安斎利洋の日記全体に公開

2007年06月04日
00:38
 発現するドキュメンテーション
写真

月末に、国立新美術館で行われるシンポジウムに出ます。

発現するドキュメンテーション 蓄積と検索から表現へ
Documentation as apparition: from storage and retrieval to 'expression'

http://www.nact.jp/event/2007/jads/index.html

直前に告知しようと思っていたら、事前登録が必要で、しかも先月末に登録締め切りなんて書いてあるんで、焦って告知します。登録は6/15まで間に合うそうです。興味のある方、ぜひいらしてください。

http://www.jads.org/news/2007/0623.html

小説にしても論文にしても絵にしても、「文書」は閉じてしまえば死物のように静止し、受け手によって七変化するものの、書き換えられることはありません。カンブリアン文書は、情報の蓄積ではなくそれ自体が生き物のように作動し、解釈され書き換えられメッセージを産み続けます。そういう新しい時代のテクストの様態について考えたい。
みたいな話をしようと思っています。

関心が通底する5人によるパネルが、今から楽しみ。

安斎 利洋:システムアーティスト
 「カンブリアンゲーム──作動するテクスト」
前田富士男:慶應義塾大学文学部教授、同大学アート・センター所長
 「メタファーとカップリング──アート・アーカイヴにおける時空間」
丸川 雄三:国立情報学研究所特任准教授、独立行政法人国立美術館情報企画室客員研究員
 「連想がつなぐ文化財の情報発信」
金子 郁容:慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授、同大学湘南藤沢メディアセンター所長
 「想起する街−図書街プロジェクト」
司会:水谷 長志:独立行政法人国立美術館情報企画室長

懇親会の会場で、連画・カンブリアンのスクリーン上映をします。

ちらし・ポスターのPDF:
http://www.jads.org/news/2007/0623_poster03.pdf
ポスター制作記:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=409225310&owner_id=63253

●もうひとつ。びすけっとさんのお膳立てで、パネルに出ます。

NTTコミュニケーション科学基礎研究所 2007オープンハウスx未来総論 6月7日
NTT京阪奈ビル (京都府相楽郡)
http://www.kecl.ntt.co.jp/openhouse/2007/index.html

この中の、
『次の局面を迎えたユーザ生成コンテンツ〜UGC2.0を目指して〜』

UGCについては何時間でも話をしたいところだけれど、時間が短いので、足りない分は後日日記で補います。

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関連日記:
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=450678540&owner_id=64544
 

コメント    

2007年06月04日
08:52
ネコ舌
是非とも観たいものですが、上京の予定なし。
後日、ご報告を楽しみにしております。
2007年06月04日
08:58
tamie
週末、モネ観に行って、館内いたるところでポスター拝見、うれしい気分でした。
図書街は、京大チームの単なる雇われデザイナーとしてだけの参加で、その核の話を直接きけてなくて、そこも興味あるのだけどなぁ。
2007年06月04日
09:19
小林龍生
《発現するドキュメンテーション》
タイトルがいいね。
ぼくは、残念ながらイタリアにオペラを見に行くので参加できない。
最近、《Parallel Naratology》という言葉を思いついて、悦に入っている。
中野幹隆さんの死を契機に、昔やったハイパーバイブルのことをいろいろ考え直していて、その過程でね。
芥川龍之介の『藪の中』をフラグメントに分断し、(クロノス的な)時空が対応する個所を横断的に並べることで、異なる視点からの(願わくばカイロス的な)語り(ナラティヴ)を浮かび上がらせよう、という企て。
ジャストシステムでの同僚、山口琢さんがxfyを使ってこのようなParallel Narativesをダイナミックに編集できる環境を実装してくれるはず。
7月27日(金)に、函館未来大学での情報処理学会デジタルドキュメント研究会で発表する予定。
2007年06月04日
09:30
Mie
私もタイトルに惹かれて、サイトを見に行ってさっそく申し込みました。
11月に私が主査をしている情報処理学会のデジタルドキュメント研究会で「デジタルドキュメントシンポジウム」を開催します。
現在、このテーマや内容を詰めているところで、参考にならないかなぁというところが本音です。
もしかすると、ご協力いただく場面もあるかもしれません。
その節はどうぞよろしくお願いします。
2007年06月04日
09:32
安斎利洋
ネコ舌さん、tamieさん、録音はしておきますね。

