安斎利洋の日記全体に公開

2007年04月22日
05:50
 詩的工学
詩についての工学という意味ではなく、工学を詩的(芸術的)にするには。


構成主義。
 論文を目標にせず、作られたもののふるまいを成果とする。

ブリコラージュ主義。
 目的を設定しても、いじくりまわしているうちに違う結果になるのを是とする。

作品至上主義
 再現性より、ひとつのチューニングされたピークを求める。

批評主義
 成果の反証可能性を捨てる。

無目的主義
 人類のために良いもの、という発想を捨てる。

作家主義
 無意味な共著、共同研究はしない。

4/23追加
刹那主義
 コンパチビリティをあきらめる。
 

コメント    

2007年04月22日
08:48
Archaic
>無目的主義
 人類のために良いもの、という発想を捨てる。

なんとなくわかります。でも、それが芸術的かなっていうとまたおもうこともあったり。(笑
言葉にすると面白さが浮かび上がりますね。
2007年04月22日
09:02
安斎利洋
技術には、かならずスポンサーがいますよね。軍需だったら、人をたくさん殺せるのが良い技術だし、資本家だったら人をたくさん助けるのが儲かる技術になる。工学は理学でもあるから、そういうスポンサーの論理から切れても成立するけれど、しかしどこかでユートピア幻想のようなものをもっていて、そこに近づいていかないといけない、と思っている。「毎日が不安になる技術」については、あんまり考えないですね。
「毎日が不安になる芸術」は、ありうると思うわけですよ。
2007年04月22日
09:19
Archaic
アバウトな雰囲気、直感としての話なので上手く説明できないですが。
この言葉を読んだ時たしかに工学にとって目的がないというのはありえないだろうなぁ、と思いました。ですから多分おっしゃりたいことはわかるのです。
が、では芸術が『人類にとって良いものとなるために』という発想を持って創造されているのかな、と思ったらそうかしら?とおもってしまったのですね。簡単に言えばそういうことです。今時代を超えて人々が芸術とみなしているものは、多分人々にとって何らかの形で良きもの(善きではなくとも?)となっているだろうとはおもうのですが。

毎日が不安になる技術っていうのは、欲しくないですね。たしかに(笑
ただ、利用の仕方によっては日常に不安を招く技術となってしまったということは結果としてありそうですね。
2007年04月22日
09:44
smi
>詩についての工学という意味ではなく、工学を詩的(芸術的)にするには。
あ、これこれと思って引っかかるのですが、もっと長いものが読みたいです。なにか、でっかい岩が地中にうまっているさきっちょだけ地表にでているのにけつまづいたみたいでくやしい。
安斎さんのプロフィールに書いてある。
>安斎3.0(2005年-)システム・アーティスト
コンピュータを使って絵を描くことや、コンピュータメディアを問うこと自体に意味があるのか?という自戒のもとに、計算原理がひらく新しい創作を追求するver.3.0を開始しました。

とか、有料でもいいので長い言説を書いていただけると、読みますぜ。

質問はありですか?
> 批評主義
> 成果の反証可能性を捨てる。
これが、よくわかりません。

きょうのこの日記は、注目してます。たぶんツボ。
2007年04月22日
09:45
さかい7/15伊勢崎Live
毎日が不安になる技術、という表現が分かり易いがややキツく感じたとして、たとえば、ほとんどの人には何の役にも立たない技術、という発想を拡大していけば、かなり結果としてはそこに近い位置へ到達するような気もします。
床が斜めだったりネズミ用のドアがあったりする、バカボンパパの建てた家のことを思い出しました。
2007年04月22日
09:53
H.耕馬
芸術と工学って軸なんだろうケド、ほんとは芸術と科学で論ずるベキや無いの?というのは置いておいて、、、

> 目的を設定しても、いじくりまわしているうちに違う結果になるのを是とする。
> 再現性より、ひとつのチューニングされたピークを求める。
> 成果の反証可能性を捨てる。

 この3つはすでにあるよね。
それを目指していた訳では無いけれども、結果オーライで世に出てくるものは工学でもあるっす。

> 論文を目標にせず、作られたもののふるまいを成果とする。
> 無意味な共著、共同研究はしない。

この2つは、工学そのものが持つ問題じゃ無くって、研究者のトラウマっつか、これでメシを食ってるわけですから。。。
共著は筆頭者以外ゼロ点とか、評価の方法を変えれば、案外、簡単に変えられるんじゃ無いかと思う。

