安斎利洋の日記全体に公開

2005年10月13日
15:01
 スカートの中
スカートというのは本来、風を含んでめくれあがり、太ももが露出したり隠れたりする恥ずかしさや美しさが、着ている方も見ている方も楽しい服飾なんだと思う。しかしいまや、スカートの中が見たいのか、スカートの中の中が見たいのか、あるいはスカートの中という意味作用が見たいのか、ほとんどスカートの中はシミュラークルの循環の中にあって、鏡を向けて人生を棒に振る学者が出てきたり、スカートそのものが犯罪を生産する増殖炉のようになっているように思う。

ここ半年、カンブリアンゲームのためコンパクトデジカメを手に、街中で10000枚くらいの写真を撮った。造形大の中川先生は、階段を登るときだけはビデオを鞄にしまうという。僕も、同じような神経の使い方をしなくてはならなくて、うざったく思う経験が何度もある。現代は、ブレッソンが決定的瞬間をライカで切り取っていた時期より、ずっと写真にとって過酷だ。見えてしまうものを見てはいけない、というのは、きわめて悪質な暴力だ。

いまやスカートという様式そのものが、男にとっても女にとってもセクハラなんじゃないか。

写真はカンブリアンゲームから。
左:中村理恵子の撮ったスカート
右:安斎のつけたスカートからの連想
 

コメント    

2005年10月13日
16:05
godzi2
確信はないのですが、スカートとかパンツとかおっぱいとかいうのはただの媒介にすぎなくて、実は欲情している自分に欲情するのではないかと思ったりしてます。

特に、二次元萌えとか声萌え(私は多分その先駆けだと思ってます)はそう考えないと説明できないようにも思います。

もしくは相手の欲情具合との相互作用。

こういう話題を安斎君とこでやると「1?」となる人が多そうなので、例のコミュ「カニヒトデウニイカ北斎タコ可南子クラゲナマコウミウシ・プロジェクト」を作らないとダメですね!
2005年10月13日
17:18
stella
> 右:安斎のつけたスカートからの連想

更にこの写真に、内側から見た窓をつなげてしまった私の深層心理。
...ちょっと考えてしまったりして。
2005年10月13日
18:20
そうですね。みんなモンペを履きましょう。
2005年10月13日
20:35
スカートというセクハラは残った方が、良いんじゃないですか。楽しくて。
個人的な趣味ではないことを言い添えておきます。
2005年10月13日
21:04
MATANGO
>鏡を向けて人生を棒に振る学者
の講演収録番組を、逮捕のひと月まえくらいにやりました...。
会場前列にはファンのおばさまがつめかけ、終わったらまだ後があるのにさっさと帰っていきました。
景気をよくるするには景気をよくすればよくなる...というようなことをいっていました...。
2005年10月13日
21:20
imochang
私の個人的な感想では、スカートがセクハラになるかどうかは、身につけるひとのセンスの問題でもあると思いますねぇ。
ミニスカートにはミニスカートなりの歩き方とか座り方があるもんで、きちんとしてるひとは、やっぱり格好いいし、中を覗きたいと思う価値があるってものです。
でも、そういうことに気を払えないのに、「あのおやぢの目、いやらしー」って言ってる子や、「見せブラ」だかなんだか知らないけど、キャミソールの横から、わざとらしく下着を見せて歩いてるような場合、それは、ほんと、気を遣って、思わず目を逸らしてしまう・・・という男性が気の毒ですね。
でも、そういう女の子の父親くらいの年齢のひとたちが、東南アジアなどへ買春ツアーに行って、十代の女の子達を侍らせて喜んでいるのもまた事実で(タイでいっぱい見ました)、欲望の循環というか、輪廻はどこまでも続くんでしょうね・・・
2005年10月13日
21:56
安斎利洋
なんか話がひらひらしてしまいますが、スカートをやめようとか、スカートを見る目がすけべったらしいとか、着こなしがいやらしいとかいう問題じゃなくて、まさに「景気をよくるするには景気をよくすればよくなる」みたいな病的循環を感じてしまうんです。
見せていないものを無理やり見るのは犯罪的だけれど、いつのまにか目に見えるものを見るだけで犯罪になるような風潮は、どこかでリセットしないとやばいことになるんじゃないかな。
2005年10月13日
22:09
安斎利洋
下着か上着か、男ものか女ものか、フォーマルかカジュアルかというような境界線は、ファッションのダイナミズムの中ではいつも逆説的な力として働いていて、下着は「下着なのに上着のように着る」スリルのために下着であるし、メンズはレディースに転換するために「専用化」しているふりをしているんだと思うんです。
もし、どうせ見えちゃうんだからみんな上着、ってことにしたら、こういう力学は働かなくなって、ファッションの世界は平準化してしまう。
江戸時代に裏地とか襦袢に凝ったりするのもそういうこと。10年くらい前に、カルバンクラインのブリーフが大当たりしたのは、男物を女が履いた広告写真の成功です。
そういうファッションの遊び文化の対極にあるような気がするんだよね、覗きと防衛のスパイラルって。
2005年10月13日
22:10
安斎利洋
>更にこの写真に、内側から見た窓をつなげてしまった私の深層心理。

