安斎利洋の日記
2007年05月07日
23:48
命の天秤
交差点がふたつある。かたや、1日24000台もの車が行き交い、年間2人の事故死者が出る。かたや、1日600台しか通行しないが、やはり年間2人の事故死者が出る。今年の予算では、どちらか一方しか改良できない。さて、どちらを優先させるべきか。
東大工学部の技術倫理の授業で出された問題だそうで、さる受講者(笑)からの伝聞。なかなか良くできたアポリアだ。僕の答は明白、なんだけれど明日書きます。
コメント
2007年05月07日
23:58
びすけっと
600台の方が問題ありありの交差点ってことですよね.
だとすると少ない予算でかなりの効果が上げられるんじゃないかと思うんですが.倫理の授業の解答ではないですね.
2007年05月08日
00:24
TODO
さして考えずに答えれば600台の方なんだけど、技術倫理という聞いたこともない授業だからな。
会社のSEで専門学校を出る時に先生から君たちは絶対にロボットはやってはいけない、人を殺すから。と言われたと酒席の話題にしていましたが、これも技術倫理からかな。
2007年05月08日
00:25
ikeg
基幹道路の事故は大事故に発展するから24000台通る方を改良。あるいはよりpublicityが高いから。
NTTのように田舎に電信柱たてるために高い料金設定しておいて、あげくのはてにもう携帯だから、ってのはひどいんじゃないか。というのは八つ当たりか。
2007年05月08日
00:32
rhayader
事故死者数 24000=600
事故死者数/通行量 24000<600
人身事故に影響される車両数 24000>600
1事故辺りの処理費用 不明
1日辺りの交差点利用者数 不明
改良結果 不明
交差点状況 不明
話題性 不明
有力議員の存在 不明
経験値 不明
江原の体重 不明
動体視力 不明
明日の仕事 不明
前後 不覚
うーん、思いつかない
よつぱらいは寝ます。おやすみなさい
2007年05月08日
00:41
Hiro
人身事故に影響される車両数 24000>600
この観点がとても面白かったです。
でも、これって倫理かなぁ?
単純にわかりません。
まいりました。
m(_ _)m
2007年05月08日
00:43
Linco
自分がその死者2人の内の1人だったらどうでもいいですね。
この問題を作った方も、その死者2人だったらどうするのでしょう。
2007年05月08日
00:44
Hiro
しかし、
改良するのに掛かる費用が、両方同じとは思えないんですが、
この問題って、正解があるんですか?
2007年05月08日
00:52
smi
東大工学部の技術倫理かぁ、失敗学系とか。
車一だいあたりの死傷率という指標は実なくて、潜在的な大事故の可能性とかですか?
一晩ねたら、分かるかも。
でも、その間に事故がおきたらどうしよう。
2007年05月08日
01:06
安斎利洋
これまでのコメントを見れば、誰もが納得できる正解がないことだけは確かですね。授業でも学生の答は分かれたけれど、正解はないという結論だった、とか。
僕は最初、単純に答を出しました。過疎の方は、ひとりあたりのリスクは 2÷600 それを600人が負うのでリスク総量は2 。同様に過密の方のリスク総量は、(2÷24000)×24000で2。同じだから、サイコロで決めればいい。
でも、基幹道路の事故は大事故に発展する、という視点は気づかなかったな。影響される車両数というのも考えなかった。過疎の交差点は、事故のときまわりに車はいないでしょうからね。
僕はどちらかというと、24000分の2というのはノイズの中の信号だから、道路が原因だかなんだかわからないが、600分の2という信号として確かなほうが手をつけやすいかな、とは思った。
>自分がその死者2人の内の1人だったらどうでもいいですね。
当事者にとっての死は、分数では測れませんからね。
2007年05月08日
01:16
安斎利洋
>少ない予算でかなりの効果が上げられるんじゃないかと
この「効果」というのは、再現可能な知識がどれだけ得られるか、っていうことでしょうね。いかにも現場的な発想です。
2007年05月08日
01:18
うさだ♪うさこ
年間の死者数は同じなので、比較してみれば、1日600台しか通らないほうがきっと事故の率がすごく高いんだと思うのですが、なんだかこのくらいの数になっちゃうと、事故率っても1%とかにもならないくらいだと思うし、、、
そしたら、あくまでも、改善すれば事故死者が0になるという前提でいえばですが、1日600台の車が事故にあうかもしれない交差点より、24000人の車が事故にあうかもしれない交差点を改善したほうが、たくさんの人が助かる可能性があっていいのかも。
でも、そんな方や600人しか通らないような場所を通る人はきっとすごく必要があって、そこを通るしかないんだろうし、数が少ないからっていって無視していいって話かよ、みたいな気も、、、
できれば両方改善してほしい。
2007年05月08日
01:30
WAKU
殺人事件なら?
2400世帯が暮らす地域で年間2人の犠牲者、600世帯が暮らす地域でも年間2人の犠牲者。どっちの対策を優先するか?