> 人類のために良いもの、という発想を捨てる。

 これ言い方間違い。
s/人類のために良いもの/人の役に立つ物/

これが捨てられる人は、ほとんど工学にはいないのでは?
多分ここが肝。
2007年04月22日
09:57
安斎利洋
>多分人々にとって何らかの形で良きもの(善きではなくとも?)となっているだろうとはおもうのですが。

どこかで不安とつながっているものを作りたい、という願いは、僕にはあります。それを工学の世界で言うと「トンデモ系」に入るんでしょうね。石黒さんなんかは、不気味をネタにしていますが。

それは、「悪しき」状態のようで、一歩下がってみたときに「良き」状態であると思っているのは確かなので、つまりなんらかのプラス評価をもっていないと、モノを作る熱量は自分の中に確保できないことは確かですね。

2007年04月22日
10:04
安斎利洋
>とか、有料でもいいので長い言説を書いていただけると、読みますぜ。

smiさんひとりに語り聞かせましょうか。ただしアルコール燃料は供給してほしい。

>バカボンパパの建てた家のことを思い出しました。

あのお方は、バカ田大学を首席で卒業されたんですが、学部はなんだったんだ。工学部か。
2007年04月22日
10:08
安斎利洋
>批評主義
> 成果の反証可能性を捨てる。

芸術は、批評にさらされるけれど反証可能性は問われない。つまり「キミの作品はダメだね」とは言われるけれど、「キミの作品は間違いだね」とか「捏造だね」とか「ウソだね」とはいわれない。工学が反証可能なのは、言い換えると再現可能性を問われているわけです。誰かが作ったら、ほかの人も作れないとだめ。秋月で最後に売れ残っていた知らないデバイスの特性に依存してちゃ、ダメなんだよね。

>この3つはすでにあるよね。

でも、それって工学として認知されてるの?
2007年04月22日
10:08
Archaic
アルコール燃料と美味しい牛肉を焼いてカリフォルニアで待ってますが、語ってくださいません??(笑
秋には帰国予定(息子と二人)ですので、是非。燃料、大盤振る舞いします!
2007年04月22日
10:15
安斎利洋
いいっすねー、羊でもいいよ。
2007年04月22日
10:15
安斎利洋
>芸術と工学って軸なんだろうケド、ほんとは芸術と科学で論ずるベキや無いの?

芸術と工学は、もともとテクネーという言葉でひとくくりにされていた時代もあって、モノ作りの術として同じだった。
科学(理学)っていうのは、テクネーの対立概念なんじゃないかな。
そもそも反証可能性を捨てた科学っていうのは、考えにくい。
2007年04月22日
10:22
安斎利洋
>研究者のトラウマっつか、これでメシを食ってるわけですから。。。

論文書かなくても飯とか羊を食わせてくれるんなら、フリーの工学研究者がただのオタクから昇格して、もっとこの世界は豊かになると思うんだよね。
あ、そうか、未踏ソフトって、そういうことか。

>共著は筆頭者以外ゼロ点とか、評価の方法を変えれば、案外、簡単に変えられるんじゃ無いかと思う。

制作にかかわってない作者が名前を連ねるって、芸術だとちょっと危険だよね。
なんでアカデミズムっていうか、とりわけ工学はそこにルーズなんだろう。

> これ言い方間違い。
>s/人類のために良いもの/人の役に立つ物/

また古い書式を、、、
ここは議論の的になりますね。たしかに。
2007年04月22日
10:24
smi
反証可能性、納得です。

芸術の側から見てどうなんでしょう? 逆に、これらの工学のもっているシステムを戦略として取り込みたいとかないんでしょうか?
2007年04月22日
10:27
安斎利洋
工学から見ると、工学を詩的に変えようって話になるけれど、アートから見ると逆に、アートを工学に変えようって話なんですよ、まさに。だからシステムアート。

作者なんていうのはやめよう、
反証してみよう、
原理を作品にしてみよう、

などなど。
2007年04月22日
10:29
smi
>smiさんひとりに語り聞かせましょうか。ただしアルコール燃料は供給してほしい。
キャー!(*^_^*)。ぜひぜひ。

2007年04月22日
10:33
H.耕馬
>>この3つはすでにあるよね。
>でも、それって工学として認知されてるの?