たしかに、この文脈につけているってことを考えると、意味深ですね。内側からの風景。
2005年10月13日
22:37
安斎利洋
>実は欲情している自分に欲情するのではないかと思ったりしてます。

godzi2さん、さすがにすぽっと罠にかかってくれるなーと思います。昨日、オタク系哲学者の東浩紀さんが同じ原理の話を飲み会で展開して、強烈な軋轢を発生させていました。それはどうでもいいんだけど。

「欲情している自分に欲情する」という循環にだけ目を向けると、セックスとマスターベーションが等価になりませんか。ひょっとすると、脳の中でそれらは等価といえるのかもしれないし、「ホンモノ」なんていう根っこを考えること自体胡散臭いのかもしれません。

でも、セックスは死ぬことがあるでしょ。相手に殺されるかもしれないし、外敵に食われるかもしれないし、相手を殺してしまうかもしれない。そんなことはほぼないにしても、可能性のある同一空間で進行する体験は、一段奥が深い。

だから僕は、オタクの性文化ってやっぱり、どこまで行っても寒いと思ってるんだけど、違うのかな。
2005年10月13日
22:56
MERC
李下に冠を正さず。階段の登りではデジカメはしまってください。勘違いされたら馬鹿馬鹿しいもの。私は電車に乗るときは、いつも両手でつり革を持って両手懸垂をしています(大嘘)
スカートの中を覗くのに人生の全てをかけてしまう馬鹿な男のサガは、素っ裸のウエルカム状態の女性を前に突然インポテンツになってしまう情けない男に通じるかもしれません。
結局頭の中で描いた世界にしか遊べない奇妙な性癖なんでしょう。
その点、このNOTEを読んでおられる貴方は、実践を伴っているから大丈夫。頭の体操も大事ですが、実践も大切ですものね。
確かにオタクの性文化は寒いです。
もっと、実践で萌えて欲しいものです。
2005年10月13日
23:23
男性も、ときどきスカートをはいてみるといいのかもしれないですね。そうすると、スカートという服装が、どんなふうに楽なものなのかがわかっていただけると思います。
2005年10月14日
01:02
godzi2
>さすがにすぽっと罠にかかってくれるなー

釣られると見せて、釣ろうとした者と一緒に釣られてみせる(つまり共倒れとなる)高度な技でござる。

東氏と同じ考えというのは、何がしかの真実を含んでいるのかもしれません。
というのも「欲情している自分に欲情する」というのは、何かの文献やらを見て辿りついたことでなく、自分をひたすら観察し、感じたことですから。
自らを実験台とし、ピロリ菌の存在を実証した科学者みたいです。

>セックスとマスターベーションが等価

というのは、そうかも知れないと思ってます。特に男について。
先にもあげたヲタクなど(ほかにももっと例はありますが)は、その典型と言えるでしょう。

が、女性に関しては分かりません。
昔自分のシナリオ(私のHP参照)書いてた時に植物関係のさまざまな本を読んだことがあり、ある植物学者が「植物にとって花を開かせるということは、世界に向かって自分を投企することである」というようなことを語っていました。
そこには、自分を傷つけたり、失敗したりという可能性もある。それでも植物は世界に向かって花を開かせるのだと。

だから男性/女性、ヲタクと非ヲタクで異なるように思いますが、やっぱり欲情の主な駆動原理は自らの欲情であると言いたい。
寒かろうが暑かろうが、それは避けて通れない。
人間そのものの中に、それは織り込まれているのではないかと。


セックスについての話で私が一番本質をついてると思っているのは、山上たつひこのマンガ「喜劇新思想体系」。
主人公逆向春助があんまりオナニーやりすぎて、何を見ても欲情しなくなる。それでも欲情すべく努力すると、頭の中に「村々」という字と田舎家の絵が浮かんでくる。。。