私はこれだと2400のほうを優先する。
事故原因ががヒューマンエラーならやはり2400。
(600のほうには注意喚起の張り紙でもしておく)
環境起因なら600を優先。
まあ、そんなきれいには分けられないでしょうけど。
技術倫理の授業と言うことは環境起因を想定しているんですかね?
2007年05月08日
01:39
安斎利洋
>殺人事件なら?
>私はこれだと2400のほうを優先する。
これは、どういう理由で?
2007年05月08日
03:47
はらこ
犠牲者を減らすという観点から考えれば、
どっちの交差点を選んでも改良の効果に変わりないですよね。
(改良にかかる費用と効果が同じというのが前提ですが)
天邪鬼な私としてはもう少しひねった解を出したいんだけど、思いつかないや。
あと、
出題時にどちらの交差点も年に2人の犠牲者がでると規定されているので、与えられた問題を議論する限りは24000台通るほうで大事故が起こる可能性を考慮する必要は無いのでは?
2007年05月08日
06:28
Hiro
利用者が少ない方は軽視されるという現状を
そのまま見過ごすなということを学生に考え
させるための授業だったんですか?
2007年05月08日
07:08
smi
>一晩ねたら、分かるかも。
さて、朝おきると次のような、頭の中では次のような問題にすりかわっていました。
交差点が4つある。
1、戦車が1台、3000人をひき潰していく「嘆きの交差点」
2、年間を通して車は一台も通らないけど、なぜか必ず1年に一度、「その日」になると人がひとり死ぬ「呪いの交差点」
3、年間を通して車は一台も通らない、しかも人も通らない「無の交差点」
4、車は通らないけど、ドラッグクィーンを先頭に3000人がパレードをしている「ラブ&ピースな交差点」
今年の予算では、どれかひとつしか改良できない。さて、どれを優先させるべきか。
ネタ考えてどうすんだよ。オレ…
2007年05月08日
10:41
メンタルスタッフ
問題を変えて、予算に限りがあるので、どちらかしか「研究」できないけれど、どちらを優先して研究するかにとすると、いろいろ考えることが出てきて面白いですね。
真面目に考えれば、そもそも、24000台に2人と600台に2人という前提がどれほど現実的なものかをまず問題にしてしまうかな。
10数年間車で通勤していて分かったのですが、この間に数回は事故があった信号つき交差点と停止サインつきT字路があります。両方とも、ざっと考えて、一日数千台は車が通っていそうですが、死亡事故までは起こっていなさそうです。こう考えると、600台で年間死者が2人でる交差点がもしあれば、たぶん、「魔の交差点」級の最悪交差点でしょうね。
同様に、24000台の交差点でも、毎年死者2人というのは異様に重大事故の多い特異交差点になるのではないですかね。
本当にこんな交差点があるならば、特別な事情があるに違いないから、さっさと対処できる可能性も高いですね。
研究の波及効果を考えるなら、もっと普通の事故率の交差点を研究するのがよいということになるんでしょうね。
愛知県はいまだに交通事故死亡者の率でも最悪県であるという報道を聞いたような気がしますが、もし研究するなら、東京で研究するより愛知県で研究して欲しい。。。
2007年05月08日
11:09
rhayader
寝ながら決めました。狙撃されない業者を選びます。
...不謹慎? ごめんなさい。
今、甲州街道沿いに住んでいます
とても交通量が多い場所です。
近所に2箇所花がたむけられているので死亡事故も
結構あるかと思います。
早朝に事故現場に遭遇した事もあります。
推測ですが信号待ちを嫌って車道を横断するからでは
ないかと。
とすると交通量の多い昼間より夜間の方が車両の速度
が速い上に,交通量が少ない事から横断者は増え、そし
て暗いので発見が遅れる。そうそう、私の様な酔っ払
いも増える。
目の前の道路に関しては人身事故は交通量の少ない夜間の
方が多いのではないかと思っています。
今日も無事で良かった。
2007年05月08日
12:33
smi
東大工学部の技術倫理はこれでしょか?
http://
www.nu
clear.
jp/~ma
darame
/rinri
_note.
html
2007年05月08日
15:52
安斎利洋
>利用者が少ない方は軽視されるという現状を
>そのまま見過ごすなということを学生に考え
>させるための授業だったんですか?