工学として認知されるかどうかは別ですが、論文としては立派に成り立ちますゼ。
だって、データ取る時に、一番良い特性を取りたくて、とっかえひっかえ部品を変えて「チャンピオンデータ」を記録したりするんだもの。
もちろん、データ捏造は論外だけど、崩壊前のソ連の工場で作られた地球上にたった1個の部品を使っていても、再現性がある結果を出せれば、それが不安定でもOKですよ。

工学でも一部のエライ先生を別とすれば、僕らペエペエ研究者にとって「良く分からないケドこんなんできました」というのは立派な工学論文になります。質の良い論文では無いかも知れませんが、少なくとも「動く現物」が手元にあれば論文のREJECTはまずされないと思います。
2007年04月22日
10:39
H.耕馬
>いいっすねー、羊でもいいよ。

羊だったら、良い店いくつかご紹介しますぜ!ダンナ。。。
2007年04月22日
10:39
安斎利洋
へーそうなんだ!
工学は発明じゃなくて発見である、ってことか。
なんでそう動くか、あとで考えればいい、と。

昔、コムソートっていうソーティングのアルゴリズムが発表されて、なんで最後の詰めがうまくいくのか、説明はさておき、こうすればうまくいく、ってのは見たことがある。
2007年04月22日
10:55
H.耕馬
> 制作にかかわってない作者が名前を連ねるって、芸術だとちょっと危険だよね。
> とりわけ工学はそこにルーズなんだろう。

芸術ではありませんが、興行映画作品には、エンドロールに延々と共著者の群れが載りますよね。工学の論文はあれと一緒なんじゃ無いかしら?

例えば、実験をしている時に廊下を通りかかった耕馬教授が、「安斎君、ここを逆にしたらどうなるの?」ってコメントをくれた。それがヒントになって世紀の大発明が生まれた、とします。

アイデアは耕馬教授からの贈り物です。でも実際に手を動かしたのは安斎君。この場合、論文の筆頭には安斎君が入るのは自明なのですが、Specil Thanksでは無くて共著に耕馬教授が入る事をアリとするか、無しとするかです。

これをもしも無しとするならば、工学部の院生だ出す論文にゼミの教授の名前が入る事は大幅に減るでしょう。
旧国立大学の教授の方々は、年間20本以上の論文を提出されていますが、だって現実に無理ですもの。
2007年04月22日
11:06
安斎利洋
当事者である芸術家と、評価をするキュレーターなりメディアなりが別のレイヤーにある芸術にくらべて、アカデミズムは、当事者である研究者と査定をする研究者が同じレイヤーにいる、ってことなんじゃないのかな。アーティスト同士が、業績の貸し借りをするなんてのは、考えられない。
2007年04月22日
11:14
H.耕馬
>当事者である研究者と査定をする研究者が同じレイヤーにいるってこと

そりゃちょい違う。
論文内容を査定をするのは、第3者である論文の差読者で、出来るだけ論文著者(共著者を含む)とは、遠い別のグループの人が副数人選ばれます。

しかし、同じ分野の研究をしている人しか論文の内容が理解出来ないので、「遠い」という部分を実現するのは、なかなかに難しいのです。

面白いのは本当に新しい「世紀の大発明論文」が投稿されると、ダレも査読が出来ないから採択に時間がかかる、なんて話もあります。
2007年04月22日
11:23
Fibonacci
Radical Softwareという70年代のビデオアートの雑誌がありました。
http://radicalsoftware.org/e/index.html

radical technologyでgoogleったらspainのコンピュータ会社がhitしました.
http://www.raditech.es/eng/about/index.shtml