>《Parallel Naratology》

ぐっとくるなぁ。バフチンを想い起こした。
2007年06月04日
09:37
安斎利洋
>もしかすると、ご協力いただく場面もあるかもしれません。

ぜひ。なんなりと。作動する文書、が当面のテーマです。トレンドを作りましょう。
2007年06月04日
09:39
安斎利洋
>ジャストシステムでの同僚

といえば、いま東大の美馬さんと、カンブリアンとの連携の道を探る勉強会をやってます。
そのうち合流しませんか>小林さん、Mieさん、山口さん
2007年06月04日
10:57
Yamahige
やったぁっ!これだ!
山口です、登録しました。

1月に紹介したソフトは、"Template It!"と名付けて公開しました:
http://www.ne.jp/asahi/yamahige/green/template-it/Readme-ja.html
《Parallel Naratology》ソフトも公開する予定、7月末までには(^_^;)
# r足りなくないですか?>小林さん

>トレンドを作りましょう。
5年後までに文書概念を一新するのが目標です。

ということで、
>そのうち合流しませんか>小林さん、Mieさん、山口さん
しましょう、しましょう。
2007年06月04日
12:07
小林龍生
>いま東大の美馬さんと、カンブリアンとの連携の道を探る勉強会をやってます。
>そのうち合流しませんか>小林さん、Mieさん、山口さん
いいねえ。

>>《Parallel Naratology》
>ぐっとくるなぁ。バフチンを想い起こした。
ぼくは、《Parallel Naratology》という言葉も踏み絵に使えると思っていてね。分かるヤツには一言で分かるけれど、分からないヤツには、未来永劫分からない。
ワードプロセッサーという言葉には、嫌になるほど水垢が染みついているけれど、ドキュメントプロセッシングということばには、まだ、未来を拓く余地がある。
2007年06月04日
12:43
あおいきく
かっこわらい不要のエモーショナルなタイトル文字に誘われて申込みました。
2007年06月04日
13:22
Mie
>作動する文書、が当面のテーマです。トレンドを作りましょう。
>そのうち合流しませんか>小林さん、Mieさん、山口さん

いずれも、大賛成です!ムーブメント興したいですね。
今、DD研究会では原点に立ち戻って、「ドキュメントのライフサイクル」を真剣に議論しようとしていて、11/22のDDシンポジウムでは、「ドキュメントのビジュアライゼーション」というテーマ案があがっていて、密かに安斎さん、中村さんをイメージしてたんですよ。
てな背景から「発現するドキュメンテーション」に条件反射してしまいました。

>ぜひ。なんなりと。
では、遠慮せずに。11/22午後空けておいてくださいね。
7/26,27はこだて未来大の研究会参加も大歓迎です。
情報処理学会デジタルドキュメント研究会サイト:
http://sigdd.itakura.toyo.ac.jp/
うーん、函館とシンポジウム(11/30→11/22)の日程が間違ってる。修正依頼出さねば。」

#Yamahigeさんに口コミで伝えました!レス早っ。
2007年06月04日
13:33
Yamahige
>ワードプロセッサーという言葉
実態はワードフォーマッターでした。
Parallel Naratologyは、並行時空フォーマッターなんですかね?
…と、首都高を周回しながら思った週末…
2007年06月04日
16:23
安斎利洋
そうか、問題を共有する人たちは、ここにいたのか。

