安斎利洋の日記
2005年10月08日
03:33
杉山康彦
僕は、かろうじて卒業した高校も含めて、ほとんど学校の授業をまともに受けない青少年だった。仲間のいる大学には転々と通いつづけたが、学校のシステムになじんだことはなかった。
ただ、和光大学で銅版画を教えていた齋藤寿一先生と、戦後文学を輪読していた杉山康彦先生のもとには、二十歳の頃の一年間きっちり通った。杉山先生はバフチンなどを引きつつ、小説が多声的であること、言葉の多義性に文学の秘密があることなどを、実際のテキストから読み解いていた。僕にとって、衝撃的な授業だった。
杉山先生は当時五十二歳、脂が乗り切っていた。あと何年かで、僕自身もその年齢になるのが信じられない。先生が八十一歳で亡くなられ、昨日葬儀があった。いろいろな思いが、ポリフォニックに沸いてきた。
コメント
2005年10月08日
08:52
H.耕馬
今年もいろいろな方が亡くなられました。
故、澤井健さんの恩師の阪大の笹田先生も先週亡くなられました。
向こうで和解出来るといいな。。。
2005年10月08日
09:54
アッコ
ご冥福をお祈り申し上げます。。
私は、自分の人生に影響を与えた、という先生に巡り会えなかったことが
学生時代の唯一の後悔です。
供養、ものすごく意味が深い言葉だなとこんな時感じます。
それにしても、安斎さんお若いですよね・・
もう少しで50代にはお見受けできませんでした!
2005年10月08日
10:34
miyako/玉簾
杉山様が安らかでありますよう。
2005年10月08日
13:39
あ っ こ
ご冥福をおいのりします。
2005年10月08日
14:47
machiko
自分の両親が、知人が次々に亡くなる時期に差しかかった頃、すごく沈んでいたのを思い出します。
そういう年代にさしかかってきたんですね。
笹田先生が亡くなったとは、知りませんでした。
ショックかつ不思議な感じです。
多少年代が違うとはいえ、一緒に時代を切り開いてきた人たちと、二度とあえなくなるというのは。
2005年10月08日
19:56
安斎利洋
人が死ぬと、ああ一度ちゃんと話をしておくんだった、という悔いがかならず残ります。生きているうちにしっかり相互作用をしておくのが、僕らの天命なんでしょうね。
2005年10月08日
21:26
miyako/玉簾
以前、病気だった友達の葬儀に大阪まで行った時に、生きているうちに会っておけば良かったと思ったことがあります。それからは、様子がおかしい電話があった時は、本人に会いに行くことにしています。
2005年10月08日
23:48
godzi2
私は杉山研のデキの悪い学生でした。
安齋君と同じように先生の言葉を聞いてたのに、きちんと理解することができませんでした。
今あらためて安齋君の日記を読むと、あの時先生の言ってたことを受け止めることができていたら、その後の私の人生も違うものになっていたかもしれない、などと思います。
人と人が出会うのには、時間という要素が欠かせない。
決定的に手遅れなんだけど、もう一度あの頃の自分に戻ることができたら、などと思いました。
少しだけ感傷気味。
2005年10月16日
15:24
Fibonacci
笹田さんがなくなった;
京大時代に、クリストファー・アレキサンダーの多変量解析を最高裁のコンペに使った、手法をよく覚えています。まだ彼がCGをやる前ですが
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肺がんだったのですね。僕より2歳うえだ。
僕の友人も続々鬼籍に入っていますが、なかなかこたえますね。
杉山康彦さんは存知あげませんが、奇しくも同じ日ですね。
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200510
03AS1G
030090
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この日は気圧変動が激しかったのだろうか?
芸術の意味の多義性はますます重要な概念ですね。
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