安斎利洋の日記全体に公開

2007年04月06日
06:59
 モラトリアム人間
僕らが仕事をはじめようとしていた頃、『モラトリアム人間の時代』(小此木啓吾)という本が流行ったせいもあり、僕らは何にもなろうとしないモラトリアム人間と呼ばれた。

僕はたぶん、その典型だったと思う。もちろん食うために仕事はしてきたけれど、実は50歳を過ぎた今でも自分が何なんだかよくわからないし、税務署員から、あなたの仕事はよくわからないといわれる。

今ならニートだったりフリーアルバイターだったりポスドクたったりするわけだけれど、要するに何でもない人種であることに変わりなく、何かになれないのではなく、何かになりたくない、という気分は「モラトリアム人間」といっしょだ。

子育て研究者のtamioさんとの雑談で、赤ん坊は多様性を捨てて成長するんじゃないの、っていう話になった。ここ何年か幼児や小学生の絵をみながら、彼らがあらかじめ「全て」として生まれ、あるとき「自分」に相転移するのを目の当たりにした。彼らは、無数の可能性を捨てる代償として、個性を手にいれていく。人間は、タブララサとして始まるわけではない。学習は加算ではなく、いわば減算によって、個人を特殊化する。これは免疫に似ている。

子どもに限ったことではなく、大人の仕事選びもいっしょ。ある職種のプロになるというのは、近傍の職種であることを断念することでもある。仕事の切っ先を尖らせていくと、近傍にやっちゃいけないことがどんどん見えてくるから。

何かにならないためには、どうしたらいいのか。それは、全てになってみること。大人の僕らには、それしかない。
 

コメント    

2007年04月06日
07:36
びすけっと
どうりで,子どもに「何になりたいの?」って聞いても,答えてくれないわけだ.「何になりたくないの?」って聞いてみなきゃ.
2007年04月06日
08:05
Fibonacci
胚分割の課程に似てるとも思います。
総ての可能性を含んだ受精卵が一つありそれが分離し統合しながら個体を成して行く。
既にお読みの事とは思いますが三木成夫さんの「生命形態学序説?根原形象とメタモルフォーゼ」は大いに参考になります。
http://www.hondana.org/programs/category.cgi?shelf=Fomal+Haut&category=%B7%C1%C2%D6%C0%B8%C0%AE
2007年04月06日
08:09
中村理恵子
>彼らは、無数の可能性を捨てる代償として、個性を手にいれていく。

そうなのかなぁ、、、?
いまだこのへんにきっぱりした堰を設定できてないか、意識できないでるのかかもしれない(自分は、)。
2007年04月06日
08:56
寝太郎
僕も中村さんに同意するなー。言語習得前の子供は確かに全方位的なところはあるけど、環境と偶然の作用は個性を形作るには十分だし、言語習得後は象徴言語の経済効果で常に意識すべきものとそうでないものの区別が著しくなり、カテゴリーの意識が発達する。大人社会ではこの意識が「個性」と受け取られがちになるわけで、カテゴリーの意識の下の未分化の「経済効果の薄いもの」は連錦と流れているような。。。

映画の「カスパーハウザー」を思い出しました。


フォーマールさん紹介の「生命形態学序説?根原形象とメタモルフォーゼ」はおもしろそー。分離統合過程で、左右の差異というのも出てくるのでしょうか。その原初を確かめたい。
2007年04月06日
12:48
ikeg
>仕事の切っ先を尖らせていくと、近傍にやっちゃいけないことがど>んどん見えてくるから。

まったくそうなんだけど、僕は禁欲的になれなくて、甘いと共同研究者に怒られます。境界を放浪する研究者もいてもいいかと思うんだけど、それでやってこれた人はベイトソンとかダビンチとか。
2007年04月06日
12:56
tamio
 多様性を捨てなくていいことを維持する,って感じかなぁ.

 多様性を捨てた後に,あらためて多様性を求めるのとは,違うんよだなぁ.
2007年04月06日
18:49
安斎利洋
なんか、似たような種類のかたがたからコメントいただいているような、、、

「何になりたくないの?」といのは、子どもは答をもつのだろうか。興味しんしん。「お父さん」と言われたりして。

大人は40歳だったり50歳だったり60歳だったりしますが、僕は先日会った小学生が衝撃的で、彼らはおそらく46億歳だと思う。

なかむらさんや寝太郎さんも、たぶん同じイメージだと思うのですが、いきなり46億歳が10歳になったりするわけではなく、あるときティーンエイジャーは、ビリオンエイジャーを被覆・隠蔽するんじゃないでしょうか。外国語の習得を、コーパスからするのか文法からするのか、というモードの違いがそこにあるような気がする。すると、「多様性を捨てなくていいことを維持する」というのは、ビリオンエイジに降りていく道筋をもつことか。

ikegさんが、科学者から音楽家に「転職」ではなく、いわば「拡職」したのは鮮やかだったけれど、僕から見ると科学者としてのテープのモデルの仕事なんかは、芸術の方に近いんじゃないでしょうか。複雑系の科学と芸術の距離は、複雑系でない科学との距離より近いんじゃないですか。