テンプレート・イットは、熱烈に期待しています。僕らが絵でやってきたテーマに、密接に関係するし、言語そのものの問題でもある。

たとえば、もんがまえ、とか、やまいだれ、のような漢字の部首はテンプレート。
「こぎれい」とか「こずるい」とか「こぎたない」とか、ここで「こ」はテンプレートとして機能している。
言語は名詞のような「名」の衝突ではなく、テンプレートの衝突によって複雑化してきたんだと思う。
いまマッシュアップだのなんだの言ってるのは、名と名の接続方法における技術を言ってるけれど、本当は接続方法と接続方法の接続方法を考えるべきだ。
つまりテンプレートが、文字や単語のようにオブジェクトとして分節化する必要がある。

僕は、これを絵でやりたいんですよ。

>Parallel Narratology
(rを補いました)

カンブリアンと合流しないわけがないと思うんだけど。
2007年06月04日
16:24
安斎利洋
>かっこわらい不要のエモーショナルなタイトル文字

これは、うれしいなあ。(X)を外に出さずに、表現の中に組み込むことを目指しているわけですから。
2007年06月04日
16:30
安斎利洋
>踏み絵に使えると思っていてね。
>分かるヤツには一言で分かるけれど、分からないヤツには、未来永劫分からない。

踏み絵っちゅうところが小林さんらしいけど、まあ試薬というか、誘蛾灯かもしれないけど。

世界は、物語の並列性がわかる人間と、単一の物語に同期することしか理解できない人間の二手に分かれる、という仮説がついつい頭をよぎりますね。人生有限だから、省エネのために、やはり踏ませるしかないか。
2007年06月04日
16:40
安斎利洋
>11/22のDDシンポジウムでは、「ドキュメントのビジュアライゼーション」という
>テーマ案があがっていて、密かに安斎さん、中村さんをイメージしてたんですよ。

イメージに感謝!
シベリアの少数民族がアザラシの皮に描いた世界図があります。すばらしいんだこれが。そういう文書空間を作りたい。
2007年06月04日
17:20
小林龍生
># r足りなくないですか?>小林さん
>>Parallel Narratology
(rを補いました)
最初の山口さんのコメントがやっと分かった。
最近のワードプロセッサーは、オートマティックにスペルコレクションをしてくれるのでねえ(^_^;)
2007年06月04日
17:37
中村理恵子
おお、ココで盛り上がってましたかって。
当日、会場でっ!
ここでも、バトピンポンできるだろか?
2007年06月04日
23:16
安斎利洋
>ここでも、バトピンポンできるだろか?

何考えているか、まったくわかりやすい。
2007年06月05日
02:24
Yamahige
>テンプレートの衝突
おぉ。こういうのはどうですか?

CrossConceptというソフトを使って:
http://www.ne.jp/asahi/yamahige/green/cross-concept/Readme-ja.html
自分Aの考えをαというリストで表現して、
Bさんの考えを表現したリストβと
表形式でつき合わせてみると、例えば、
自分Aの考えの過不足に気づくチャンスが生まれるのではないか。

こういうのもテンプレートの衝突でしょうかね。

というのも、Bさんのリストβが優れていると、
○○3原則とか、△△デザインパターンなどと呼ばれて、
それは、考えのテンプレートして機能するのではないか、と。
2007年06月05日
07:51
安斎利洋
CrossConceptは、『遺伝的絵画』に近い考え方だと思います。
http://www.renga.com/facepoiesis/tabula/index.htm

ただ、このような交配が可能なコンセプトとそうでないものがあるはずです。

テンプレートとテンプレートの演算の一般形を考えるときに、メタテンプレートを考える必要があるんじゃないかな。
2007年06月05日
12:06
小林龍生
貨幣(もしくは経済価値)というものは、時に、比較不可能なもの(価値が直交するもの)を強引に比較対象にする効果がある。
一見交配不可能な概念を強引にぶつけ合うことで《発現》するできごともあるのではないだろうか。ちょっとシュールだけれどね。
2007年06月05日
14:14
安斎利洋
最近、たびたび引用しまくってるので、またかと思われる人がいるやもしれませんが、ダーウィンの
「例えば,もともとは花粉を柱頭に付着させる役割であった蕊(ずい)は,少し改良されて,昆虫の体に花粉塊を付ける役割を果たすようになり,そこで昆虫を介しての交配が可能となったのである.」

