安斎利洋の日記全体に公開

2005年10月28日
03:06
 脳はもう結構
最近、なんでも脳や認知の問題にされてしまうのが、だんだん嫌になってきた。まるで人間というドラム缶に閉じ込められて蓋をされたような感じがする。
音楽や美術や科学をやる理由って、究極は人間が人間を超えるものになりたいから、なんじゃないだろうか。
 

コメント    

2005年10月28日
03:30
godzi2
結局みんな不可知論とかにつながっちゃう気がするんだよね。
脳とかの話しって。
もしくは自家撞着の迷路にはまる。

人間を超えられるかどうかは分からないけど、ドラム缶にフタをされたらスルリとフタの上にのっかって、普段じゃ手の届かない何かを手にしてみたいと思います!
2005年10月28日
03:34
klon
内省や自己言及性に異常に寛容なこの風土に関係あるのかな
とも思います。
2005年10月28日
05:42
Mike
確かに。何でも脳に帰着させて、説明しようとするんですね。
でも、そういったことを超えたものがあると、グッときますね。
たとえば、これ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=49103241&owner_id=163455
http://www.ianrowland.com/MiscPages/Mrangryandmrscalm.html
なんかは、まだうまく説明できません。
2005年10月28日
08:42
びすけっと
全然関係のないレスですみません.
Mikeさんの日記から目的のサイトにたどり着くまでに3人
くらいの日記を経由したのが面白かった.
噂の広がり方みたい.
2005年10月28日
08:55
Mike
びすけっとさん、
 6次のつながり、ですね。
mixiも充分大きくなってきたので、どこかで面白い話が伝わるのに、何人を経て伝わるかは、興味深い話題ですね。
2005年10月28日
10:57
KJ
“人間についての説明は始まったばかり…
まだまだ謎の部分が多い…”
なんて謎なんて知らなくても、生きていけんのよ。動物をみてごらん。
死や病を、実にすんなり受け入れる。

人間は弱い動物で、いつでも右往左往して生きてきた。
それが人間の習性かもしれない。
そして今日も“脳の中身はどうなっとるんじゃ?”“蓄えるにはどういたらいいんじゃ?”“これはどう現したらいいんじゃ?”右往左往し続ける。
2005年10月28日
13:38
安斎利洋
Mikeさんのもってきた写真、面白いですね。でも、これはまったくもって脳の話として説明可能だと思います。星座作用よりも単純な一種のゲシュタルトスイッチで、遠くから見ると「穏やかな目」に見える影が、近くから見ると「怒った目の下の隈」にスイッチされるんでしょう。
「遠目に美人」というのは、きっとこういう原理で生まれるんですね。
2005年10月28日
13:40
安斎利洋
godzi2さんもklonさんも、創作の前線にいるからきっと共感があると思うけれど、自分の作品が脳というリセプタクルにはまるプラグでしかないとは、思いたくないですよね。
「俺の作品は人間には理解できないけれど、すごいんだ。俺にも、良さがわからない。」みたいなところを、目指したい。
2005年10月28日
14:36
科学をする理由は、その対象が人間かどうかはあまり関係な井野かも知れません。
物質としてのタンパク質がどのように振る舞うことで、ヒトを含んだ如何なる生命も維持されているのか、そのメカニズムを知ることが科学であり、まだまだ、科学とヒトとの間には、深くて大きな溝があるのだと思っています。
2005年10月28日
14:38
あおいきく
文脈は違いますが、私も最近「ラディカル・オーラル・ヒストリー」という本を読んで、わからないものとわからないままでも接続することについて考えたりしています。

でも、つい、わかる道すじを求めちゃったりするんですが。
2005年10月28日
14:40
びすけっと
安斎さんがどこを問題にしているのか,少しわかってきました.

プログラム言語を人間に依存する部分と,人間とは独立な
部分に分けて設計しようという話を昔,雑誌に書いたこと
があります.火星人のコンピュータはどんなつくりをしている
んだろう,という話.

人間の脳の短期記憶の容量のせいで,言語の仕様がきまって
しまっている.

間接参照までが依存しなくて,オブジェクト
指向は人間にべったりだと僕は考えてます.
ところが,UIの研究はバンバンすすむので,すごい開発
環境なんかだと,あんまり単語を覚えなくてもいいわけ
です.単語の補間もできるし.そうなると,オブジェクト
指向のように言語を複雑にしないで,もうちょっとロー
レベルな言語に,ゴージャスなUIをつけたほうがいいん
じゃないかとも思えてきます.

そうやってそぎ落とした後に残るものが,火星人にも役に
たつコンピュータの原理だと.