資本とか国家に奉仕しない工学というのが「ラディカル」の立場でしょう。「人民の為」という懐かしいスローガンになります。

alternative という立場が安斎さんに近いかも
al・ter・na・tive [ltrntiv,] n.
1 (2つ以上のものからの)一つの選択,二者択一.⇒CHOICE【類語】:【用例】
2 (…の代わりに)選び得る一つのもの((to ...)):【用例】
3 可能な[残された]選択[方法];(2つのもののうち)一方,(…のほかに)取り得る道,(…に対する)代案((to ...)):【用例】
━━ adj.
1 (2つ以上のものから)選び得る,どれか一つの;代わりの,ほかに取るべき:【用例】
2 二者択一の,あれかこれかの,どちらか一つを選ぶべき:【用例】
3 伝統[慣習]にとらわれない,既存のものに代わる(◆特に subculture 的なものについていう);代替の:【用例】
4 〔文法〕 選択的な:【用例】
5 〔論理〕 〈命題が〉選択肢の,選言的な,二者択一の.
6 (1)(エネルギー・医学・環境保全などの分野で)既成の方法を排する反文化(counter culture)的立場からの取り組み. (2)(1)のように取り組む人. (また n.,adj.1,3で alternate) [1590]
alternative birthing 〔産科〕 自宅などで器具・薬品を用いないで行われる分娩(ぶんべん)法.[1978]
alternative comedy 新感覚コメディー:従来のコメディー(セックスや人種などをネタにしたもの)やユーモア感覚とは異なった種類のものを指す;しばしばブラックでシュールかつ攻撃的な要素を含む.とあります。
alternative energy これは随分一般化しました。
alternative medicine  代替医学:鍼(はり),灸(きゅう),漢方,整体などの総称. ◆complementary medicine ともいう. cf.HOLISM
alternative school  ((特に米)) 新方式学校:独自のカリキュラムで教科の選択に自由を認めるなど,従来とは異なった教育方法を持った学校(特に小・中学校)の総称. cf. FREE SCHOOL 1.
これは是非Archaicの西海岸報告をお訊きしたいですね。
alternative society  代替社会,別社会:既成の社会秩序が有する価値とは異なる価値体系を信奉する社会または社会集団.[1971]
alternative technology  代替技術:代替エネルギーを使うための技術. これは随分狭い意味で使われていますね。
alternative theatre はポーランドやイギリス、アメリカであるようですね。日本はアングラ演劇と言われているのだろうか?

「工学の為の詩学」は大変重要なものです。
「詩の為の工学」も
2007年04月22日
12:45
安斎利洋
オルタナティブは、がちがちに固まってしまったパラダイムの外に、瘤のようなでっぱりを作って、その中で中心の制約の及ばない実験をやってみよう、という戦略ですね。ある意味、オープンソースはオルタナティブ・エンジニアリングの成功例なのかもしれません。ロボカップのような競技も、ある意味で詩的工学なのかもしれない。

フォマールさんの仕事は、まさに詩と工学の融合ですが、あの一連の成果は芸術のパラダイムに収めてしまっていいものでもないと思うんです。作品という非日常にあるのじゃなく、建築に人が住むように、日々新しい定型詩が発生する場所で、人間が暮らしたり仕事をしたりする、新しい詩句の名前の場所で待ち合わせをする、というような、まるで実用のような形にする。すると、「実用」という概念がずれていく。
それって、なんの役に立つの?と、従来のパラダイム側から言われるはずなんですが、そうしたら、「役」を変えるの、と答える。詩的工学という概念は、そんなイメージをもっています。
2007年04月22日
13:45
安斎利洋
>出来るだけ論文著者(共著者を含む)とは、遠い別のグループの人が副数人選ばれます

パラダイムっていうのは、ある共同体の価値を認定しているのはその共同体である、という自己言及みたいなもので、どんな分野もその罠から完全に抜け出すのは不可能なんじゃないでしょうかね。小さいループができない工夫をすることができるだけで。
2007年04月22日
18:03
smi
例えば、ロボットでも、へんてこマシーンでもCGでも、プログラムでもなんでもいいんですが、工学の成果物を芸術作品として提示し、かつ、それが芸術的にも評価の高いものだとしても、それは「メディア・アート」であってunxi ver2.0で扱える範疇ではないでしょうか?
では、unxi ver3.0でやろうとしている詩的工学とはいったいぜんたいなんなのか?
あるいは工学的詩とはなんなのか?
2007年04月22日
18:41
びすけっと
真の工学のこと
大学とか研究界には真の工学はありませんよね.役に立つと一応言ってみるだけで役に立ったためしがない.sonyのハンディカムなんてメカと電子とソフトのすごい技術の集大成だと思いますが,真の工学ってそういうやつのことを言うと思います.作った人の名前は表に出てきませんが,社内で正しく評価されているだろうし,終身雇用だから問題はありません.

論文のこと
論文は研究を公的にやる場合のかなりフェアなシステムですが,システム全体がアナログなので今のITの速度には追いつけないでいますよね.論文誌が最新の情報ではなくなりました.それでも,研究界で給料や昇格を決める業績という重要な役割は揺るいでいないのが問題です.論文と真の工学はほとんど関係なくて,それぞれのやり方にチューンしないとなかなか進められません.研究界の人たちが論文を書くために研究をするようになったので,真の工学からどんどんとずれていった.