三木成夫、持っていますが読んでいません。「カスパーハウザー」も見なくちゃ。
2007年04月06日
22:02
ペコルン
息子が6歳の時、うっかり「おっきくなったら、なんになるのかなー」と尋ねたことあります。息子は泣きそうな顔して
「○○がおっきくなったら、ママはおばあさんになって、しんじゃうんでしょー」といいました。恥じました。
私の問いそのものが、「大きくなる」という言葉の持つ可能性に鈍感で、いわば減算されつくした「自分」だったということ。それからこのての質問は封印しました。
2007年04月06日
23:24
うさだ♪うさこ
私のあやうい記憶では、コドモのころもそうでしたけど、今でも変わらないのは、「何になりたいか、人にいいたくない」っていう一貫したキモチ、、、これはいったいナンなんだろう。
2007年04月07日
01:10
ikeg
なにものでもない、のを目指すってことですね。それはモラトリアムではなくて、講演するときに手に汗握りたいから。テープとマシンはアートっぽいし、確かに他のしごともそうだわ。
2007年04月07日
04:09
安斎利洋
目の前にあるなにものでもないものを目指しているときは、誰でも46億歳なんじゃないかな。

「大きくなったら何になる?」
超悪じじいになりましょう。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1988316
2007年04月07日
08:11
MERC
大阪に生まれた、天使のように可愛い女の子は長じて大阪のおばちゃんに変貌します。これは46億年はオーバーとしても数千年のうちに蓄積された遺伝子と環境の負荷のおかげ。

受精卵はマルチポテンシャルで、いかなる細胞にも変化でき、その特性は、造血幹細胞などにも受け継がれていきます。
体を構成するありとあらゆる細胞は受精卵というたった1個の細胞に由来しますが、成熟した普通の細胞は、もはや他の細胞に分化することはありません(可能性を切り捨てて個別の能力を獲得するのです。)
多様な細胞の集まりである人体を構成する最初は、たった一つの(全能の)細胞。

ビッグバンの前、たった一つの(全能の)粒子から、大宇宙は成長して、多様性を獲得した。

おそらく、成長した細胞の中でも造血幹細胞のように、いまだ全能の神を宿した細胞もあるように、宇宙の中にも全能の神を宿した粒子は存在するのでしょう。
人類の中にも、そのことに気がついている安斎さんのような人がいるように。

成熟して、(何にでもなれるという可能性を捨てながら)個々の特性を獲得した個人が、しかし人の集団の中でそれぞれの機能を獲得して、一つの人間の集団としての高次機能を発揮しているのだと思います。

世の中が大阪のおばちゃんだけだったら、けたたましくて仕方ないけど、そういうおばちゃんもいるから、大阪の独特の文化が育まれるのですね。
2007年04月08日
05:58
安斎利洋
大阪のおばちゃんに分化しちゃった細胞は、もとに戻らんでしょうね。
生まれてはじめて大阪に行ったときに、市民がすべて漫才していると思ったもんな。

関西人の開発者二人が、技術の話をしてるのに、ちゃんとお約束のノリ突っ込みをやってるのを何度も見たんですが、すごいですよ。あれは造血幹細胞じゃ絶対できないワザです。未分化な東京のおじさんは、弱弱しい。型がないと、話が詰まったときは、詰まったきりだもんね。

お約束のスタンダードナンバーのコードを共有しているジャズミュージシャンは、初対面でも力強いアドリブを掛け合いますね。

なんかの比喩の話なんだか、そうじゃないんだか、わからなくなってきましたが。
2007年04月08日
12:19
MATANGO
昔メキシコの呪術師「ドン・ファン」シリーズにはまっていたんですが...。
呪術師の修業というのは、自分が小さいときからの教育等々ではまっている世界を「壊すこと」からはじまるんだそうで、「なるほどなあ」と思いました。

そこでこの「壊し方」が面白くて、まず「動物になったフリ」をするんです。
そうすることで「ニンゲン」という枠をはずしてゆく...。

つぎに普段生活しているときにも、自分がいつも「ニンゲンのフリ」をしているという感覚を身につける...。

...30代はじめに、まさにモラトリアムの時期があって、そのとき読んだんですが、「ああ、何事もフリで通せばいいのか!」と早合点して...いまに至っています......。
2007年04月08日
15:48
安斎利洋
カスタネダですね。高校のとき、学校でお香をたいて座禅を組む妙な後輩がいて、「僕が作ったんですが食べますか?」といってせんべいをもらったことがある。食ってもなにも起こりませんでしたが。

動物になったふりをしていると、人間になったふりをしているのがわかる、という日常の外し方はいいですね。呪術師ドン・ファンは、リバイバルしてもいいかもしれませんね。ドラッグ的呪術的なコンテキストではなく、たとえばオライリーで出しているMind Hacks的な文脈で。

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