出題の意図は、おそらく「自分の考えた正義は、たくさんある正義のなかのひとつにすぎない」ってことじゃないでしょかね。つまり、いかにたくさんの「正義」とその理由を、ここから発見できるか。
少数派が軽視されるから、バイアスをかけるというのは、ひとつの正義ですね。もし住民投票をしたら、たぶん25000の方が優先されるだろうし、政治家が考えれば票田の多い方を選ぶし、狙撃されない方を選ぶ政治家もいるだろうし。しかし、ワイドショーで「魔の交差点の不思議」なんて取り上げられ方をすると、たちまち600に流れる可能性もある。
民主主義がいかに脆弱な正義か、って話でもある。
2007年05月08日
16:30
安斎利洋
>研究の波及効果を考えるなら、もっと普通の事故率の交差点を研究するのがよいということになるんでしょうね。
研究対象として、極端な対象を選ぶべきか、それとも避けるべきか、というのはギャンブルの問題じゃないでしょうか。科学にかぎらず、小説だって人間一般を描き出すために普通を描くか、ありえない話を描くかは、流派がわかれるでしょうね。
2007年05月08日
16:33
安斎利洋
>「呪いの交差点」
>「無の交差点」
地方自治体の官僚っていうのは、まず25000か600か、という問題で現役時代を過ごし、天下りしたあとはsmiさんのネタみたいなんで予算消化を考えるんでしょう。
僕は、その手のネタのようなイベントに何度か呼ばれたことがあります。「聴衆よりパネラーの方が多いシンポ」とかね。
2007年05月08日
20:39
メンタルスタッフ
> 研究対象として、極端な対象を選ぶべきか、それとも避けるべきか、というのはギャンブルの問題じゃないでしょうか。
そうなんでしょうね。もし、研究の成功が約束されていたら、それは研究とは言えなくなってしまう場合も多いでしょうし。
それに、極端な数が出ている場合でも、それが通常の分布の極端な値なのか、それとも、本当に、背後に特別な要因があってそうなっているのか、本当のところは区別は付かないでしょうし。
2007年05月08日
21:36
安斎利洋
>東大工学部の技術倫理はこれでしょか?
そうみたいですね。すごいですね、講義ノートの完全公開。
日記本文は受講者からの伝聞で書いたものなので、ねんのためオリジナルと思しき部分を引用しておきます。
http://
www.nu
clear.
jp/%7E
madara
me/lec
1/ETHI
CS.htm
l#VII3
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A県では毎年予算枠の中で県道の改良工事を進めている。堀川町の交差点は都市部にあり、1日約24,000台の車が通過する。湯川村吉田の交差点は山村部にあり、1日約600台の車が通過する。ここ数年、死亡事故発生件数はどちらもほぼ同じ2件である。今年の予算ではどちらか一方しか改良できない。どちらをまず改良すべきか。
どちらの答えもあると思う。堀川町と答える人は次のように考える。湯川村吉田に比べ交通量が40倍も多い。その分だけ改良工事の恩恵を受ける人が多い。そちらが優先である。湯川村吉田が優先という答えもある。そこの通過車両は主としてそこの住民である。そこで交通量の多い都市部と同じだけの事故が発生しているということは、住民は40倍もの危険にさらされているとするものである。全体を見すぎると個々人の問題に目が行き届かなくなる。しかし個人の問題に深入りしすぎると、本来自己責任であることまで全体で面倒をみなければならなくなる。私の意見は差し控えるので、各自で答えを考え、価値観は多様だということを知る一助にしてもらえれば十分である。どちらの価値観もありうるし、両者を融合した解もありえよう。ただ、自分と異なる価値観をまったく認めないのは、明らかに非倫理的である。
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2007年05月08日
21:41
安斎利洋
>極端な数が出ている場合でも、それが通常の分布の極端な
>値なのか、それとも、本当に、背後に特別な要因があって
>そうなっているのか、本当のところは区別は付かないでしょうし。
アーティストの場合、正規分布の山が見え隠れしたらまずそこから離れようとするでしょうね。実際、山なんだか谷なんだ平地なんだかは、時間がたたないとわからないのは、同じこと。
2007年05月08日
23:27
WAKU
>>殺人事件なら?
>>私はこれだと2400のほうを優先する。
>これは、どういう理由で?
人が相手だから。量が多いから。
この場合「択一」と言う選択はできないだろうし、建前で言えば人の命に優劣はつけられないので2:2の人員配置、予算配分ということになる。だけど、これだと2400の現場が爆発するでしょうね。対象者が多ければ非常線を張るにしても人手がいるだろうし、聞き込みの大変さだって比じゃない。人の命に優劣をつけられないからこそ、こうして他の要因で判断するしかない。
まあ、住民全員が事件に関係するわけではないので24:6と言う比率にはならないでしょう。だから1人当りの比率としてみると600の方を重視していると言えなくも無い。ただ、均質でない対象にこのようなレトリックを使うのは本質的ではないのでしょうね。たぶん慰めにしかならない。
環境要因なら、両方の交差点を自分が両方通ることを考える。冷たいようだけど死んだ人のことなんて考えない。この世は生きている人のものです。その生きてる自分がより恐怖を感じるのは600の方だろうと想像するわけです。
2007年05月08日
23:41
安斎利洋
年間一人が通り年間一人殺される交差点と、年間一億人が通り年間一人殺される交差点を比べた場合、やはりどちらの選択にも理由があるような気がするんですが。
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