共著のこと
大学の先生は,研究がバリバリできるだけじゃなくて,他人と仲良くやる能力とか後輩を指導する能力が問われています.共著でずらずらと名前が出るのはそういう意味も含まれています.共同研究はお金を出す人に対する方便です.研究界の人はみんな知っているので,よそからみて変でも問題はありません.

ここまで書いて,安斎さんの最初の書き込みを読み直してみると,真の工学と芸術はかなり近いんじゃないでしょうかね.変なのは研究界でやられている偽の工学.
2007年04月22日
18:45
安斎利洋
>詩的工学とはいったいぜんたいなんなのか?
>あるいは工学的詩とはなんなのか?

創作というのはひとつのベクトルで、それに対してこれは工学だのこれは芸術だの言うのは、座標系を与えているにすぎない。見たことのないベクトルの余地が見えてくるような、あたらしいディメンジョンを与えなくちゃだめで、さてそれはなんなのか、ってことですね。そこを考えたくて、今朝日記を書いてみたんだけれど。

ひとつは、工学が芸術家の作る作品を人工的に作ろうとしても意味なくて、芸術家そのものを人工的に作らなくちゃだめなんだろうな、ということ。
もうひとつは、芸術は工学を利用しても意味なくて、工学のパラダイムを変える仕掛けを作らなくちゃだめなんだろうな、ということ。人の役に立つ、というなら、人を変換したら、みたいな。

いや、まだ見えてないベクトルがあるんだろう。
2007年04月22日
19:03
安斎利洋
>役に立つと一応言ってみるだけで役に立ったためしがない.

そうか、メーカーの開発が直木賞なら、純研究界は芥川賞みたいな棲み分けがあるんでしょうかね。メーカーの暗黙知のようなものが、本当の工学だとすると、それぞれどこかで途絶えるんでしょうね。作者が死ぬように。

>研究界の人はみんな知っているので,よそからみて変でも問題はありません.

パラダイムはゲームなんだとクーンも言ってますが、ルールを知っていれば問題ないわけですね。どこにも書いてない暗黙ルールって外から見ると面白いから、小説『工学部唯野教授』なんてどうかな。
2007年04月22日
19:33
びすけっと
今の時代,ITによるパラダイムシフトが大きすぎて,いろんなものが大変な状況にあると思います.ほとんどすべての分野でパラダイムシフトが起きている.そこを切り開いたり,乗り越えたりする能力って,芸術じゃないですか?
2007年04月22日
19:42
安斎利洋
パラダイムは、ある期間、安定したものの見方を提供してくれるけれど、それは逆にその見方に人を縛ってしまうので、いわば「パラダイム盲」になる。するとだんだん矛盾が蓄積して、あるときニュートンパラダイムがアインシュタインパラダイムに、ドカンとシフトする。

そういう意味で言うと、現代美術もひとつのパラダイム盲で、芸術全体も芸術盲なのかもしれない。ITと芸術というと、メディアアートってことになるけれど、メディアアートそのものがメディアアート盲なんじゃないかと思う。

いろいろなものを統合する知としての芸術、っていうのはまったく同感なんだけれど、まず芸術のパラダイムシフトが必要ですよね。メディアアートが、ほかの分野に革命をもたらすとは思えない。
2007年04月22日
19:49
H.耕馬
おっ、machikoさんや坂根さんに喧嘩売ってる(@_@)
2007年04月22日
20:20
安斎利洋
メディアアートに喧嘩売るほうでしょ、machikoさんは。
2007年04月22日
21:28
びすけっと
そうそう.最近,工学の人がメディアアートの真似事なんかやりはじめて.器用だしすごい技術を持っているんだけれど,所詮真似事で,まさにメディアアート盲ですね.
爆発感が全然ないんですよ.
えらそうに言ってますが,僕もあやうくそこに落ちるところでした.

「あーあ,そんなことやっちゃって」と言われることですよね.工学の好きな人種には一番苦手なことかもしれない.
2007年04月23日
00:11
安斎利洋
>爆発感が全然ないんですよ.

びすけっとさんが差しているのが、どんなのかはだいたい想像つきます。でも、どんな世界でも、その世界のアスペクト盲から脱するのは、その世界の共同体の外の人間なんですけどね。ちゃんと専門教育を受けていない人とか、アマチュアのほうが、パラダイムシフトを発見しやすい。

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