安斎利洋の日記全体に公開

2007年06月08日
01:29
 未来想論
NTT未来想論のパネルにお招きいただき、UGCについて話したことのメモより。

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UGC・CGMという言葉は企画会議で活躍できても、一般に根付くことはないだろう。コンテンツが生まれる現場に「ユーザー」「コンシューマー」という意識はないし、反感さえ覚える。

ではいっそ、UGC=連画と呼んでみる。連画では、場を管理する人を「宗匠」=マスターと呼ぶ。参加者は「連衆」(れんじゅ)。連衆の作るメディアは「座」と呼ばれる。これらの用語は連歌の伝統を踏まえているが、現代のボトムアップ型メディアの構造にも呼応する。

UGCは、連画、もしくは連衆によるピープル・ジェネレイテッド・コンテンツと呼びかえよう。座は、ソーシャル・メディアがふさわしい。

太古の「ピープル・ジェネレイテッド・コンテンツ」は、神話や詩だ。衆のなかに、特別に優れた作品を作る「作者」が誕生する。万葉集には、詠み人知らずと作者が混在している。

芭蕉は、自分は発句(ソロ)の作者として評価されているが、俳諧(コラボレーション)に自信があると言っている。トップダウン型とボトムアップ型が、いずれも大事にされた。

50年前、ロラン・バルトは「作者の死」という文章を書き、哲学や文学に大きな影響を与えた。作者の死というのは、特権的な作者によるトップダウンのコンテンツは終わったという意味。彼は、テクストというテキスタイル=織物、つまりコンテンツとコンテンツのリンクが、新しい意味をどんどん生み出していくと考えた。Web2.0がここに予見されている。

100年前のアメリカで、ラジオがどのように成立したかを、水越伸が研究している。それによると、まずアマチュア無線家が、交信するだけでなく、自分の好きな音楽をかけたりおしゃべりをするDJをはじめる。すると、それを聞くリスナーが誕生する。通信機メーカのドレイク社が、販促のためにDJをはじめる。それを聞くために受信機だけ買う人が出てくる。しだいに、DJが本格化し、真空管むき出しの受信機は、誰でも簡単に使える放送用の受信機になっていく。そのようにして、ラジオ放送というメディアが生まれる。ラジオは、PGCとして始まり、ブロードキャストというパラダイムを生んだ。

PGCは、メディア側が何もしなくても、ユーザーが勝手にコンテンツを作ってくれるし、リサーチしなくてもブログが反応してくれて、とっても楽になったという風潮だが、とんでもない話。

メディアは常に、人々のリンクの中から生まれ、それを研ぐパラダイムを発明し、再び解体される運動を続けてきた。PGCの中から、ラジオのような新しいパラダイムが、誰も気づかないところですでに生まれているはずだ。
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コメント    

2007年06月08日
01:32
安斎利洋
ビスケット2.0を肴に、おいしいパネルでした。
しかし、びっくりするような旧知が立て続けに目の前に立っていて、おれは今日死ぬんじゃないか、と思った。
2007年06月08日
01:59
Yuko Nexus6

芭蕉は、自分は発句(ソロ)の作者として評価されているが、俳諧(コラボレーション)に自信があると言っている。トップダウン型とボトムアップ型が、いずれも大事にされた

あと「土地誉め」っすな。各地の名所を詠み込んで誉めあげる。
連歌をやりすぎてへろへろんなったのは西鶴でしたっけ? 徹夜麻雀的。ってーか、郵便的? ってーか、意味不明!
2007年06月08日
02:36
はらこ
草の根から始まったラジオ放送は最終的に巨大な放送メディア産業へと寡占化の道を歩んだわけですが、PGCの流れもいずれはそういう方向へ向かっていくのかもしれませんね。

実はすでにGoogleがその地位に就いていたりして。
2007年06月08日
03:18
はらこ
ラジオとのアナロジーで考えると…

この間の「あるある」の捏造問題で明らかになったのは、番組制作費のうち大半が広告代理店や放送局に流れていてコンテンツを製作している番組制作会社にはほとんど流れていないということ。要するにコンテンツ制作は儲からず、その流通を抑えたほうがずっといい商売になるわけ。

PGCについても一番利益を上げているのはその流通をコントロールしているGoogleなわけで、もうパラダイムは完成しちゃっているかも。

そう考えると、日本政府のコンテンツ立国政策もこの先あまり旨みの無さそうな分野を目指しているってことになるのかな。
2007年06月08日
09:57
ネコ舌
勉強させていただきました。
2007年06月08日
11:15
うさだ♪うさこ
あぽー社はPodCastでラジオの民主化をしたいといっているようですが、もともとラジオってそういうものだったんですか。
2007年06月09日
17:46
安斎利洋
>土地誉め

客人の基本は、訪問先を心から誉めることですよ。人にしても、家にしても、会社にしても、土地にしても、本にしても、歴史にしてもね。

>一番利益を上げているのはその流通をコントロールしているGoogleなわけで、

コンテンツの作り手も、トラフィックの担い手も、次の主役にはならないんじゃないか、というのが漠然とした僕の予想です。境界の作り手みたいな人たちが、次のラジオじゃないか。

>ラジオの民主化

もしラジオが別のストーリーで成立していたら、もしかすると双方向メディアになっていたかもしれないですね。送信機が受信機とセットになっていたら、インターネットのようになっていたかもしれない。新しいパラダイムは、面白い可能性を捨てるということとセットなんでしょうね。

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