なんかこの間の「字でできた夢」みたいな感じ!
2005年10月14日
03:37
安斎利洋
godzi2さんの考えを否定する根拠は、みつからないんですが、ひとつだけ違うと思うのは、なんで世界に自分を投企するのが女だけなんだってことかな。

死ぬかもしれない可能性のある空間でやっていること、っていうのは男も同じで、カマキリなんぞはオスのほうがより命がけなわけで、命がかかるというのは、まさしく自分自身のよりどころを捨てて飛び込んじゃうことで、投企っていうのはそういう意味でしょ。

前も書いたけど、最近自分は性的にメス化している感じがします。といっても、関心の対象がオスになったってことはないんだけど、欲情のセルフ・エキサイテッド(自励)な振動が、だんだん変わってきたような気がする。
2005年10月14日
03:44
godzi2
おお、なるほどね。
サケとかね。
自分を顧みると、そういうとこ皆無なんだけど。

ちなみにこの間書いた「カニヒトデウニイカ北斎タコ可南子クラゲナマコウミウシ・プロジェクト」のコミュ作りました。
私のプロフから入れるようにします。
2005年10月14日
03:57
安斎利洋
最初の趣旨は「写真家の自由」についてだったんで、全然話はずれちゃったけれど、略称カニプロ、ともかく入りました。

もし究極の仮想セックスマシンができたら、ヒトの未来はどうなっていくのかという思考実験には興味あります。でも上の話からすると、セックスと等価な仮想セックスなどありえない、という立場を守るかも。
2005年10月14日
04:01
安斎利洋
>階段の登りではデジカメはしまってください

MERCさん、おおせの通りにいたします。あ、でも、降りるときはいいのか、ってことに気づいた。
2005年10月14日
04:08
godzi2
つーか、ほら、エロ話しだから!
2005年10月14日
05:02
安斎利洋
「略称カニプロ」ってさ、神経接続の話になったら、すべての話が飲み込まれちゃうんじゃないの?
2005年10月14日
05:52
Archaic
話は飛びますが
ブランコはスカートのチラリズムを男女で楽しみあうためのもの、恋の演出のための道具としてはやったという本を昔よみました。
2005年10月14日
09:12
H.耕馬
(@_@)
2005年10月14日
09:36
安斎利洋
Archaicさん、綺麗にまとめてくださってありがとう。座布団さしあげます。
2005年10月14日
21:09
gilli
スカートをはいてる男の人は花森安治の他にもこの人がいました
http://www.nikkansports.com/ns/general/column/top-asozan.html
2005年10月14日
21:31
中村理恵子
>最近自分は性的にメス化している感じがします。
これってどういう意味?
2005年10月14日
21:55
godzi2
するどい指摘!
2005年10月14日
22:20
安斎利洋
直球だ。

男の発情原理は表層的で、視覚とか、皮膚の摩擦とかに重心が傾きやすいでしょ。
メス的になったと思うのは、性的な刺激に対して反射的に目をつむってしまう、みたいな感じです。
2005年10月14日
23:20
godzi2
経験が少ないので、分かりません。
自分が目をつむらないことは分かるんだけどな。
2005年10月15日
00:56
安斎利洋
>自分が目をつむらないことは分かるんだけどな。

基本的に、男は見たがるよね。

>経験が少ないので、分かりません。

たとえば、肩をもむみたいなことも含めて、他人の体を触るときは、目を閉じないと内部構造が見えなくて不安になります。これは、やってみるとわかると思うよ。たぶん、これはメス的感覚なんじゃないかと踏んでます。
2005年10月15日
01:02
指向性が内向きか外向きかの違いとも、ちょっと違うかな。
またも表層的に哲学しちゃいました。すみません。ムフ
2005年10月15日
01:03
MERC
受動と能動ってことかな?
発情原理は、『種を植え付ける。植え付けられる』という単純な行為を根本に発生する感情ですね。
単為生殖するアメーバだって、時々核の一部を交換し合います。その場合、性別はなくとも核を与える側がオスで受け取る側がメス。
アメーバに感情があるかどうかはわからないけど。きっと核の一部をオズオズと差し出すオスのアメーバは快感に打ち震えているはず。(妄想)
受け取るアメーバはその時目をつむっているのでしょうか?
2005年10月15日
01:32
安斎利洋
>受動と能動ってことかな?