ここで、蕊が仮に「花粉を柱頭に付着させる」という属性が付与されていたら、昆虫は永遠に害虫で、蕊と昆虫は衝突して意味を産出することがない。

しかし、属性が剥奪されて出会うと、蕊の役割は「昆虫の体に花粉塊を付ける」に転換する。

お金は、属性を剥奪するから、機能と機能を交配可能にするんでしょう。

XMLベースの文書が属性の付与に特徴をもっているのは、逆に衝突を阻害するのではないか、というのがかねてからの僕の危惧で、むしろ属性を剥奪するXML技術が出てくることを期待したい。
2007年06月05日
14:42
小林龍生
ぢつは、シークエンシャルなドキュメントをフラグメントに分断するといっても、その分断の仕方そのものが、コンテクストや視点の影響を受けるわけです。
そして、フラグメンテテーションプロセス(分節化と言い換えてもいい)の多様な可能性が、ある種のきしみとともに、《発現》の萌芽になっている。
2007年06月05日
15:36
安斎利洋
フラグメントは、言い換えると境界の問題で、ミクロな問題だと、形態素解析を自分でやらないと、そこにコンテキストが入ってきてしまう、というようなことだろうし、マクロに考えると「作者」というのはひとつの境界ですよね。

フラット化といわれている現象は、境界をなくすことがメリットだという論調だけれど、僕は細胞膜のような境界はどうしても必要だと思う。テキストの緊密さや濃度を高めるためには。

テンプレートも、どの境界でチャンクとするか、というところが大きいんじゃないでしょうか。
2007年06月05日
18:29
小林龍生
うん、面白い議論になってきた。
ぼく的には、ここから先は、具体的な例を見ながら、函館や美馬さんたちとのミーティングで詰めていきたいなあ。
函館用の予稿では、このあたりのことも盛り込んでみたい。
2007年06月05日
18:46
安斎利洋
>函館や美馬さんたちとの

函館にも別な美馬さんがいるのが、ややこしいなあ。
2007年06月05日
22:55
Yamahige
>属性を剥奪するXML技術
ぼくはHTMLを買っているのですが、それは、リスト(ul要素など)や段落(p要素)という属性が、ほどよく抽象的だと思うからです。

ところが、「ほどよく抽象的」なのではなく「レイアウトを記述する」ものだと思われたところから不幸がはじまり、
ついには「もともとはリストを読み手に強調する役割であった箇条書きは,その趣旨が忘れられて,Webのページをクールにみせる役割を果たすだけになり,そこでWebを介しての交配が難しくなってしまったのである.」と。

『藪の中』エディタでは、時刻を「2007-06-04T19:45」などではなく「昨夜の初更頃」のままにしておいて、剥奪する属性と残す制約を調整できないかな…、と、帰りの電車で思ってました。
2007年06月06日
05:27
中村理恵子
>函館にも別な美馬さんがいるのが、ややこしいなあ。

美馬って、めずらしい名前じゃない。
縁続きじゃないのかな?
2007年06月06日
13:26
安斎利洋
>ぼくはHTMLを買っているのですが、それは、リスト(ul要素など)や段落(p要素)という属性が、ほどよく抽象的だと思うからです。

僕も、HTMLは薪に火をつける役割として、完璧な「いいかげんさ」をもっていたと思います。もしSGMLや、XHTML+CSSからはじめたら、こんなに爆発はしなかったでしょうね。ページが一つのテキストになっていて、覚えるべきタグも少ない。パーサーも適度に甘く、設計者の意図からすると害虫のようなユーザーがたくさんいたことが、かえってよかったんじゃないかな。

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