火星人はともかく,コンピュータ自身がコンピュータを
操作する場合には,彼に適した形式があるわけなので,
それを追求する理由は充分あります.
2005年10月28日
19:51
安斎利洋
そうなんです、こういう思考法をアートにも適用できるんじゃないかということなんです。

オブジェクト指向が、世界の構成原理を写しているのか、それとも人間の枠組みを写しているのか。おそらくたいていの人は世界の構成原理だと思っているだろうし、僕も日常的にそう信じていますが、おそらくそれは思いのほか人間の世界観にすぎないんでしょう。

論理学や数学も、人間以外の知性とも共有できる、つまり人間を超えた真理だけが蒸留されているけれど、実は人間に理解できないことは含まれていない。

芸術は感性の領域が専門だから、人間にどんどんおもねっているけれど、そういう考え方は実は近代のもので、それより昔はもっと数学や科学に近かったんじゃないでしょうか。

仮想火星人を想定して、プログラム言語を単純で美しいものにしていく、というびすけっとさんの戦略を、そのままアートにあてはめられないかな、と思うんですよ。たとえば、色彩調和や和声は人間に特有の、たまたま人間のパラメータを通した世界の見え方に根ざしているけれど、それを幾何学として一般化するようなことを作品によって実現できないかな、と思うわけです。

脳を目指すんではなくて、脳を消し去るような方法。

びすけっとさんの、その雑誌の記事って、読むことできるんでしょうか。
2005年10月28日
20:03
安斎利洋
ラディカル・オーラル・ヒストリー
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4275003349/249-1429871-5983514

この本ですね。解説を読む限り、テーマぴったり。

芸術家の天才がいることは誰もが認めますが、実は芸術の鑑賞にも才能が必要で、天才的な鑑賞者もいる。逆を言うと、少数の人にしか理解されないように運命づけられた作品というのもある。そういうことは、誰もが知っているのに、芸術の流通が市場原理だけになってしまったために、いつのまにか理解できない芸術はつまらないということになってしまっている。

人間も人間の作るものも、みんな金平糖みたいなもんで、とんがりがあるけれど、ラジカルな物語が排除されるのと同じ原理で、だんだんとんがりがとれて丸くなっていくんです。

人間なんぞにはわからない物語だってこの世にはあると思うんだよね。人間というのは生物学的な枠組みではなくて、ヒトが発明したシステムだから、人間を超えた鑑賞者が1%いれば、それは次の人間を発明する種になる。
2005年10月28日
22:01
なさ 飛鳥井
遅まきながらMikeさんの錯視の写真は面白いですね。
空間周波数の異なる画像がブレンドされています。
視覚の処理する空間周波数が、どちらに合うかによって見え方が異なるのですよね。
2005年10月28日
22:22
なさ 飛鳥井
内容が難しすぎて病気がぶり返しそう。

「俺の作品は人間には理解できないけれど、すごいんだ。俺にも、良さがわからない。」
こういうのは凄く好きです。

科学は理論の評価システムとして、観測事実の説明可能性を用いていますよね。
アートも少なくとも作成者の何らかの評価システムを用いて制作されていますね。
前者には人間は本当に絡んでいないのでしょうか。
それから、安斎さんの先の言葉は評価システムを捨てるということでしょうか。
2005年10月28日
22:27
安斎利洋
>空間周波数の異なる画像がブレンドされています。

これを読んでもう一度見てみると、怒っている写真と穏やかな写真を用意して、それぞれローパスフィルタにかけた画像とハイパスフィルタにかけた画像を、単に交換しているんですね、きっと。

これは絵の技法の問題としても、かなり面白いです。shade(陰影)とtexture(肌理)とoutline(輪郭)は、絵画の技法では別の要素ですが、実は独立していなくて、しかも網膜上の空間周波数によって関係が変わってくる。画家はだから、絵が見られる距離も想定しながら、陰影と肌理のトレードを始める。デューラーやミケランジェロの素描にある粗いハッチングは、陰影でもあるし、形のアウトラインでもある。

関連のある画像を、帯域ごとに分けてブレンドするというのは、けっこう面白いな。動画で、ローパス画像が数コマ先行する、というような。
2005年10月28日
23:27
安斎利洋
>前者には人間は本当に絡んでいないのでしょうか。

人間でない仮想火星人にとっても真理でないと、おそらく科学ではないのでしょうが、仮想火星人が到達できる知識を、人間はかならずすべてカバーできるのかどうか。人間はすべての真理にかならず到達できるのか、これはわからない。科学者はどう考え感じているのか、科学者に聞いてみたいですね。