それは、話が違うと思う。相手に対する能動性の問題じゃなくて、あくまで自分の感じる性的感覚の特性の問題です。

雄として性的であるというのは、動物として交配の使命を負っているわけで、ある意味で動物的状態の奴隷なんだけれど、だんだんその使命から自由になってくると、人間として性的に純化していくんじゃないでしょうか。そうポジティブに考えないと、歳とってらんないじゃない。
2005年10月15日
01:41
gilli
雄値が下がったということではなくて?
私は雌値は下がったと感じますが、オス化の予兆はわからないです。中性化してる感じはある。
更年期に怒りっぽくなったりするのは、男性ホルモンの所為なのかしらん。
2005年10月15日
02:26
安斎利洋
>雄値が下がったということではなくて?

と、言ってしまえばそれまでの話なんですが。なにをもって雄値とするか、ですね。

たとえば、今夜はかならずするつもりでいるのに、なにかのはずみでできなくなってしまう、というような状況化におかれると、雄は非常に苦しいですよね?>雄達
これを雄値というなら、雄値は下がっています。

雄値0ってほど枯れてはいませんが、まるで排泄欲求のような奴隷状態から自由になって、もっと別の要求、たとえば熱烈に飲みにいきたくなるとか、単純にいっしょに風呂につかっていたいとか、字面だけ見ると怠惰ですが、じっくり深い結合を求めるようになるのは、どちらかというと雌値上昇?

怒りっぽいというのは、ある年齢に山があるんじゃないかな。僕は何年か前、世界中が馬鹿に見えて、腹たってしかたなかった時期がありました。いまは、だんだん世界が親密に感じます。怒りっぽさは、エロスと反比例かもしれません。
2005年10月15日
03:06
gilli
>じっくり深い結合を求めるようになる
そういう意味で行くと、
私は
異性に対しても、同性に対しても、物事に対しても、
エロスとは逆の方向にいっているかもしれない。
雌値が下がって、一旦世の中の輪から一歩ひいているような。
何か別のものに造り変わる時期で軽く繭の中に入ってるのかもしれないと思う。
と言って、もともとメス値は低くて、テストステロンは多そうな気はしてるけども>私。
2005年10月15日
08:54
中村理恵子
>ポジティブに考えないと、歳とってらんないじゃない。
うん。
ラブホ(生殖最盛期;若者期)から、いきなり縁側でて茶のみ友だち(世間で考えられてる老年期)やんなさい的な
乱暴なコントラストに生きるには、あまりに自分がかわいそうだよね。飛行機でいえば、離陸と着陸しかないみたいな;東京→小松(金沢まで一時間)(笑)。
パイロットが居眠りこいちゃうよな自動運転に切り替わった、何回も機内食や飲み物じゃぶじゃぶな(最近は、ずいぶん簡素?・笑)、どうでもいいMovieや運良く新作観られちゃうかもしれないあの時間。いま、まさに、そこの真っ只中飛行;中年という時期やってんだなと思うね。
だから、成瀬巳喜男の‘驟雨‘(結ばれた二人の4年後の生活、心情から話を始める式)や最新の‘NANA`って映画(お互いに告ってラブラブの先、そこから映画は始まる。)なんかが最近、おお響きしたのかな?
なんて自己分析したりして。
縁側で枯れた充実感を味わうのは、実はとてもわずかな末期で、その寸前までは、実はエロい季節は、意外に長いのかもということにうろたえたりして。
ここらを丁寧に触ってかないと、損するなぁ。
2005年10月15日
09:51
H.耕馬
>腹たってしかたなかった時期がありました。いまは、だんだん世界が親密に感じます。

それって男の更年期じゃない?
安斎さんの場合は第3次性徴カモ知れない。。。
2005年10月15日
13:58
安斎利洋
離陸から着陸の間に、いろんな段階があるんだろうね。

耕馬さんと夏に、今飲まないと死んじゃうかもしれないから、なんていいながら手羽先を食べたのは、ちょっと感動的な思い出ですが、死ぬのが怖くなったり、死んじゃうからといって他人に関心が向いたりするのも、その段階のひとつなんだと思います。もったいなくて、そう簡単に着地するわけにはいきません

更年期にしても性徴にしても、人間は脳よりも、脳という船の浮いている化学物質の海に左右されるんだということを実感させられますが、こういう本、知ってますか?

