分に備わった受容器に外部信号が同期するという話ではなく、「天使の言葉を聞くうちに、内的な変化が起こり、最後にはうなづきとともに、無条件の受容を表明する」という。ここで共感は、<私>と外部の同期なのではなく、<私>の変化のことだ。
たいていの経営者は、初対面のときだけ親密だ。ビジネスのプロセスが進んでいくと、だんだん合わないところが見えてくる。これは自分の形に内接する形を探って、お互いの合意可能な積集合を探っているから。世の中にはそういう恋愛もあるし、おおかたの人間関係はその轍をふむ。けれど、これだと予想外の新しいものを生むことがない。
うなづくという行為は、だから「表明」ではなく「発明」に近づくことができる。そういううなづきあいの中に身をおきたいと、つくづく思う。
コメント
2007年07月10日
21:15
ろば
「受胎告知」のその解釈は、美術関係の本で読んだ事を、思い出しました。確かに、マリアの中で起る変化、「受け入れがたい話=拒絶」から、「受け入れる覚悟」を経て、「受容するマリア」。それらの状況を、表情に含ませているとか・・・・。というような話でした。
2007年07月10日
21:22
安斎利洋
面白いのは、インチキセールスマンから怪しい宝石かなにかを買ってしまうときの「受容」もまた、同じプロセスだということです。
神聖か邪悪か、ということと関係のないのが、もしかすると重要なポイントなのかもしれない。
2007年07月10日
22:36
ろば
おもしろいですね。邪悪と神聖に関係ないところでの、「発明」。
2007年07月11日
00:09
smi
「受胎告知」の場合は絶対的な神の力によって納得してしまうというストーリーではないでしょうか?
外側と内側という関係ではなく、納得していない身体もまた神の一部で、実は全体としては納得受容済…。
インチキセールスマンとの関係とは階層構造が違うように思います。
なんてのは《カラマーゾフブラザース》初心者の戯言でした。
2007年07月11日
00:22
安斎利洋
あるとき天使がやってきて受胎を告げるのと、あるとき天使のようなおっさんがやってきて運命的な壺との出会いを告げるのと、観測者にとって何が違うのでしょうか。
2007年07月11日
00:34
smi
「受胎告知」は観測者から見ると天使とマリアの区別ができない。(できてるけど)
2007年07月11日
00:40
安斎利洋
あ、ごめん、観測者というのはマリアのことです。
2007年07月11日
00:40
Yuko Nexus6
最初にメスがオスを拒絶するのは理にかなっておりますな。
メスにちょこっと嫌がられたぐらいで引くようなオスの遺伝子は弱いに決まってる! てことでしょうか?
しかし、生殖にさらさら興味のない私は、拒否するフリだなんて時間の無駄にしか思えまへん。
受胎告知の図像には「気づいてない」「気づかぬふり」「あっとびっくり!」「あてでええんどすか?」「つつしんでお受けします」などのバリエーションがあり、時代や作家によって描き方が違うてなことを、昔亭主が入れこんで研究しとりました。
2007年07月11日
00:45
安斎利洋
強いオスをふるいにかけるために、拒否するふりをしている、と僕も思っておりました。でも違うんじゃないかな。
本当に自分の趣味に合わないから拒否しているんだけれど、そのうち趣味が変わってしまう。
そうとしか思えないような、すげぇー組み合わせって、あるじゃない。
進化ゲームでは、スニーカーといって、強くないオスが脈々と遺伝子を残す仕組みがあります。思うに、人類ってすべてスニーカーではないか。
2007年07月11日
01:12
Yuko Nexus6
うーん、どうだろう。動物の場合は好みってあるのかなぁ。。。
でも、最近私、亀井静香とか、アリかもって思ってます(国民新党のCFで「お母さん」を熱唱する彼に萌えた!)
俺、どーかしてんのか?
2007年07月11日
01:32
安斎利洋
>動物の場合は好みってあるのかなぁ。。。
あるある。毛嫌いって、馬が毛色を嫌って相手を拒絶するところから来てるそうです。それから、ジュウシマツが複雑な歌を歌うのは、メスの好みにそうため。この本はいいよ。
『小鳥の歌からヒトの言葉へ』岡ノ谷一夫
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>亀井静香とか、アリかもって思ってます
そう来たか。かなりエッジだ。
2007年07月11日
08:36
小林龍生
さらにずらすけれど。
ルカの福音書では《受胎告知》の直後に、マリアの賛歌《マニフィカト》がおかれている。どうも、この部分は、《受胎告知》の部分に比べて何だか平板な印象を受ける。
もう一つ。中京大の三宅なほみさんのかつての名作に通称《ミシン》という論文があって、その要諦を一言でまとめると、対話の過程においては、より理解度の低い側の発言が、より理解度の高い側を刺激して理解をより深める場合がある、ということと、対話の結果の表層的な合意が、かならずしも内的な了解の一致を意味するわけではない、ということ。
2007年07月11日
09:11
Yuko Nexus6
おぉ! なほみせんせ、ファンです!
冷蔵庫の人かと思ったら、ミシンの人でもあるわけですね。
私も似たようなことをよく体験します。二人で会話している時、どっちがアドバイスした、ということすら判然としないのに、まさに「人
間」のあいだに新しい発想がうまれたり。
実習室で音が鳴らなくなったので、スピーカーの不調なのか、数ある機械の不調なのか、探り当てられず、困り果て、しかたなく業者さんを呼んだら、彼の顔を見たとたん、自分で原因がわかった(メインアンプの電源を、学生が勝手に切ったらしい)ということ。。。彼は本当にたよりになる営業マンでした。
もちろん、わざわざおよびだてして申し訳ないと謝りましたが、きっと彼の顔を見なければ、私は問題に気づかなかったでしょう。
日記荒らしも止められません。そこに、発想が生まれたりするのでー。いつもすんまへん。
2007年07月11日
10:08
安斎利洋
いいねぇ、このツーカー感。
ある作品を作る。誰かが似たような作品を作り、しかも「自作品より先」に行っている。このやろー、と思ってさらに先を作る。よく考えてみたら、「自作品より先」と思ったのは誤解だった。
ソフトを作っていると、けっこうこういうことがあります。結果的に、相手の誤読を媒介にして、新しいものを生んでいる。
相手というのは、自分自身の中にもいるから、つまり、
「自分がわかっていることは、自分がわかっていることよりも大きい」
というパラドキシカルな命題に至る。
世界で起こっているシンクロナイズといういのは、こういうことだと思いますね。「同じ」という概念を、まず書き換えないといけない。
2007年07月11日
10:29
smi
そっか、日記荒らしにはそんな効用があるのか…
俺もやってみよう!
2007年07月11日
20:43
Yuko Nexus6
やってみてー!
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