>安斎さんの先の言葉は評価システムを捨てるということでしょうか。

これを読んで思ったのは、目の見えない画家である光島さんや、音の聞こえない打楽器奏者エヴェリン・グレニーのことです。人間が人間の限界を超えた作品を作るというのは、普通の人間には感じ取れない感覚をもった仮想人間を想定して、その仮想人間の感覚を想像しながら自分の中に翻訳された感覚を構成することです。人の感覚のエッジを多角形だとして、その内接円をとらずに、外接円をとるためには、評価システムに翻訳システムをつながなくてはならない!
と、いま気づきました。
2005年10月29日
07:00
あおいきく
布施英利さんが茂木さんとの対談の中で
「世界には何らかの調和が流れていて、チューニングするのが芸術。それが、もしかしたら幾何学とつながっている」と言っておられたのを思い出しました。

そもそも、私たちの体にはミトコンドリアやバクテリアや人間じゃないようなものがたくさん入っていて、意識のおよばぬところで世界とつながっているのかも。
すみません、話が変な方向に・・・
2005年10月29日
07:12
あおいきく
『ラディカル・オーラル・ヒストリー』については拙ブログに少し感想を書きました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=47986490&owner_id=464033
2005年10月29日
14:13
はらこ
>人間でない仮想火星人にとっても真理でないと、おそらく科学ではないのでしょうが

科学体系の一意性を前提にした考えですね。いっそのことそこから疑ってみるのもまた一興かと…

>人間はすべての真理にかならず到達できるのか、これはわからない。科学者はどう考え感じているのか

おそらく、ほとんどの科学者はすべての真理に到達可能だと考えているでしょうが、深謀遠慮の末にその結論に至ったというよりも、もっと素朴に科学者コミュニティの常識として無批判に受け入れているんではないかとお思います。

到達可能なもののみが真理だって、逆に考えたらどうなるんだろうか?
2005年10月29日
17:30
安斎利洋
>科学体系の一意性を前提にした考えですね。

科学は一意的な原理を求める運動で、それはゆるがせないでしょう。でも、ひとつの原理で世界がすべて覆い尽くせるという確信はしだいに崩れてきた。

逆に芸術は、作者ごとに違う原理、違う真理がある、というふうに(少なくとも近代以降は)思われてきた。でも、たとえば機能和声とか、印象派とか、セリエリズムとか、キュビズムとか、芸術上の流行というかスタイルとして言われているものは、布施さんの言う意味での幾何学の萌芽なんだと思う。

芸術は作者の「内面」を向いたものだというのは否定しないけれど、人間を超えた幾何学を目指したい。それが「脳はもう結構」の真意です。

そうすると、アーティストの領域はもっと確実に科学や工学とわたりあうと思うわけです。
2005年10月29日
18:22
なさ 飛鳥井
科学は真理を追究しているとしても、科学的理論は真理ではないと思います。
正確に言うと真理かどうかはわからない。
科学的理論は真理に近付くための仮説の積み重ねだと思います。
観測事実の説明可能性、ここに地球人にせよ火星人にせよ、あるいはその他にせよ、何らかの「確信」のような主観的な要素が入っているのではないかと疑っています。

それから、安斎さんの評価システムに翻訳システムを繋いだとしても、その翻訳システムの選択に何らかの評価が必要だと思います。
逆に、そこに主観的な評価なくしてアートと言えるのかということかもしれません。
例えば、極端な翻訳システムとして二つ思い付きます。
ひとつは評価を反転させるもの、自分にとって価値のないものを自分の作品として制作する。
もうひとつは評価をランダムにするもの、思い付きの制作だと無意識の評価が入るので、どういう風に制作するのかわかりません。
いずれにせよ、何らかの翻訳システムを選択しなければならない。
2005年10月29日
18:42
安斎利洋
>何らかの「確信」のような主観的な要素

いろいろな局面でたまたまうまくいく、ということの積み重ねなのかもしれませんね。

翻訳システムも、いろいろな局面でうまくいく翻訳システムを選択する方法を知っているのが、アーティストなんでしょう。
そこを、計算機でアシストできるかもしれない。
2005年10月30日
00:57
Linco
以前こういうイメージ(?)にはまりました。
0と1で構成されたシステムを触っている間は、ただ単に0と1の順序を入れ替えているだけ。一生それだけ。
下位の見方ですが。
2005年10月30日
01:40
安斎利洋
あ、それいいイメージですね。
無常感のようで、それでいてチューリングマシンの万能を思わせて、いやそれは同じことなのかな。

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