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記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047912964/249-5396062-9101934

事故死した青年の心臓を移植された48歳のクレアに、手術後、不思議な変化が起こる。食べ物の好みが変わり、乗ったこともないバイクが恋しい。まるで青年の心が乗り移ったようだ…。生命の奥深い神秘に迫るノンフィクション。

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面白いな、と思って。どっちにしても、人間は体で考えていると思うね。
2005年10月15日
16:17
H.耕馬
「スカートの中」というタイトルを見て、アッまた引っ掛けようとしていると思って、ジット見ていましたが、やはり踊る阿呆の方が楽しいんだね。

>実はエロい季節は、意外に長いのかもということにうろたえたりして。
それは、な.さんがえーとアートをやってるからでしょう。枯れてからの方が長いとおもうなぁ。。。。

ミミズはすり潰して、他の個体に食べさせると記憶も移るそうな。6dの世界は、物質伝送装置よりは実現可能かもね。

PS.昨日見た、チャーリーとチョコレート工場では、TVが物質伝送をやってた。ちゃんとオリジナルを消滅させるからエライ。
2005年10月15日
16:24
H.耕馬
そういえば、yfujita さんの日記の中で、細胞間でDNA情報のコピーが、ソフトのバージョンUPDATEよろしく自動的に行われるという話がありました。
だとすれば、脳みその機能の1部を体のほかの部分が担ってもそれほど不思議では無い。
だって情報のバックアップは、オリジナルから離れた場所に作るのは常識でしょ?
2005年10月15日
16:25
>どっちにしても、人間は体で考えていると思うね。
ちょっと話がずれそうですが。
普通は、スカートの中が見えないから、他者にとってエロチックな訳で、ほんとはその人の内面を最もあらわにしているのが、顔ではないでしょうか。
「ドキッとしちゃった。」と大腿四頭筋を見て感じ取れる訳ではなく、やはり表情がもっともエロチック。
ですから、顔ポイエーシスをされた、安斎さんと中村さんはとっても、、、
もう止めときます。タハ。
2005年10月15日
16:39
安斎利洋
>やはり踊る阿呆の方が楽しいんだね

わかってたくせに。

>6dの世界は、物質伝送装置よりは実現可能かもね。

僕も6dを思い出しました。それからダークシティで、注射器で記憶を「インプリンティング」するシーンとか。
危ないドラッグじゃなく、なんか漠然とした幸福感を注射するような時代は、来るんじゃないでしょうか。

>昨日見た、チャーリーとチョコレート工場では、TVが
>物質伝送をやってた。ちゃんとオリジナルを消滅させるからエライ。

ウォレスとグルミットのように、オリジナルが消滅しちゃう場合もありますね。
http://cnn.co.jp/showbiz/CNN200510110006.html
2005年10月15日
16:54
安斎利洋
>ほんとはその人の内面を最もあらわにしているのが、顔ではないでしょうか。

まったくその通りです。顔よりエロいものなんて、ないと思う。

なんで人は顔だけ露出して体を隠すようになったのか、進化論的に考えると、もし顔も全身も露出していると、顔の美しさと体の美しさを両方そなえる確率は低くなるから、それだけ少数の個体に人気が集中してしまう。体を隠すと、顔の美しさだけになるので人気の集中する個体数は多くなり、分散する。そのほうが多様性を維持しやすい。ってことじゃないでしょうかね。さらに、目だけフィーチャーすれば、より美男美女は増えるわけです。
2005年10月15日
19:12
コントロールとして、フルフェイスのヘルメットをかぶって、しかも裸になってみないと分かりませんね。

折角の話をすみません。
なんか、最近こんなコメントが増えてきて困ってます。。
2005年10月15日
19:30
安斎利洋
>フルフェイスのヘルメットをかぶって、しかも裸になってみないと

コンビニには絶対入れませんね。
2005年10月15日
20:39
gilli
>人間は体で考えていると思うね。
私腰椎麻酔で下半身を麻痺させて、意識ははっきりした状態で手術を受けたことがあって、その麻酔から覚めて行く段階の変化ではっきりわかったことは、脳一方向で考えているんじゃなくて、体全体の感覚のネットワーク全てが全て響き合って感覚像、ボディイメージや記憶ができあがっているのだということです。
神経網は、幹のようになっているわけだけども、モモとかふくらはぎ、足先などがあるとして、それぞれの一番近いところの抹消神経がそれぞれの感覚を作っているわけではなく、皮膚の表皮を伝わる感覚とか、筋肉を伝わる感覚とかいろいろなものが統合的にボディのイメージを作っているということです。脳だけが考えているのではなくて、体が考えさせているところもある、神経の両端で響きあい、そして、いろいろ横道から遠回りしたエコーなど全ての像が体のイメージを作っているということが、よくわかりました。
2005年10月16日
00:01
H.耕馬
事故などで四肢を失った方が、切り取られて失ったハズの足とか手の痛みやかゆみを訴える事があるそうです。
それは、全く逆の現象ですよね。
つまり、脳が全身をイメージしてるから、そういう事があるとも言える。
2005年10月16日
00:19
安斎利洋
>それは、全く逆の現象ですよね。

そうそう逆ですね。幻肢は脳の中に身体があるという話ですよね。心臓を変えると性格が変わる、というのはむしろ、脳にあると思われていたプロパティが身体の方に宿っているという、逆の話だと思います。

僕も数年前に不整脈になって、たとえば、ちょとスリルのあるテレビドラマでも脈が飛びました。気楽に会っていると思っていた知り合いに会うときにも、わずかにストレスがあると、低い敷居を越えて脈が飛ぶ。すると、まるで対人恐怖のようなことになってきます。今は治ってずうずうしいので、もうちょっと治らないほうがよかったのかもしれませんが。

心的な病と思われていることは、もしかすると、体の病気という場合があるんじゃないかな。
2005年10月16日
01:17
H.耕馬
>すると、まるで対人恐怖のようなことになってきます。

それと同種の経験は、今回のヘルニアで経験しました。
足の痛みがひどい時、とにかく動かない方法をいろいろ考えるわけです。
お腹が空いても、100m先のお店に行くために痛い思いをする位ならガマンしようとか、トイレも痛いからもうちょっとガマンしようとか、、、しまいには何もしたく無くなり、鬱に近い状態になっていくのが自分でも分かりました。

これは、体と心がつながっている方の症例ですね。
2005年10月16日
19:54
安斎利洋
耕馬さんにとって、いまこの病気になっておくのは、将来の教訓として必然だったのかもね。歳とってから無気力のスパイラルを初体験したら、絶対脱出できないもんね。
2005年10月17日
19:57
H.耕馬
> 歳とってから無気力のスパイラル
それじゃぁ、歳とってからの恋も免疫を作りたいナァ(@_@)
2005年10月18日
20:29
安斎利洋
「免疫作りたくない」、じゃないの?
2005年10月19日
03:54
Fibonacci
私が世界をアーカイブするんだ。と言う気概で写真を撮らないと駄目ですね。僕は100000枚ですね。しかも全量保存です。3テラ近くなりました。
2005年10月19日
04:14
安斎利洋
ホマールさんは、きっと世界中の目に見えるものを網羅するつもりなんだ、と思っていました。やっぱり.....

しかし、100000万枚になると、どうやって探し出すかが問題ですね。
2005年10月19日
04:52
H.耕馬
> どうやって探し出すかが問題
データベースからの特定画像の曖昧検索は、まだ解決されていない問題の1つですよね。
「丸い」とか「青い」みたいなタームだけじゃ無くって、「あったかい」とか「悲しい」とかで検索するのは、どうすればいいんだろうね。。。
2005年10月19日
04:58
安斎利洋
画像にメタ情報をつけた時点で、その画像は言語に拘束されてしまうんだと思うんですよ。言語を超えた連想をどう頭の外に構成するか、僕にとってこれが目下の大課題なんです。
2005年10月19日
08:27
H.耕馬
>言語に拘束されてしまう
言語を検索に用いないならば、キーボードは入力デバイスとして使えない。脳波でも測定しますか?
2005年10月20日
11:57
Fibonacci
とりあえず日付で管理ですね。1テラのハードデスクが三台、別々の場所のコンピュータにつながっていて他に六台程のHDがあっちこっちに、ぶらさがっています。これが全量保存の為の体勢ですが、色々問題があります。FLICKRをカンブリアン投稿ためにうまく使おうとおもっています。
2005年10月20日
11:58
Fibonacci
とりあえず日付で管理ですね。1テラのハードデスクが三台、別々の場所のコンピュータにつながっていて他に六台程のHDがあっちこっちに、ぶらさがっています。これが全量保存の為の体勢ですが、色々問題があります。FLICKRをカンブリアン投稿ためにうまく使おうとおもっています。

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